1.はじめに
本書は、キャリアコンサルタント養成講座の先生から、中でもこれは、ということでおすすめいただきました。受講生の多くが手にとり、それぞれ思うところがあったと反響も大きかった本です。
メインのターゲットとして以下の5つを挙げています。
- ミドル・マネジャー
- 学生
- キャリア・デザインを模索する人びと
- 人事スタッフ
- キャリア論に興味のある研究者、学生、実務家
私の場合は、1,3,5に該当しています。単なる読み物としても非常に興味を持てるだけでなく、かつキャリアコンサルタントの理論の勉強という観点でも頭の整理に役立ちました。
今回は、かなり自分自身に向けての備忘録・リンク集の意味づけ色が強いものとなっておりますが、キャリアについて少しでも関心のある方には興味を持っていただけるのではないかと考えています。
2.内容
(1)キャリアは働くみんなの問題
- キャリアでは、それが自分の長期的な生き方、働き方にかかわっている。それが運んでいく大事なもの。たった1回限りの仕事生活における節目での選択の流れがキャリアにほかならない。
- 人生やキャリアのメタファー(隠喩)の一例。ろうそく:悪い冗談のようだが、ゆっくり確実に短くなっていって、最後は火もろうそくそのものも消える。一見暗いメタファーではあるが、光はしなやかに燃えていて凝視の対象にもなる。時間の有限さを感知するにはもっとも適切なメタファーかもしれない。
- エドガー・シャインは、次の3つの問いについて内省することが、キャリアについて考える基盤を提供するという。
- 自分はなにが得意か。
- 自分はいったいなにをやりたいのか。
- どのようなことをやっている自分なら、意味を感じ、社会に役立っていると実感できるのか。
- 気を付けなければならないのは、ひとはしばしば、自分が得意なことを、好きなことだと勘違いしてしまうこと。これはそう考えると短期的には都合がよいためであり、はまりやすい罠。得意なことイコール好きなことだと短絡してしまうと、「便利屋」にされてしまうので、うまくできることをやりたいことのように思い続けるのはよそう。「なにがほんとうのところしたいことなのか」という問いは、けっこう難しい問いだ。
(2)揺れ動くキャリア観
- マイケル・アーサーは、変わりつつ新しいキャリアのあり方を「インテリジェント・キャリア」または「バウンダリーレス・キャリア」-職務・組織・仕事と家庭・産業の壁を越えて動くキャリア-と呼んでいる。同様にD・ホールは、「変幻自在の(プロティアン)キャリア-と名付けている。
- 節目や移行期は危機。でも、危機という漢字を見ればわかるように、「危険」と「機会」がともに存在する。だから、節目にはイケイケどんどんのままではなく、歩みをしばし止めて、内省する必要がある。危機と知っていてしばしも足を止めないというのはいかがなものか。危険と機会の両方に目をやるためには、淵ではゆっくり歩かないといけない。
- ウイリアム・ブリッジズのトランジション論は「終焉→中立圏→開始」の3つのステップで説明する。移行期というのは、ある状態が終わり、別のある状態が始まるということであるのに、多くのひとが後者の「開始」ばかりを目にして、いったい何が終わったのかという「終焉」を往々にして不問にしている。移行期が大きく重要な転機であればあるほど、「終焉」から「開始」へとさらりとは移れないもの。徐々に新たな始まりに向けてしっかりと気持ちを統合していく時期が必要で、この谷間の時期をブリッジズは「中立圏」と呼んだ。
- 中立圏というのは一見どっちつかずの宙ぶらりんな段階だが、それは決して消極的な段階ではないことに注意しておきたい。慣れ親しんだもの、去りつつあるものと心深く直面しながら、わくわくもするが不気味でもある新しく突入する世界に気持ちを向けるための積極的な段階。これをくぐらなかったひとに限って、過ぎてしまった過去を振り返ってしまう。
- ニコルソンのトランジション・サイクル・モデルでは、第一に、サイクルは通常、1周回って終わりというわけではなく、ある1周が終わったと思っても再び第一段階に戻ってきて次のサイクルが始まるということを想定している。1周する度に発達しているかどうか、より自分らしく生きられるようになっているかどうかが鍵。節目をくぐる度に一皮むける。
- いったんもうだめだと思ってしまうと、それが自己成就的予言(思ったとおりに実現してしまうこと)になってしまう。それは、残念ながら次のサイクルにまで尾を引くことになる。せっかくまた異動の時期が来ても、端から期待や自信を持てなくなってしまう。仕事意欲も失せていく。これが悪循環の場合。
- くぐっているときにはつらい修羅場のような経験が、後から大変な自身に結びつくこともある。しかし、その際にはサイクルの途中で投げやりにならないこと、必要な支援は上司やメンター、人事部に求めることも忘れないでほしい。すべてひとりで背負い込まないほうがいい。
(3)キャリアをデザインするという発想
- いいものに出会い、偶然を生かす(掘り出し物=serendipityを楽しむ)には、むしろすべてをデザインしきらないほうがいい。ドリフトしてもいいというより、節目以外はドリフトすべきだといってもいい。
- どの程度自覚的に選んだか、あるいはどの程度詳細に将来を描いて選んだかには、ばらつきがあっても、節目ではそのような選択を行うことが大事。節目では、おおまかでもいいから、この方向で行くというのをしっかり選んでいてこそ、その後はドリフトしても偶然がほほ笑む。自分の人生やキャリアを選び取る、切り拓いていくという発想が一切ないまま、ずっとドリフターズであるのはよくない。
- D・ホールはキャリアを定義するための前提として、次の4点を指摘している。
- キャリアそのものにいいキャリアと悪いキャリアがあるわけではないと仮定している。キャリアそれ自体は、成功や失敗を含意しない。したがって、サビカスも述べたといわれる通り、キャリアにアップもダウンもない。
- たとえもし一歩譲って、キャリアに成功や失敗があるとしても、それは他の外部のひとの観点からではなく、そのキャリアを歩む本人によって評価されるのがよい。自分らしく生きられているとか、ハッピーだという気持ちにかかわる。
- キャリアには、主観的な側面(価値観や態度やモチベーションの変化など)と客観的な側面(特定の職域への移動を決定するというように観察可能な具体的な選択行動)の両面があると前提している。
- キャリアはプロセスであると考えられている。長期にわたって追求される仕事で、そこで生じる仕事関連の諸経験が連続していくプロセスをキャリアと考える。
- モチベーションは、いわば短距離を走る瞬発力を説明するのに対して、キャリアは、いわば長距離を歩み続ける持久力を説明しようとする。
- いくら他のひとの世話にはなっていても、やはり自分の人生、自分のキャリアだから、最後には自分が決めたといわざるを得ないはず。振返っていい選択だったものも、悪い選択だったものも、悪い選択と思しきものも、究極的には自分。
- ①キャリアの節目のデザインは自分で選び取るということ。②節目にさしかかるとき、あるいは人生そのものが他のひとたちとのつながり、相互依存のなかに自分がいるということ。このふたつは両立可能。
(4)最初の大きな節目
- 偽ったことを語るという文字通りの嘘を「黒い嘘」というのに対して、大切なことを故意に語らないことを「白い嘘」という。入社案内や会社案内には、それなりの品格を持った会社なら黒い嘘は決して存在しないけれども、そうとう高い志を持った会社でも白い嘘は混じっている。その結果、マイナス面はあまり書かれずパンフレットは全体的には会社のいいイメージに覆われている。
- かつてのリクルート法のパラドクスは、定着率が悪いからいいイメージを伝えておこうとする結果、いいイメージから期待をふくらませて応募者が会社に入ってしまうために、仕事についた後にはかえって現実とのずれに起因する幻滅が大きく(リアリティ・ショック)、意図とは逆に定着率がさらに悪くなるという悪循環であった。
- RJP(Realistic Job Preview)は何も「悪い点」「課題・問題点」のみを告げることではない。いいことも悪いこともできるだけまるごと学生に伝えて、それでも来たいと思うひとに応募してもらえばよいという考え方。学生の側が節目の大切な判断をする際、ほんとうに役立つ情報を提供するのがRJPの使命。
(5)節目ごとの生涯キャリア発達課題
- グループとタスクという二面はそれぞれ、仲間集団を維持し人間関係を大事にするリーダー行動と、集団の課題達成のために仕事の枠組みを創り出すというリーダー行動に関連している。この両面がよくできるリーダーが最も望ましいと言われてきた。直属の上司のリーダーシップ行動が、新人の適応に大きく影響すると聞いても納得がいくだろう。
- 「キャリア・ミスト(霧)とキャリア・ホープ(希望)」は、両者がある限り、「希望があるのか確認したいのに霧があって見られない」という気持ち(→だからやめずにいるのか?)、あるいは「霧が晴れると希望が無いのがわかると怖い」という気持ち(→だから、大きな不満はないのにやめることになるのか?」は、いくつになってもありそうな心理的メカニズム。
- かつてユングは、40歳を「人生の正午」という限りなく美しくも寂しくもある言葉で形容した。多くのひとは、そこを境に、人生は下り坂になるというように答える。しかしユングは、午前の昇る太陽の勢いはすさまじいが、その勢いゆえに背景に追いやったもの、影になってしまっていたものを、しっかり統合していくのが、人生の正午以降の課題だという。正午より後には、午前には陰だったところにも光が当たる。深い意味で、真の個性化は、40歳以降に始まる。
- 人生のまんなかあたりでは、逆算が自然とできるので、仕事についてもあとプロジェクト・タイプの大きな仕事が3回まわったら、この会社では定年かと気づく。だから、ほんとうにやりたいことを考える。会社の戦略と両立しながら、自分なりに実現したいと思う夢を、戦略という名の絵に描いて、実現したいと真剣に思い始める。逆算ができる歳ごろになるということは、積極的に、本当にやりたいことをやり始めるにしくはないということ。
- アイデンティティの概念の提唱者としてのみ知られがちのエリクソンは、8段階の発達段階からなる独自の漸成説と呼ばれる人間発達のライフサイクル論を展開した。それぞれの発達段階に、発達課題が乗り越えるべき対立項(一方をクリアするか、それがかなわずまずい状態に陥るかを示す)とともに、そこをクリアしたひとに根付く勢い、強みを体系的に提示した。
- 成熟期(壮年期)において、過去のベストテンジョブを思い浮かべて、もうそれ以上のことはできないと言って、干上がっていくひとが出るのがこの発達段階。そうではなく、若手を育成したりマネジメントに携われるようになったら、そのひとは生殖性・世代性という発達課題をクリアしたことになる。そして、そのようなひとにしかできない深いレベルの「世話」「面倒見」という美徳を身につけることになる。
- 生殖性VS停滞という発達課題の対比が示すとおり、この時期を境に、ますます創造的になるひとと、停滞してしまうひとに分かれる。いかなる形でかつてのベスト・ジョブをより深く自分のなかに統合し、より若い世代を育むかなかで、継続して意味のある創造的なものを生み出すことができそうか、内省してみること、これができれば、いくつになっても一皮むける経験をさらに重ねることができるようになる。
- ミドルでの課題は、破壊と同等もしくはそれ以上のエネルギーを創造に向け、両者の緊張関係に自分なりの折り合いを付けること。あるいは、自分の中に破壊性を認め、それに責任を取れること。知らないうちにひとを傷つけていた、といったことがないように、自覚的にならなければならない。これがミドルの時期。
- 人生の正午から午後に入るということは、やがて自分もいつか死ぬということを自覚することでもある。それは、太陽が沈むという意味ではネガティブだが、残りの人生で何ができるかということを真剣に考えるようになるという意味では、ポジティブな節目にもなりうる。ヤングのときにスタート地点で茫獏と思った以上に、切迫感を持って自分のライフワークとは何かを問うことは重要。
- 「いくつになっても夢をもつこと」もまたとても重要なこと。実現しない夢に馴れ合うのではなく、現実の前で吟味しながら、この夢だったら実際に追及できる夢を持つこと。興味深いことに、レビンソンたちの中年男性の研究では、人生半ばで自分を語るときに出てくるキーワードのひとつが夢。
(6)元気よくキャリアを歩むために
- どのように働きかけても世界は自分の思うようにはならないという経験を何度も繰り返してしまうと、ひとは無力感を感じ、希望や夢を失いアクションを起こさなくなってしまう。しかしセリグマンの主張に含まれる重要なポイントは、無力感は生まれつきではなく、学習されるということ。いい循環に回ることが大事。
- 今までやってきたこと、できたこと、できなかったこと、できたことがすごくうれしかったこと、できたけれどさほど感動しなかったこと、できなかったけれど落ち込まなかったこと、できなかったことが未だにくやしくて仕方がないことなどを振り返る。振り返ると改めて見えてくる方向感覚というものがある。
- 大きな方向感覚で三叉路や四つ辻で進む道を選べば、ずっと過度に張り詰めている必要はない。四つ辻でも青信号が続いていることもある。過剰にデザインしきらずに、移行期以外では、流れを楽しめるキャリア・ドリフトもできるひと。そんなひとをケセラセラ、成り行き任せ、ドリフターズとばかにしてはいけない。
- K・レビンが主張したとおり、緊張がひとを動かす。しっくりきてしまうと発達レベルがその心地よさを感じた段階で止まるかもしれない。発達するということは、常に成長の痛みを伴うもの。
- 肩書には必ずしもとらわれずに、自立的・自律的にその気になれば生きられるような人が頑強。そして結局他社にも通用するぐらいのひとが、その会社でも大きく貢献している。その意味での就業可能性(エンプロイアビリティ)が問われている。
- ひとの発達も、知的面・身体面・情緒面・社会面・仕事やキャリアの面が一体となっている。○○面と分ける発想自体が意味ある全体という視点からは問題。ハンセンは、このような立場から自分のキャリア・デザイン論をILP(Integrative Life Planning, 統合的人生/生活計画)と名付ける。
- ひとは、ひとりで生きているわけではないから、自分に納得のいく仕事であるばかりでなく、他の人びととの関係性のなかで、自分の仕事の意味・意義が定義できないと、いつか空しくなる。なぜこの仕事をしているのかという問いに、深く温かく(同時に厳しく)、そして社会との関係のなかで答える縁となるのが、精神性にほかならない。
3.教訓
これまで、単に試験勉強として欧米中心に研究されてきたカウンセリング理論を学んできました。しかしそれでは、○○ソンという名前が多かったり、理論としても共通項として似たような部分もあって、字面を追っても理解があまり進んでこなかったというのが実感としてありました。
しかし、本書については、金井先生が日本人として、日本の職場や働き方と照らし合わせながら説明されています。そして、実際に第一章でも、以下のような記載があり、自分のこれまでの社会人生や今の立場を反芻し、今後どうしていきたいのか噛みしめながら読みました。そのため、理論の学習としても実際の足元の課題認識としても、自身の理解が進んだ良本でした。
どこかで(他人ごとではない)自分の問題、自社の問題(学生の場合には、自分が入ろうとしている会社選択の問題)として、オーバーラップさせながら、キャリアの節目での選択がもつ意味合いをぜひ考えてみてほしい。それがないと、キャリア・デザイン論の理解は、深まらない。
本書についての感想は、読む人の背景や立場によって全く異なるものと推察します。しかし、そのそれぞれの違いが大事なのだと思いますので、ぜひ手に取って全体を通して読んでいただくことをおすすめいたします。