管理職おすすめの仕事に役立つ本100冊×2

課長経験者が身銭を切る価値のあるのおすすめ本だけを紹介するページ(社会人向け)

抱え込む男たち ケアで読み解く生きづらさの正体 奥田祥子 著

1.はじめに

奥田さんの本は「等身大の定年後」に続いて2冊目です。

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前回同様、長ければ20年ほど、同一人物を追いかけてインタビューしているところに特徴があります。

その間、その人物それぞれに苦悩があり、奥田さんのインタビューに応じてもらえない期間を経て、自身を振り返り、これからに向けて歩みを進めていく過程が記されています。自分にもこういう時期があったなぁ、と電車の中で思わず「うーん」と唸りながら読み進めました。

以下では、特に印象に残った箇所を散発的に引用していきます。

2.内容

(1)「ケアできない」男たちの肖像

  • 介護や育児などの労働性の強いケアを「強いケア」、対人関係において示される配慮や気配り、気遣いといった労働性の弱いケアを「弱いケア」と呼び、両者の関連を理論的に整理している。強いケアがうまく機能するための必須条件として、弱いケアが存在する。ケアの受け手への配慮、気配りがあってこそ強いケアが受け入れられ、ケアが持続可能であり、弱いケアこそが対人関係中のケアの基底に不可欠な要素
  • 相手をケアすることができず、相手からケアされることも軽んじてきた男性たちを擁護するわけではない。ただ、その根底には個人に起因する問題ではなく、ジェンダー規範を具現化するため、特権と引き換えに彼らが受け入れてきた長時間労働や出世競争による生活の質の低下、社会関係資本の乏しさなど、社会構造上の問題としての生きづらさがある。

(2)ケアの欠如が職場を壊す

  • 職場において、上司、部下にかかわらず、相手が自分に求めているニーズを知ろうとせず、配慮や思いやりなどの情緒的ケアの能力が低いことが影響し、パワハラやセクハラに至るケースが後を絶たない。特筆すべきは加害者とされたいずれに男性も、過去の就活中の学生時代や若手社員の時期に、自分が相手からケアされず、パワハラや偏見・差別的言動を受けていたこと
  • 「ちゃんとして」「しっかりと」などの曖昧で強制的な表現を避け、わかりやすい言葉で伝える。そして、肯定的で前向きな表現とともに、「私はこう考える」「~してもらえると私は助かる」などと、「自分」を主語にした話し方を心掛ける。話す相手を視点にしてしまうと、「(あなたは)~すべきだ」「(あなたは)その方法ではうまくいかない」といった伝え方になり、相手はそれを攻撃的な表現として受け止める可能性がある

(3)身体的ケアのリスクー育児や介護の現場から

  • 育児や介護など身体的ケアの提供をスムーズに効果的に進めるためには、相手への気遣いや配慮などが不可欠であるにもかかわらず、男性は女性に比べて、情動的ケアの能力に劣る傾向がある。男性が情緒的なケア力に乏しいまま身体的ケアにあたると、ケアの受け手が求めるニーズをくみ取れずに相手との関係に溝を生じさせるばかりか、子どもや高齢者への心理的、身体的虐待など、重大な問題につながりかねないリスクを抱えている。
  • 彼が深い苦しみを抱えていたのが、母親の介護、それに伴う辞職による社会的孤立。そうして、その背後には、本来必要な「ケア」とは似て非なる、相手との関係性において自分の価値を見出そうとする「共依存」という深刻な問題が存在。親密性とは対極にあり、相手を機能としてしか捉えず、「愛情」を利用して支配しようとする
  • モラハラは、対人関係において情緒的なケア力の欠如が招く心理的な虐待といえる。男性のケア力の欠如は、相手への虐待やネグレクトなど深刻な事態を招くばかりか、己の心をも傷つける。

(4)自分を大切にできない男性

  • 男性がケアし、ケアされることを「自分事」として捉え、相手に気遣いや思いやりなどの情緒的ケアと、育児や介護などの身体的ケアを与えるとともに、自らに対してもケアし、自分を大切にすること。そして、ケアの受け手としても、他者から気にかけてもらい、助けられてきたことを自覚して受容し、相手への無自覚な依存から脱却することが求められている。
  • 相手に配慮し、思いやることができないまま、対人関係に亀裂が入り、職場のハラスメントや家族への虐待など深刻な事態を招いたケースの男性たちに共通していたのは、周囲からの評価を過剰に気にして、他者との比較によって自分の存在価値や立ち位置を確認しようとしていたことだった。
  • ケアし、ケアされる相手との関わり方も非常に重要。自己と他者という二者関係において、相手を何かの目的のための「手段」、つまり「機能」としてだけ扱うのではなく、相手の存在そのものを「目的」と捉える関係性がケア力の育成につながる。言い換えれば、相手を機能としてしか見なしていなければ、そこには信頼も思いやりも存在し得ない。
  • 職場で部下の存在について、自分の管理・監督能力の評価や実績を上げるための手段として扱うことを重視するのか、部下の能力を高めて活躍を後押しする、つまり相手の成長自体に主眼を置くかにより、相手から信頼を得られるかどうかは変わってくる
  • 相手を「支援」しているつもりが、実は「支配」しているケースは少なくない。相手の存在をどう捉えて関わっていくかを誤ったために、意図せずとも、パワハラや心理的・身体的虐待など、重大な事態を招く場合は思いのほか多い。
  • 男性中心の企業社会では、特権と引き換えに長時間労働や出世競争による生活の質の低下、社会関係資本の乏しさなどを彼らは受け入れてきた。男性が自分を大切にできず、相手をケアする能力が低下傾向にあるのは、伝統的な「男らしさ」規範を具現化し、男性優位社会で手にした特権を維持するための「代償」を払った結果でもある。その末に男性は憤りや不安、孤独感などのネガティブな感情も、職場や家庭・私生活におけるさまざまな問題も、すべて抱え込んでしまっている。

3.教訓

男尊女卑という言葉に象徴されるように、ジェンダー論はどうしても女性擁護の文脈で語られがちです。しかし、その裏側には、男性自身が「男児たるもの」「弱音を見せるな」といった価値観に縛られ、自らを追い込んでしまう現実もあります。

会社でも家庭でも弱音を吐けない、いい父親・いい夫でいなければならない──振り返ってみると、自分自身もその枠組みの中で生きてきたのだと感じます。

ケアされた経験が乏しいと、他者をケアすることが難しくなる。自分が受けてきた“仕打ち”とも言うべき扱いを、悪気なくそのまま相手に再現してしまう。これは性格の問題というより、経験がそのまま判断軸や行動パターンになってしまう、人間の自然なメカニズムなのだと思います。

また、本書のインタビューでは「何を語ったか」だけでなく、「どう語ったのか」という非言語の情報が丁寧に記録されています。たとえば、以下は本書の「はじめに」にある一節です。

当時の手書きの取材ノートにも、言葉だけでなく、視線、体の動きなどの様子を克明に記しており、大いに活用した。例えば、能面のように感情の表出を抑えていたかと思えば、突如として顔を紅潮させ、目には涙を湛えて思いの丈をぶつける。「大丈夫ですよ」という言葉とは裏腹に、視線が泳ぎ、座っている状態で片方の膝が小刻みに動いている、などの観察記録である。

この一節を読んで、話を聴き、その人の思いを受け取るには、言葉以上に非言語のコミュニケーションが重要なのだと、改めて実感しました。

ジェンダー、ケア、経験の継承、そして人の語り方に宿る真実──さまざまな気づきを与えてくれる良書でした。

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 西林克彦 著

1.はじめに

何度か書店で平積みされているのを見かけ、前から気になっていました。

新刊だと思い実際手に取ってみたら、初版は2005年と、今から20年以上も前の本です。

それでも売れ続けているのには何か理由があろうと思い購入しました。

実際に読んでみると、考えさせられること、反省させられることが多く、学びの多い一冊でした。以下では、強く印象に残ったところを引用して紹介していきます。

2.内容

(1)「読み」が深まらないのはなぜか?

  • 「わからない」「わかる」「よりわかる」に関する知見をまとめておく
  1. 文章や文において、その部分間に関連がつかないと、「わからない」という状態を生じる
  2. 部分間に関連がつくと、「わかった」という状態を生じる
  3. 部分間の関連が、以前より、緊密なものになると、「よりわかった」「よりよく読めた」という状態になる
  4. 部分間の関連をつけるために、必ずしも文中に記述の無い事柄に関する知識を、また読み手が作り上げた想定・仮定を、私たちは持ち出してきて使っている
  • 浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、その状態が「わからない」からではなくて、「わかった」状態だから。「わかったつもり」が、そこから先の探索活動を妨害するから。
  • わかった状態になったとき、各部分からは、「文脈と矛盾なく関連がつき、文脈を介して他の部分とも矛盾なく関連がつく意味」が引き出されている。そうなっていないときには、わかった状態にはならない。部分から「引き出されたこれらの意味」は、「部分の記述」と「文脈」とをつなぐ機能を果たしている。

(2)これが「わかったつもり」だ

  • 「わかった」状態は、よく言えば1種の「安定状態」だが、逆の言い方をすれば「停滞」状態。「わかったつもり」から「よりわかった」へ至る作業の必要性を、本人が感じない状態でもある。「わかったつもり」は、このような意味で、かなりやっかいな存在。
  • 大事なのは、正答するかどうかではなく、文章における「全体の雰囲気」というのが「魔力」を持っているという事実。「全体の雰囲気」が「部分の記述」から「全体の雰囲気」に都合のよい「意味を引き出し」てしまう
  • 最初の「わかったつもり」を、丹念に読むことによって壊したとたんに、さらなる矛盾が待ち構えていることが少なくない。「矛盾」や「疑問」は、次の「よりよくわかる」ための契機となるもの。「矛盾」や「疑問」はネガティブに捉えられることも少なくないが、むしろ次の解決すべき問題を発見できたという意味で、「認識の進展」という観点からはポジティブな存在。

(3)さまざまな「わかったつもり」

  • 「間違ったわかったつもり」を作り上げるほどに、文脈の力は大きい。文脈は「諸刃の剣」。適切な文脈がなければ「わからない」状態を引き起こすが、存在する文脈が強力であればあるほど、それによる間違いを引き起こす可能性が高くなる
  • ものごとには、いろいろなものがある。そして、それは当たり前のこと。しかし、その多様性に圧倒された結果、「いろいろある」と思ったとすれば、人はそれ以上の追求を止めてしまう。うまく分類や整理ができそうにないとき、「いろいろある」という言い方が言い訳として使われるのではないか。

(4)「わかったつもり」の壊し方

  • よほど難しいことが書かれていてわからなければ別だが、普通の文章なら、私たちは、読めばまず「わかった」状態になる。「わかっている」けれど「大雑把」-通常これが私たちの一読後の状態。すなわち、私たちは、一読後は「わかったつもり」の状態にある。「わかっている」と思っているけれど、「わかったつもり」の状態にあるのだ、と明確に認識しておくことが必要。「わかったつもり」は、ひとつの「わかった」安定状態なのでそこに安住してしまう。
  • よりよく読むためには、自分で作り上げた現在の「わかった」状態を、自分で壊さなければならない。この時、自らの甘さを痛感させられることにもなるので、それはなかなか大変なこと。このような意味で、敵は自分であるとも言える。
  • 文脈の交換によって、新しい意味が引き出せるということは、その文脈を使わなければ、私たちにはその意味が見えなかっただろうということ。すなわち、私たちには、私たちが気に留め、それを使って積極的に問うたことしか見えない。それ以外のことは「見えていない」とも思わない。
  • われわれが文章を理解するうえで構築する想像・仮定を構築する際に、どれくらい合理的であり得るだろう。だから、自分の解釈の「正しさ」を信じたり、「正しさ」を強調することは、他の解釈を排除することにもつながりかねない。自らの解釈を押し付けることにもなりかねない。

3.教訓

実際に教科書で使われた例文と、それに基づく問題に取り組んでみると、一読しただけで「理解したつもり」になっていた自分に気づかされます。文脈や前提、全体の雰囲気から「だいたいわかった」と判断してしまうと、それ以上深く考えなくなる──その説明は非常に腑に落ちるもので、まさに自分に当てはまると感じました。整理しきれないときに「まぁ、いろいろあるよね」と曖昧に済ませてしまう自分もいます。

職場でも同じようなことが起きます。複数の意見を取りまとめる場面で、相手がそれなりの立場の方だと「この人ならしっかり書いているだろう」と思い込み、内容を十分に確認しないまま次の担当者へ回付してしまうことがあります。その結果、意味が通じない箇所について「ちゃんと読んで確認した?」と指摘されることもあります。

また、自分では筋道が通っているつもりで文章を書いても、同じ背景や前提を共有していない相手からは「なぜこのような論理展開になるのかわからない」と言われることがあります。自分の中では理解しているつもりでも、他者から見ると「わかったつもり」の状態に過ぎない──そのギャップを痛感する瞬間です。

だからこそ、”「わかっている」と思っているけれど、「わかったつもり」の状態にあるのだ、と明確に認識しておくことが必要”、という一文には、強い重みを感じました。

企業文化 エドガー.H.シャイン著 金井壽宏 監訳

1.はじめに

シャインといえば、キャリアコンサルタント資格の学習でも必ず名前が挙がる、「組織開発」「キャリア開発」「組織文化」の第一人者です。

私自身、これまでも何冊か著作を読み、その都度ブログに感想を綴ってきました。

bookreviews.hatenadiary.com

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本書も以前から手に取りたいと思っていたのですが、ハードカバーの重厚さもあって、長らく積読のままになっていました。そんな中、GWに一人で実家へ帰省する機会があり、移動時間も含めてまとまった読書時間が確保できると考え、今年のGWの“個人的な課題図書”として選びました。

積読本を読み始めるとよく感じるのは、「もっと早く読んでおけばよかった」という思いです。本書もまさにその一冊で、含蓄に富んだ内容が随所に散りばめられていました。特に心に残った部分について、以下で引用しながら紹介していきます。

2.内容

(1)企業文化はなぜ重要なのか

  • 文化は重要である。なぜならば知らないうちに意思決定に文化的な力が作用して、予期せぬあるいは好ましくない結果がもたらされることがあるから。文化を真剣に考慮するということは、その結果を予想し、それが好ましいかをどうかを考慮して、選択をするということ。
  • 社歴を経るにつれて、もし会社が自身の文化的要素を発展、適応、変更していかないならば、会社は徐々に時代遅れとなる。そして、文化が学習し変更していくための重大な阻害要因となってくる。組織は、成功をもたらしてくれたものには何にでもしがみついてしまう。環境が変化し新たな対応が求められていることに、成功をもたらした文化そのものが原因となって、組織のメンバーが気づくのが困難になる。つまり、文化が戦略の阻害要因になる。

(2)企業文化とはいったい何か

  • 文化の本質はこのような集団として獲得された価値観、信念、仮定であり、組織が繁栄を続けるにつれてそれらが共有され当然視されるようになったもの。集団として獲得する過程から生じたという点が大切。
  1. 文化は深い。文化を表面的な現象として扱い、思いのままに操作し、変革できると思っているとすれば、間違いなく失敗するであろう。
  2. 文化は広い。グループはその環境での生き残りの方法を学ぶにつれ、グループの内外をとりまくあらゆる関係について学習していくことになる。
  3. 文化は不変。グループのメンバーは自分たちの文化面の過程にしがみつきたがる。文化が変わる恐れがあればどのような場合でも、変わることへの大変な不安と抵抗が生じる。

(3)企業文化は何を基に築かれるか

  • システムがうまく機能し続けるにつれて、物事のやり方として当然視されるようになる。そのため、ある会社から別の会社に転職してきた従業員は、新しい環境で仕事をするのが困難であると感じる。このため、いったん組織が強力な文化を持つに至れば、従業員はその組織の中で昇進するのを好む。外部の人間に「ここでのやり方」を教えていくのも困難を極めることとなる。
  • 「望ましい文化」としばしば呼ばれているものは、現状の文化では本当は保持できない表向きには標榜されているだけのタテマエの価値観。その文化は、階層、厳格な統制、管理職の特権を肯定し、従業員とのコミュニケーションには制限があるとする深層の過程に基づいて築かれてきた。

(4)変容

  • 人々は変革に抵抗する。というのも、これを学習棄却するということは、不愉快で、不安が生じることだからだ。人々に表面上の行いを変えるように強制することはできるが、そのように行動を変えさせても、もっと深いレベルで何らかの変容が起こらない限り安定したものとなり得ない。
  • 人間のシステムでは、安定した均衡状態を維持しようとする傾向がある。もし、変化が生じねばならないとすれば、何らかの新しい力で、均衡状態を揺るがす必要がある。これらの力を認識し、管理していくことで、変化への動機づけを行うことができる。それなので、どのような変化でも何らかの現状否認から始まる
  • 新しい概念を学んだ結果として新しい行動がとれるようになっても、その行動が自分の仕事や社会的集団に調和しない場合には、グループを重視してもとの概念と行動に逆戻りすることになる。さもなければ、新しい概念と行動により価値を置くのであれば、そのグループを去ることになるだろう。

(5)成熟企業における企業文化の動態

  • 初期の段階では、リーダーシップによって文化が作られてきたが、今や文化がリーダーを創り出す。その鋳型に適合できる管理職しかトップまで登りつめることができないという意味ではそうなっていく。実際、この段階では文化の最も危険な側面として、組織で行われていることの大半を無意識のうちに決めてしまうということがある。組織の使命や戦略さえもである。
  • 事業慣行を変えること、経費削減を図ること、規模の適正化などによって、必ずしも文化が変革されるわけではない。既存の文化に影響を与える変革を行わねばならない場合のみ、文化を変えることが課題となってくる。
  • 既存のはえぬき幹部集団はしばしば自分たちを成功させてきた古い文化にしがみつくため、事業場の問題解決以前にこの古い文化を置き換えておく必要がある。したがって、多大な人的犠牲を伴わないで主要な文化の改革ができるというような幻想を抱いてはいけない。古い文化面の仮定を破壊するのは、組織はその文化の体現者を変革するか、排除する必要がある。

(6)文化が出会う時

  • ジョイント・ベンチャーでは、2つの異文化を統合して新たな文化を創造することになる。いずれにしても、融合や同化の問題は、新たな組織、あるいは全体としての組織に共有された歴史が無いという事実から生じてくる。そのため、おそらくは一方、あるいは他方が劣等感や脅威を感じたり、怒りを抱いたり、防御的になったりする。
  • 突然、自分のやり方が全く理にかなっているように思え、どうして「相手」が異なったやり方でやりたがるのか一体全体理解できない。この時点で、相手を説得しようとする心理状態に陥る。相手が自分に同意しなければ、相手のことを道理にかなわない人たちだという固定観念を押し付けることになる
  • 異文化間の理解の鍵は対話。きちんと対話が成り立つような話し合いを開始する鍵は、議論で参加者を打ち負かそうとする欲求、参加者が話すこと全てに聞き返して明瞭さを求める欲求、意見の違いが生じたときは常に互いに挑戦し合うという欲求を保留できるだけの安心感を参加者が持てるような場を創造すること。

(7)文化を真剣に考えるリーダーにとっての文化的現実

  • 組織の文化が強力で、深部まで達しているかどうかは、以下に依存する。
  1. 組織の創設者の強力さおよび明瞭さ
  2. その組織のメンバーが一緒に行った共有の経験の量と強烈さ
  3. 組織がどの程度成功してきたかの度合い
  • 文化は、それゆえ、社会的学習の産物である。共有され、しかもうまくいった思考および行動が文化の要素となる。そのため、新しい文化を「創る」ことはできない
  • 文化を変革するという考えからは決して出発しないこと。常に、組織が直面している課題から始めること。事実上の課題が明確である時のみ、文化がその問題を解決する助けとなるか妨げとなるかを自問自答すべき。組織の運営に変革が必要な場合、弱さであるかもしれない要素を変えようとするよりもむしろ、既存の文化的強さを土台に築いていこうとする方が良い。
  • 明らかに機能不全に陥っている文化の要素を抱えている中年期の組織の場合、文化をアセスメントし機能不全の要素を特定し、そのような要素を体現している人を見つけ、彼らを排除する。これもまた、痛みの伴うプロセス。
  • 文化について学ぶには、努力が必要。視野の幅を広げなければならない。自分自身の思考プロセスも検討する必要がある。別の考え方、別のやり方もあることを受け入れねばならない

3.教訓

本書は、以下の文章から始まります。ここを読んだ時点で、これからどんなことが書かれているのか、どんなことが学べるのか、期待感でいっぱいになりました。

文化は重要である。なぜならば知らないうちに意思決定に文化的な力が作用して、予期せぬあるいは好ましくない結果がもたらされることがあるから

本書では、転職やジョイントベンチャーなど、異なる企業文化が交わる場面が多く取り上げられています。しかし、同じ会社の中であっても、事業部をまたぐ異動や、営業店と本部の行き来など、文化の違いに直面する場面は少なくありません

うまくいっている組織では、多少の課題があっても、そのやり方が「正」として受け入れられ、いつの間にか有形無形のローカルルールとして定着していきます。しかし、その“当たり前”は外から来た人にとっては強烈な違和感となり、戸惑いを生むことがあります。

私自身、未経験の事業領域へ異動した際には、まさにカルチャーショックを味わいました。あのときの感覚は今でも完全には消えていません。

本書の終盤には、次のようなメッセージが記されています。

文化について学ぶには、努力が必要。視野の幅を広げなければならない。自分自身の思考プロセスも検討する必要がある。別の考え方、別のやり方もあることを受け入れねばならない

まさにその通りだと感じる一方で、頭では理解していても、実際に変化へ適応することの難しさも痛感します。

私は今、組織変革の中心にいるわけではありませんが、本書の視点は非常に示唆に富んでおり、自分自身や自組織を客観的に見つめ直す貴重な機会となりました。積読のままにしておかず、読んで本当によかったと思える一冊でした。