1.はじめに
ベンジャミン・フランクリン氏は、現在でもアメリカの100ドル紙幣の肖像画に選ばれている人で、日本で言えば1万円札に載っているようなものです。
最終的には、独立宣言を起草した1人として「アメリカ合衆国建国の父」の一人とまで呼ばれるようになるのですが、最初は兄弟げんかをしたり、雇用主やビジネスパートナーとうまくいかなかったり、むしろ対人関係のセンスが無いのでは、という話が展開されています。
それも自伝なので、主観が入り多少は大げさに面白おかしく書くのだと割り引いて考える必要があると思いますが、逆に、そういった経験から「こうすると失敗する」ということを理解できたことが、以下の十三徳の冒頭部分につながっていると思います。
2.内容
(1)十三徳樹立
- 単に理論上の信念だけでは過失を防ぐことは到底できない。確実に、不変に、常に正道を踏んで違わぬという自信を少しでも得るためには、まずそれに反する習慣を打破し、良い習慣を作ってこれをしっかり身につけなければならない。
- 明確を期するために、少数の名称に多くの意味を含ませるよりも、名称は沢山使って、各々の含む意味はこれを狭く限定しようと考えた。そこで、当時自分にとって必要であり、また望ましくも思われたすべての徳を十三の名称に含めてしまい、その各々に短い戒律を付けた。
①節制
飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
②沈黙
自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
③規律
物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
④決断
なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
⑤節約
自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
⑥勤勉
時間を空費するなかれ。常に何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
⑦誠実
詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出さずこともまた然るべし。
⑧正義
他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
⑨中庸
極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎しむべし。
⑩清潔
身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
⑪平静
小事、日常茶飯事、また避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
⑫純潔
性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
⑬謙譲
- 同時に全部を狙って注意を散漫にさせるようなことはしないで、一定の期間どれか1つに注意を集中させ、その徳が習得できたら、その時初めて他の徳に移り、13の徳を次々に身に着けるようにして行ったほうがよい。
- ある1つの徳を先に修得しておけば、他のいずれかの徳を修得するのが容易になろうと思ったので、前に挙げたような順序に徳を並べた。①を節制にしたのは、古くからの習慣の絶え間ない誘引や、不断の努力の力に対して常に警戒を怠らず、用心を続けるには、頭脳の冷静と明晰とが必要であり、この徳が役立つから。
- 節制の徳を完全に身につけてしまえば、沈黙の徳はもっと身につけやすくなる。知識は、人と談話する場合でも、舌の力よりはむしろ耳の力によって得られると考えたので、沈黙を②に置いた。
(2)富に至る道(付録)
ベンジャミン・フランクリンは、若いころ、リチャード・ソーンダースの名前で「貧しいリチャードの暦」として、カレンダーの余白に諺風の文句で埋めたものを25年ほど販売していました。
それらの諺を集めて、1つ筋の通った話に作り、一人の賢い老人が競売に集まって来た人々に説くという形式にして、1758年の暦の巻頭に乗せたものが「富に至る道」として知られる文章で、本書の付録として収められています。
その100前後の発言の中から、印象に残ったものを以下に抜粋します。
- 神は自ら助くるものを助く。
- ものぐさは錆と同じで、労働よりもかえって消耗を早める。一方、使っている鍵はいつも光っている。
- 時間の失せ物は、間違っても見つかることなし。
- 仕事を追い立てよ。仕事に追い立てられるな。
- 骨折りなきところに利得なし。
- 今日の一日は明日の二日に値す。明日なすべき事あらば、今日のうちにせよ。
- 怠けているところを自分自身に見つかられるのを恥じよ。
- 点滴石をうがつ。小さな一撃でも、度重なれば、大木をも倒す。
- 難儀は怠惰から生まれ、大きな労苦は無用の安逸から生まれる。
- 注意の不足は、知識の不足にもまして多くの損害を招く。
- 人を使っていながら監督を怠るのは、財布の口を開けたままその前においておくようなもの。
- わずかな出銭に気をつけよ。小さな漏れ口が大きな船を沈める。
- 賢い者は他人の災いで悟り、愚かな者は自らの災いによっても目が覚めぬ。
- 忠告を与えることはできても、処世術は与えることができない。
(3)その他
「十三徳樹立」と「富に至る道」以外でも、本書に出てくるフランクリン氏の考えで、心に留めておきたいものを以下に抜粋します。
- たいていの人は、自分はどんなに自惚れ屋でも、他人の自惚れは嫌うものだが、私は他人の自惚れに出逢うといつもなるべく寛大な目で見ることにしている。自惚れは、その当人にもまたその関係者にも、しばしば利益をもたらすと信ずる。
- 異論が起こりそうに思えることを言い出すときには、「きっと」とか「疑いもなく」とか、その他意見に断定的な調子を与える言葉は一切使わぬようにし、その代わりに「私はこういう理由でこう思う」とか、「多分そうでしょう」とか「私が間違っていなければこうでしょう」とか言うようにしたが、この習慣は、自分が計画を立てて推し進めていくにあたり、自分の考えを十分に人に吞み込ませてその賛成を得る必要があった場合に少なからず役立った。
- 談話の主要な目的は、教えたり教えられたり、人を喜ばせたり説得したりすることになるのだから、知識なり楽しみなりを与えたり受けたりすることを片端からダメにしてしまうような押しの強い高飛車な言い方をして、せっかくの善を為す力を減らしてしまうことがないよう、思慮に富む善意の人々に望みたい。
- 自分の勤勉ぶりを事細かに、また無遠慮に述べ立てるのは、自慢話をしているように聞こえもしようが、そうではなくて、私の子孫でこれを読む者に、この物語全体を通して勤勉の徳がどのように私に幸いしたかを見て、この徳の効用を悟ってもらいたいから。
- 現在名誉心を満足させることを少し我慢すれば、後で償いは十分に来る。君よりも名誉心の強い男がそれをよいことにして自分の手柄だと主張することもあるだろうが、正常な持ち主に返そうと公正な態度を取りたい気持ちになるもの。
- もろもろの悪行は禁じられているから有害なのではなく、有害だから禁じられている。正直と誠実とは、貧しい者が立身出世するのにもっとも役立つ徳であることを、若い人々に悟らせるようにしたい。
- 一度面倒を見てくれた人は進んでまた面倒を見てくれる。こっちが恩を施した相手はそうはいかない。他人の敵意ある行動を恨んでこれに返報し、敵対行為を続けるよりも、考え深く取り除けるようにするほうがずっと得。
- 契約当時には当事者同士がお互いにどんなに尊敬と信頼を持っていたとしても、仕事の上の心配や気苦労などが不公平だという考えが起こると、それにつれてちょっとした妬み心や嫌気が頭をもたげ、そんなことから友情にひびが入り、せっかくの関係もだめになって、面白くない結果に終わることがよくある。
- 「忠告なら喜んで申しましょう。まず第一に、いくらかでも寄付するとわかっている人には全部頼むこと。次には、出すかどうかわからぬ人に当たってみて、出してくれた人のリストを見せる。最後に、出さないに決まっていると思う人も無視しないこと。というのは、あなたの思い違いの場合もあるかも知れない。」
3.教訓
さすがに、移動や通信手段が現代と大きく異なるので、今では記載内容と同じような苦労をすることもないでしょうが、現代でも共通して言えることは、「苦労した経験や失敗の中から何を学び、どう活かすか」、ということだと思います。「若い時の苦労は買ってでもせよ」ということわざとも似たものを感じました。
また、全体を通じて「正直者は馬鹿を見ない」という印象を持ちました。今では日本でもあまり言われなくなったように思いますが、「お天道様は見ている」的な意味が、”富に至る道”では「神は自ら助くるものを助く」「怠けているところを自分自身に見つかられるのを恥じよ」といった形で表現されていると考えています。
結果が出れば何をやってもよいという風潮もある中、この「正直と誠実が最後にモノを言う」という考え方は、これからもずっと大事にしていきたいと思います。
なお、十三徳の二番目に「沈黙」が登場し、「知識は、人と談話する場合でも、舌の力よりはむしろ耳の力によって得られる」と記されていることも印象に残りました。LISTENの最終章でも、”「聴くこと」は学ぶこと”と書かれていて、プッシュとプルをうまく使い分けることを意識したいと思います。
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