管理職おすすめの仕事に役立つ本100冊×2

課長経験者が身銭を切る価値のあるのおすすめ本だけを紹介するページ(社会人向け)

LIFE SHIFT 2(ライフシフト2) 100年時代の行動戦略 アンドリュー・スコット リンダ・グラットン著

1.はじめに

以前読んだWORK SHIFT、LIFE SHIFTの続編です。

bookreviews.hatenadiary.com

原題の”THE NEW LONG LIFE”が示すように、これからの人生では特に労働する期間が長くなり、教育→仕事→引退という3ステージ型の人生からマルチステージ型になる(ここはライフシフトと同様)ので、自身を探索し、周囲との関係性を構築することにより自分の人生のストーリー紡いでいきましょうという、日本語副題の「100年時代の行動戦略」のほうが、本書の表現に近いと感じます。

また、本書は、何人かの架空のキャラクター、言ってみれば「どこにでもいる誰か」の目を通して環境変化を見ていく形を取ります。中には日本人モデルも設定されていて、日本の話題も多く登場します。また、外国人設定の話でも、日本でも起こりそうな身近な話題であり、具体的なイメージが頭の中で想像できるのが良いと思います。

3部構成になっていて、第3部は企業・教育機関・政府の課題でして、第2部までの自身の行動に関連するところに絞り、特に印象に残った点を以下に引用していきます。

2.内容

(1)私たちの進歩

  • 人間の発明の能力は、驚異的なテクノロジーを生み出すだけでなく、平均寿命も大幅に上昇させてきた。その結果として、人生の長さと人生のステージに関する常識も変わり始めている。いま多くの国では、65歳以上でも健康な人が珍しくなくなった。そうした変化を受けて、老いのプロセスとはどのようなものなのか、社会の高齢化は何を意味するのか、老いるとはどういうことなのかについて、ますます疑問と混乱が生まれている。
  • 予想される人生の長さが大きく変わったことで、両親の世代が下した人生の選択は、ほとんど参考にならなくなった。両親や祖父母がする必要のなかったことに取り組む必要がある。100歳以上生きる前提で人生を設計して、老後の生活資金を確保しなくてはならない
  • 世代間の不公平が懸念されるのは、税負担と年金給付の面だけではない。今日の若い世代は、人生で経験する移行の回数が多くなるし、高齢になるまで働かなくてはならない。この世代は、大学を卒業しただけでは専門職に就けない可能性もある。専攻分野によっては、高卒者に比べて給料の上乗せがほとんど期待できない場合もある。

(2)物語-自分の人生のストーリーを紡ぐ

  • 暦年齢重視の年齢観を抱く場合、すべての人が毎年同じペースで老いていくと考えることになる。しかし、年齢の可変性を前提にすれば、真実とかけ離れている。興味深いことに、ある人がどのように老いるかを決める要因のうち、遺伝子的要因の割合は1/4程度にすぎないという。つまり、その人自身が取る行動や、自分でコントロールできない出来事も大きな影響を持つ
  • 年齢に関する固定観念は、ほかの人たちに対する偏見を生むだけではない。未来の自分に対する偏見も生み出す。高齢になったときの自分に対して先入観を抱くと、将来に得られる機会が制約されて、「ありうる自己像」の範囲も狭まってしまう。異世代の人と時間を過ごすことには、いまの自分と未来の自分を結びつけるストーリーをより強固にできるという利点がある。
  • 重要な資源が不足していると、その不安に思考を支配されて、直近のことしか考えられなくなる場合がある。この「トンネリング」と呼ばれる現象により、人はしばしば劣悪な意思決定を下し、将来そのツケを払わされる羽目になる。
  • 人工知能とロボット工学の進歩により仕事の世界に大激変が訪れたとき、大きな影響を受ける可能性があるのは、職を失う人だちだけではない。それ以外の人たちも影響を受ける。この人たちも、自分が職を失うのではないかという不安に苛まれずにはいられないし、仕事の中身がすっかり変わり、給料が減る人たちもいる。要するに、仕事をめぐる人生のストーリーで問われるべき問題は、職に就けるかどうかという点だけではない
  • 大半の職は複数のタイプの活動や業務によって構成されている。職と業務を混同してはならない。機械は、職を構成する業務の多くを代替するだろうが、すべてを代替するとは考えにくい
  • 突然失職することは避けたい。将来の計画を立てて準備することができず、未来の選択肢が限定されるから。いずれ転身を図るつもりなら、後回しにせずに、早く踏み切ったほうがいい。概して、キャリアの転換を早期に実行した人ほど、大きな恩恵を得られる。現在の選択が将来にどのような結果を生む可能性があるかを、いま知っておく必要がある。
  • 経済学者たちに言わせれば、歴史上、テクノロジーの進化により大量失業が引き起こされたことはない。それに、費用対効果を考えれば、テクノロジー専門家が言うほど急速に自動化が進むとは思えないと、経済学者たちは主張する。また、経済学者たちが指摘するように、消失する職を予測するのは比較的簡単だが、新しいテクノロジー、新しい市場、新しい商品によって生み出される新しい職を予測することは難しいため、悲観論が広がりやすいのかもしれない。
  • 重要なのは、キャリアの流動性が高まる時代には、一人ひとりが責任を持って主体的な選択を行う必要があるということ。昔と違って、キャリアを築くプロセスは、あなたと雇用主の共同作業ではなくなる。雇用主があなたのスキルを向上させ、新しいステージに向けた計画を立て、未来のための資金面の準備をし、キャリアのさまざまな選択肢を検討してくれる時代ではなくなる。こうしたことは、あなた自身の役割になる。
  • 未来の選択肢を検討する際は、それぞれの選択肢で何が時間配分の最大の決定要因になっているかを基準に考えるといい。あなたは、お金を稼ぐことを優先させて時間配分を決めたいのか。それとも、スキルの幅を広げることや、家族や友人と過ごす時間を増やすことを優先させたいのか。それぞれの選択肢を選んだ場合、未来の自分を危険に陥らせることがないかをよく考えよう。

(3)探索-学習と移行に取り組む

  • いくつもの移行を繰り返しながら長い職業人生を送るためには、学び続ける必要がある。自分が次に何をしたいのか、そのゴールに到達するためにどうすればいいのかを知り、そのために必要なスキルを習得しなくてはならない。3ステージの人生では、学習はもっぱら最初のステージで行うものと決まっていた。しかし、マルチステージの人生では、学習は自らの選択で行うものになる。本人が学習の機会を活用して学ぼうとしなければ、制度上、学習を強いられる機会はほとんどない
  • 脳が健康な状態にあってはじめて学習が可能になる。脳が新しいことを吸収して学べる状態でなくてはならない。脳が人間特有の複雑な活動を行う能力は、その人がどのような感情を抱いているかに大きく左右される。強い不安やストレスを感じている人の脳は、変革と学習の能力が大きく減退する。そのため、どうしても大人の学習は難しく奈る。多くの職場では不安とストレスから逃れられない。
  • ほとんどの人は、仕事を通じて学習している。その気になれば、自分の仕事の範囲を広げることにより、学習の余地を大幅に拡大することも可能だ。例えば、別の部署や別の土地で働く機会をつかんだり、他部所への一時的な配置換えを願い出たり、日常業務とは別に特別プロジェクトに参加したりすればいい。また、仕事のあり方を見直して、いつ、どこで、どのように働くかについての裁量とコントロールを強めることもできる。
  • 実際、多くの人は、給料など、仕事に関するほかの要素よりも、自律性を重んじている。自律性は、脳の健康にも好影響を及ぼす。自律性を持てている人は概して、ストレスをあまり感じず、燃え尽き状態に陥る可能性も比較的小さい
  • 大人の学びには、一緒に学ぶ仲間たちで構成される「コミュニティ・オブ・プラクティス(実践共同体)」が大きな役割を果たせる場合があるとわかっている。人生における移行を成功させるためには、人的ネットワークを変容させることが不可欠だ。

(4)関係-深い結びつきをつくり出す

  • 人間関係を深めるために投資しなければ、移行の回数が増える結果として人生が細切れになる危険が出てくる。自己の意識とアイデンティティを見失い、漂流状態に陥りかねない。
  • 多くの国では、若者が職を見つけ、キャリアの最初の一歩を踏み出すことが難しくなりはじめている。若者たちは、職業人生で激変を経験する可能性が高く、人生最初に受けた教育を頼りに職業人生を最後まで乗り切ることは難しいだろう。これまでの世代は3ステージの人生を送ることで職業面と経済面の安定を手にできたが、そのアプローチが通用しなくなりつつある。今の若い世代は、生涯ずっと悪戦苦闘しなくてはならないように見える。
  • 多くの場合は、世代にレッテルを張ることが安易なステレオタイプ思考を助長している。その結果、新しい長寿時代にあらゆる年齢層の人たちが直面する課題が覆い隠されてしまっている。世代のレッテルは、世代間の共通項よりも相違点をことさらに強調し、世代間の結束でなく、世代間の対立を生み出しかねない
  • マルチステージの人生の本質は、エイジ(=年齢)と人生のステージの結びつきが弱まることにある。人生がマルチステージ化する時代には、引退したあとではじめてコミュニティ活動に携わるのではなく、生涯を通してコミュニティと関わるほうが理にかなっている。ボランティア活動に取り組み、無報酬で働く姿勢は、人生を通してはぐくまれていく習慣と言ったほうがいい。
  • 重い病気になれば、いくら高度な教育を受けていても、仕事に復帰できる確率は低くなる。実際、自らの健康状態を「まずまず」「悪い」「非常に悪い」と答えた人は、そうでない人に比べて、職に就いている割合が20%も小さい。そのうえ、職を持っている人の場合も所得が20%少ないという。この影響は生涯にわたって続き、さらには引退後にも影を落とす。所得が少ない人は、受け取る年金の額も少ないからだ。

3.教訓

最近多く叫ばれているリスキリングよりも、「リカレント教育」を推奨されているように感じました。

両者の違いや周辺知識の詳細は以下のリンクが参考になると思います。中ではマルチステージ型の人生についても図による解説があります。

www.persol-group.co.jp

ただ、多くの人にとって、何らかの経験やきっかけがない限り、自らの意思で新しいことを学ぶのは簡単ではないと思います。学ぶのには、時間もお金もかかります。本書では無料のYouTubeで独学しただけでグッチのイラスト広告に採用されたモンレアル氏が紹介されていますが、毎日14時間を費やしていて、日常の会社生活や家庭生活をしながらというわけにはいかず、レアケースと感じます。

また、これまでのキャリアと全く関係のないことを学び、違う領域で生活していくことも現実的ではなく、何かのきっかけがあって周辺知識を深めるのが第一歩だと考えます。いきなり、現状の知識を2倍にするのは簡単ではありません。しかし、1%の変化を100回繰り返す(1.01を100乗する)と2.7になるというよく聞く話が示す通り、小さなことから始めても、継続的に学ぶことで、将来大きなリターンが返ってくる可能性があります。

政府や今の会社がすべての面倒を見てくれるわけではありません。自らの意思で学び続けること、かつそれを健康的に実施することの重要性について、改めて認識できる良書でした。

ザ・コピーライティング 心の琴線にふれる言葉の法則 ジョン・ケープルズ著 神田昌典 監訳

1.はじめに

私はコピーライターでも、広告宣伝担当でもありません。

しかしながら、日常的に社内文書を書き、作業依頼メールを発信しているため、相手に届く文章とは何か、どうすればそのような文章が書けるのかは、常に関心があります。以前から積読本となっていたものを、長い年末年始の休みを読書に充てました。

事実、どんな本にも題名はあります。原題は"Tested Advertising Methods"で、これを直訳した「テストされた広告宣伝の理論」では、日本の一般読者の興味を引くのは難しいと思います。それを、「ザ・コピーライティング」という見出しを付けることで、何か読んでみたくなる気持ちを起こすことに成功していると思います。

結論として、広告業を本業とする方向けの内容が多かったのは確かですが、普通のビジネスパーソンでも活かせることは多いと感じ、特に印象的だった部分を以下に抜粋します。

2.内容

(1)見出しが命

  • 見出しは肝心なテーマ。ビジュアルがどれほど目立っていようが、ほとんどの広告では見出しが決定的に重要。ほとんどの人が、見出しだけを見て、関心があるかどうかを判断している。新聞の報道記事や社説の見出しとまったく同じで、その続きを読んでもらうために大きな文字で印刷した、簡潔なメッセージ。
  • 見出しがきちんとしていなければ、どんなに苦労して書いたコピーも何の役にも立たない。見出しに目を留めてもらえなければ、コピーがちんぷんかんぷんだって同じこと。見出しがよくなければ誰もコピーを読んでくれない。読んでもらえないコピーで商品は売れない
  • 読み手を引きつける見出しにしようと必死になるあまり、「手っ取り早くて簡単な方法」を強調しすぎて信頼性を失ってはいけない。信頼性を高める方法の1つは具体的な数字を入れること
  • 重要なのは何を言うかであり、どう言うかではない。意味のある内容を単刀直入に伝えるほうが、大して意味のない美辞麗句を連ねるより、相手の気持ちを動かす。
  • 実際に頭の中で、どんな理由なら、この見出しを書いている自分が本当にお金を払って、その商品やサービスを購入するだろうかと考える。そして、その購買理由を短い言葉で表現する。それが見出しになる
  • 自分の判断だけを頼りにしてはいけない。偏っている可能性がある。自分で書いた見出しにあまりにも近すぎる。自分には完璧によくわかる見出しでも、他の人にはわけがわからないかもしれない。
  • 人には物事のやり方を学びたいという気持ちがある。自分がやりたいことの方法が書いてある広告なら、熱心に読むもの。「○○する方法」という見出しの広告を出すと、問合せがたくさんある。
  • 「アドバイス」という言葉が相手に伝えるのは、このコピーを読めばちょっと役に立つ情報がありますよ、ということ。見出しで何かを買えとは言わない。無料のアドバイスを知らせているだけ。当然ながら、興味をそそるお知らせ。こうして相手をコピーに誘い込んだら、そのなかでアドバイスだけでなくセールストークを交えればいい。

(2)訴求ポイント

  1. セックス、セックスアピール
  2. :物であれ心であれ、お金で買えるあらゆるもの
  3. 不安:失う不安、手に入れたいものが得られない不安、あるいはその両方
  4. 義務感・自尊心・プロ意識:自分が得することではなく、自分の仕事を通じて接する相手にとって1番いいこと
  • 以上4つの訴求はすべて、買い手にとって1番いいことに焦点を当てている。売り手にとって1番いいことに触れているものは1つもない。
  • 広告で何よりも重要なのは訴求ポイント、つまり購入してもらう理由。見出しが重要と言うこれまでの説明と矛盾するように感じるなら、思い出そう。見出しと訴求ポイントはまったく同じもの。効果のあった広告では、訴求ポイントはまず間違いなく見出しで述べられている
  • 気づかれもしないキャッチフレーズや、好感であれ反感であれ思い出してもらえない広告のほうがダメな広告といえるかもしれない。「広告で最悪なのは、気づいてもらえないことだ」。
  • 「コピーの読まれ方」の「方」という言葉に特に注目。詩の古典的定義、「適切な言葉を適切なところに」と同じく、広告でも、何を言うかと同じくらい、言葉をどこに置くかが重要

(3)熱意を込めてコピーを書く方法/コピーの出だしはこう書く

  • 熱意が冷める余地を与えない。これが、熱意を持って書く秘訣の1つ。もし何かにワクワクしたら、鉛筆を握るなりキーボードに向かうなりして、そのワクワクをその場で書き留めること。
  • すべての説明文を「この物語は~」「この本は~」で始め、あとからその部分を削除するというもの。つまり、「この本は、思っていたよりもっと効果的なコピーを書く方法についてです」が、「もっと効果的なコピーを書く方法」となるわけだ。これは今でも、そしていつでもうまくいく。
  • 効果的な冒頭部を書く3つの簡単なルール
  1. 短くする。冒頭部分が長いと、読む気が失せる
  2. 見出しで言った内容を続ける。
  3. その商品を買って得られる1番の、あるいは複数の重要なベネフィットを短い言葉で伝える。1にも2にもベネフィット。何が得られるのか、その商品は何をしてくれるのか。それこそ人々が知りたいことであり、広告を読む理由

(4)コピーの売込み効果を高める方法

  • 広告で重要なのは、伝えたい内容が何であれ、相手に一瞬で理解させること。こちらに教養があるところを見せてただ相手に感銘を与えようとするだけの、ムダな言葉はひと言も許されない。
  • 広告に携わる人なら誰でもこう言う。コピーで具体的に言うことがいかに重要か、と。たとえば、「97,482人がこの電化製品を購入した」と言うほうが、「約10万台この電化製品は売れた」と言うより説得力がある。1つ目のコピーは事実らしく聞こえる。読んだ人は、購入者の実際の数を厳密に正確に数えたのだと思う。2つ目は、たぶん誇張して言っている、と思われてしまう。
  • 長いコピーと短いコピーの各支持者どちらも満足する解決策がある。簡潔なセールスメッセージを見出しと小見出しに入れる。詳しいメッセージをコピーに入れる。これで、次の2点が達成できる。①見出しと小見出しで、ざっとしか読まない人にも簡潔にメッセージが伝えられる。②商品に興味を持ち、もっと読もうとする人にはコピーで詳しく説明できる。
  • 一般的にコピーは削るほど質が上がる。つまり、500ワードのコピーを書くスペースがあるなら、ただ500ワードのコピーを書くのではなく、まず1,000ワードのコピーを書き、それから500ワードに凝縮する。コピーはスープストックのようなもの。煮詰めれば煮詰めるほど、味わいが濃くなる。
  • 脚色しようとしないこと。実際よりよく見せようとしているな、と相手が感じれば、その広告全体の信頼性が弱まってしまう。
  • たいていの人の意見のやっかいなところは、甘すぎる点。この問題を解決する方法の1つは、コピーでも見出しでも1案だけを見せるのではなく、2案見せて、どちらのほうがいいと思うかを尋ねる。そうすれば相手は一方を褒め、もう一方の悪いところを言ってくれる。この方法なら相手の本音を聞くことができる。
  • どの広告でも、説明するのはこれが最初で最後であるかのように書くこと。相手はその製品を以前何かの広告で見たことがあるはず、とあてにしてはいけない。どの広告でもすべてを説明すること。重要なセールスポイントを1つ残らず盛り込む。
  • コピーが長くなる、もしくは文字が小さくなることをためらわないこと。大事なのは、そのコピーで関心を引けるかどうかだ。「伝えれば伝えるほどたくさん売れる」ことを忘れないように。

(5)どんなレイアウトとビジュアルが1番注目されるか

  • 打ち込みにつながる3つの要素。ぎっしり詰まった文字のかたまりを目にすることほど、うんざりすることはない
  1. 短い段落
  2. 短い文
  3. 短くてわかりやすい言葉
  • 広告最大の役目は商品を売り込むこと。したがって、レイアウトやビジュアルを考える際、売込みが第1目的であり、芸術性は二の次
  • 目新しいことがない、発表するようなことがない場合でも、大きな文字の見出しにすることで、新情報らしい雰囲気を出すことができる。大きく扱われた言葉がその中で目立つので、読む人の目が留まる。目立たせた言葉だけでもきちんとメッセージが伝わる点に注目。そこが重要。単独ではメッセージが伝わらない言葉を強調しないこと。
  • この本の目的は、広告をより科学的なものにするよう促すことにある。とは言え広告は決して完全にはなりえない。人間臭い要素が絡んでいるからだ。つまり、広告を通じて相手にしているのは人間の意識や感情であり、そうしたものはいつまで経っても、いくらかは不安定なものであり、計測できない。だからこそ、テストにテストを重ねる必要がある。小さい規模でテストするまでは、大々的に費用をかけないこと。

3.内容

自身が書き手(広告に限りません)だけでなく、広告などの発注者側の人にとっても非常に有用な内容と思います。400ページを超えますが、ぜひ手に取って全体を読んでいただきたい本です。

自分でも、できるだけ作業依頼文では、いきなり文章を書かずに見出し・小見出しをつけるようにしています。つまり、目次や見出しだけを拾えば、その文書の全体構成がわかることを意識しています。だらだらと書いても、何がポイントなのかわからないと考えているからです。

特に、作業依頼の場面においては、受ける側からしたら「また面倒な依頼が来た」と思うに決まっています。それを「これだけ読めば手順がわかる」「意外とめんどくさくなくできそう」「やらないといけない」と思ってもらうことが重要です。何よりも前に、”これが作業依頼のメールです”と気づいてもらえないことには何も始まりません。

また、長く書いて圧縮する、スープのように煮詰める、というのはよくわかります。自分でも、説明資料を準備する際には、分量を考えずにまずワーッと書きたいことを書いて、それをA4で1枚に収めるためには何を削るか、無くても伝わる表現が残っていないか吟味します。

本書に書かれた基本的な内容を、文章を書く際にはこれからも意識したいと思います。

働くということ 「能力主義」を超えて 勅使川原真衣 著

1.はじめに

勅使川原さんの本を読むのは、以下に続いて2冊目です。

bookreviews.hatenadiary.com

当時は、職場でしっくりこないこともちらほらあって読みました。少し時間が経過したことで異動直後の「適応障害」的なところからは解放されましたが、改めて振り返ると、「働くって何だろう」と思うこともあり、本書も手に取りました。

snabi.jp

以下では、いつもと同じく、特に印象的だったところを抜粋します。これまで同様、要約ではありません。

2.内容

(0)序章:「選ばれたい」の興りと違和感

  • 誰それは報われるべき、誰それは努力が足りない、「能力」が足りない、と序列を明示し、その順にもらいが変われば、生きる糧・豊かな暮らしをしたいおよそすべての人々は、こぞって序列を上げるために、競うようにして頑張る。統治側にとって、政治責任を追及されるでもなく、「自助」の前提で頑張り続ける国民が量産できるだなんて、最高すぎます
  • 不平等を解消したかに見せて、実態は相も変わらず、もとい、より見えにくい形で、生まれ落ちた家庭の階層を引き継いだ階級社会になっているんじゃないの?つまり「能力主義」の「本人次第でいかようにも人生を選べる!」というのはプロパガンダに過ぎず、実態としては、親の階層を子が受け継ぐ傾向が可視化されたのでした。
  • 「能力」次第で豊かにも貧しくもなるとなれば、人生の一大事であり、当然「能力」の要請にはできるだけ応じようとするのが人の性。そうなると、かつて「学力」を求められたときは、学校の勉強を一生懸命やれば、それなりの成果が出たでしょうが、だんだんと複雑な様相を呈してきます。社会で活躍するには、勉強だけできてもしょうがない。「コミュ力」「人間力」「生きる力」といったお馴染みの言説が幅をきかせます
  • 「怒らない技術」なども結構なことですが、個人がいつもご機嫌で、目くじらを立てないことが推奨されてしまうと、本来見直されて然るべき社会の構造や政治的な問題はどうなってしまうのか、とても気がかりです。このようにして、人として当たり前の感情すらも個人のコントロール下に置かれ始めている「能力」
  • 「能力」をこの目で見たことのある人はいません。なのに、その存在を大の大人も信じきっていて、「正確に測る」と称してテストをし、他者のそれと比較、「もっとああしろ、こうしたほうが将来のためだ」と「欠乏」を突き付けてみたり、「上には上がいるぞ」と発破をかける。際限なく高みを目指すよう、縦方向に「能力」獲得を促される。いや、横への広がりも半端ない。

(1)第1章:「選ぶ」「選ばれる」の実相-能力の急所

  • 人が人を合目的的に選べるはず・選ぶべき、という発想自体が実は、非常に限定的な対象にしか当てはまらない話のように思うのです。「どのように人を選べば、最大の効果を見込めるのか?」なんてのは、贅沢な悩みというか、二の次、三の次、ちょっと浮世離れした話だわ、という企業こそ多数派というわけです。
  • 本来、「HOW(どう選ぶか)」がスタート地点ではありません。「WHY(なぜ選ぶのか)」こそ問うべきと考えます。そう問うていくと、改めて、能力の中身に拘泥していてはもったいないと気づきます。
  • 他者の動きを想定しながら、他社の存在を自己に投影し合いながらやるのが仕事です。そうして、持ちつ持たれつ繰り広げられる仕事なはずですが、「成果」「功績」「手柄」の話になると、急に個人単位になる。これはいささか無理があるのではないでしょうか。他者がいて、自分という存在が呼応しながら、なんとかやるのが仕事。

(2)第2章:「関係性」の勘所-働くとはどういうことか

  • 「問題なんです!」と言うことが本当に問題なのか、常に疑っています。ご相談をいただく際には、「これこれが問題なんです」との訴えそのものに聞き入るというより、何を問題だと当人が「語っている」のか?に神経を集中させます。
  • 本当は組織として策を講じるべきところを、個人の能力の問題に矮小化しているのではないか?個人の問題にしたほうが都合のいい誰か、つまり特定の人の利害と結びついたまま、問題が「設定」されていないか?わかりやすさが実際の有用性より優先されるなど、問題解決用に問題視されていないか?
  • 怒っている人は困っている人」。怒りは最初に感じる一次感情に次ぐ二次感情ですから、一次感情としては、まずは「戸惑い」なわけですね。目に見えるのは「抗議」や「反抗」という形かもしれませんが、必ずその前に、その人は何らかの事情で戸惑ってしまったのだということを理解したいところです。
  • 言動の「癖」や「傾向」は個人個人で違いがあります。その「持ち味」同士が周りの人の味わいや、要求されている仕事内容とうまく噛み合ったときが「活躍」であり、「優秀」と称される状態なのではないでしょうか。周囲の人たちの状況や、タイミングなど、偶然性が多分に影響しているのです。
  • 自分を自分として生きる人それぞれを「いいね」と組織が受け入れ、組み合わせの妙によってどうにかこうにか「活躍」してもらうーこれが組織論的脱・「能力主義」の土台です。
  • 問題の根源は、「一元的な正しさ」に社会が支配されていることです。多様なはずの人間にとって、「正義」の名で選択肢を狭めることが息苦しいのです。
  • 間違っても、「あれが足りない」「まだまだ」だなんて、たとえ自分に対しても言わないでほしいのです。「謙虚」とはそういうものではありません。自分の未熟さを知った上で、凸凹した者同士が互いに、「それなりにいい味出してるよな!」とハイタッチするような姿が、自己の能力なんかを過信しない「謙虚」さなのだと私は考えます。
  • いい悪いではなく、ただただ「今こんなこと思ってるんです」の積み重ね、他者と重なる部分もあればそうでない部分も、そのまんま持っていてください。なんでも美談にしないと気が済まないのは、現代人の悪い癖です。
  • 強気なあなたにお伝えしたいのは、自分の後頭部を自分の目で見られる人はいますか?見られないのは能力の問題なのでしょうか?むしろ自身の限界を知り、周りのサポートをてこにしながら対応する術を知っているかいないか、が問題だと言うべきでしょう。

(3)第3章:実践のモメント

  • 「できる上司は~」「世界のエリートはなぜ~」…職場での生き残りをかけた攻略本は雨後の筍状態。けれどなかなか解決しないから、いつまでも手を変え品を変え指南書が出続ける。「働くということ」のしんどさの軽減を謳う産業は、もはやダイエットのようなコンプレックス産業に近いものを感じてしまいます。
  • 「正しさ」や「序列」「優劣」には際限がありません。終わりなき旅なのです。どうせ頑張るなら、今の自分や周りの他者を否定して、「もっともっと」を求める人生ではなく、自分自身を舵取りすることに精を出す。そして、永遠に終わりなき「正しく人を選ぶ」旅は今日でやめにする。「選ぶ」ということばは、他者に対してではなく、自分に使ってこそ、「働くということ」を豊かにするもの
  • 「優秀」な人を「選ぶ」のでも、「優秀」な営業に「育てる」のでもない。一元的な「正攻法」を捨て、どんな人材にも拙速に良し悪しをつけることなく、他者と組み合わせながら適切な職務に相対させる。「選ぶ」のは他人のことではなく、自分自身の気持ちを俯瞰しながら、落ち着いて自己のモードこそを「選ぶ」のだ。
  • 一元的なやり方を「正攻法」のように扱わず、多様な顧客の多様なニーズを1人の個人に背負わせるより、多様な持ち味の多様な営業パーソンで分担しあいながら負ったらいいのです。一元的な基準ではこぼれてしまう人に、その人に合った役割、在り方を提案できるのが脱・「能力主義。つまり個人の能力一辺倒ではなく、凸凹の持ち寄りという「関係性」でなんとか前に進む方向性を提案できるというのが組織開発の強みなわけです。
  • 個人はレゴブロックのようなものです。小さな1つのブロックに、「あるべき姿」だのなんだのと言って、あれができてこれもできて…と追い求めることは、ナンセンスです。それどころか、1つのブロックを予測可能な範囲で小さくまとめているに過ぎないことも多々あります。「優秀」な人を「選ぶ」発想から、組み合わせの妙にこそ気づけるよう、自身のモードを「選ぶ」。

(4)終章:「選ばれし者」の幕切れへー労働、教育、社会

  • 新しい視座を身につける前に、「あぁなるほど、そういうふうに仕事を進めたかったんだね」と思ってもらえるような、温かな視線で見守られる経験は不可欠です。一旦自分を受け入れてもらう、という経験です。他者に受け入れてもらった人にしか、他者を受け入れ、新たな視座に立つことなんて、できません
  • 相手の口を塞がないことーこれが、意外に思う方もいるでしょうが、社会構成員を養成すると謳う者が担うべき基本所作であると思うのです。企業で言えば、「心理的安全性」と呼ばれるものに近いかと思います。まずここにいていいんだな、と思わないで、何を学べましょうか。挑戦できましょうか
  • 「働くということ」に欠かせないのは、「一元的な正しさ」を強制力をもって教え込むことでも、それを体現する「高い能力」「強い個人」でもありません。むしろ、どんなため息にも耳を傾けるような余裕、懐のようなものが、望まれています。相手の口を塞ぐようなことがはびこっていたら、それは「働くということ」がうまくいっていない証です。
  • 相手が安心して真意を吐き出すことができる空間をつくった上で、それによって意見を交換すること。その際に、変えるべきは相手(他者)ではなく、まず自分のモードを問うてみる。真面目で一生懸命な私たちが引き続き頑張るとしたら、この点です。誰かのものさしに合わせて、人を「選ぶ」ことでは決してありません。
  • 個人が回答したデータはその回答者に帰属するはずです。回答者本人に還元されてしかるべきなのです。「見える化」「エビデンスベースド」と叫ばれますが、データが本人に有益な形で返されているでしょうか。エビデンスがあると誰が喜ぶのですか?などと、ぜひ問うことを諦めないでいただきたいものです。
  • 「仕事」とはこういうことだ、と言われがちなことほど、実は議論が端折られた、案外心許ないものだということです。本書が推奨してきた「働くということ」-自己と向き合ったり、他者の心の内を感じたり、問いかけることーについて、「余裕がない」「無駄」などの逃げ口上で、「取るに足らない」ことだと断じるのは、是非再考してほしく思います
  • ゴールを決めない、「完成」という概念があるとはなから思わない、とはまさに効率やタイパの真逆中の真逆です。未来を決めつけず、今できることを周囲とがちゃがちゃ試してみる。「失敗前提ですよ、完璧があると思ってないので。徐々に、ちょっとずつ変えていけばいいじゃないですか」
  • 本書が示す「働くということ」の本質は、まさに、分かりやすいものだけではなく「よく分かんないなぁ」というものにこんな感じで出会いませんか?という誘いでした。星の王子さまではないですが「本当に大切なことは、目に見えない」とはその通りで、派手さもかっこよさもない。めんどくさくて、ややこしく、時に支離滅裂。そこに真正面から向き合うのが本書の「働くということ」です。

3.教訓

先日、会社近くの丸善にふらっと立ち寄りました。

そこで面陳列、平積みになっていた本の一例を以下に挙げてみます。

  • 世界の一流は「休日」に何をしているのか?
  • 世界の一流は「雑談:で何を話しているのか?
  • 仕事ができる人の当たり前
  • エグゼクティブはなぜ稽古をするのか
  • 「ドイツ人」のすごい「働き方」

などといったものです。

別に”世界の一流”になりたい人ばかりではないはずだし、”当たり前”の基準は人によって違うはずで、なんとも息苦しさを感じてしまいます。本書でも、”コンプレックス産業”だという言及がありました。

みんなそれぞれが何でもできるスーパーマンではない中、持ち場持ち場で頑張っていて、それが会社という組織になっている。勅使川原さんのいう、1人1人はレゴブロックのようなもの、という例えは非常にわかりやすく、心に響きます。個々のブロックからは想像できないものが組み上がります。

employment.en-japan.com

他者を「選ぶ」のではなく、他者と自分をどう補え合えるのか自分のモードを「選ぶ」という発想は、これからも意識して持っておきたい観点だと気づくことのできる良書でした。

終章に出てくる、こたつから左手を出さずにご飯を食べる子どもに対し、母親が「手を出しなさい」と何度怒っても直らなかったものが、他の家族が「家の中、寒くない?」と話すのを聞いて室温を上げたら、自然と左手を出してご飯を食べるようになった、というエピソードは、環境や前提を自分で捉え直すという意味で象徴的だと感じました。