40代課長がおすすめする仕事に役立つ本100冊

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現代の経営(上) P.F.ドラッカー著


 

1.はじめに

自身では15年以上前に購入して読みましたが、会社近くの書店で「世界の起業家が学んでいるMBA経営理論の必読書50冊を1冊にまとめてみた」の目次を見ていて、本書が冒頭1冊目に紹介されていたので、改めて読み直しました。

ダイヤモンド社の「ドラッカー名著集」でも、経営者の条件に次ぐ、2番目として発売されています(3番目は下巻)。

drucker.diamond.co.jp

今回は、まずは上巻の内容から、印象に残った部分を引用したいと思います。

2.内容

(0)序論:マネジメントの本質

  • 経済的な成果を上げられないならば、マネジメントは失敗である。消費者が進んで支払う価格で、望む財やサービスを提供できなければ失敗である。自らに託された経済的資源を使って、その資源の富を創出する能力を増大させることができなければ、あるいは少なくとも維持できなければ失敗である。ここにマネジメントの特性がある。
  • マネジメントの評価の決定的な基準は、事実上の成果である。知識ではなく成果が当然の基準であり目的である。換言するならば、マネジメントとは、科学や専門職業の要素を含んでいても、そのいずれでもなく、あくまでも実務である。
  • マネジメントは、単に経済の中に投げ出された一存在ではなく、経済を自らつくるものである。マネジメントは経済環境の主人公として、意識的かつ目的的な行動によってその環境を変える限りにおいてのみ、真にマネジメントしているといえる
  • 現在と未来を同時に満足させず、調和させず、あるいは少なくともバランスさせなければ、富を創出する資源としての資金は危険にさらされ、損耗させられ、あるいは消失させられる。マネジメントは、常に行動のための意思決定に関わりを持つ。したがってマネジメントには、常に時間という次元が存在する。行動は、常に将来における成果を目標とする。単に知ることについてでなく、行動することについて責任を持つ者は、すべて未来に向かって行動する

(1)第Ⅰ部:事業をマネジメントする

  • 事業の目的として有効な定義はただ1つ。それは顧客を創造することである。市場は、神や自然や経済的な力によって創造されるのではない。企業人によって創造される。実際には事業家の行為が人間の欲求を有効需要に変えたとき、初めて顧客が生まれ、市場が生まれる
  • 企業にとっての第一の責任は、存続することである。換言するならば、企業経済学の指導原理は利益の最大化ではない。それは損失の回避である。したがって、企業は、事業に不可避的に伴うリスクに備えるために、余剰分を生み出さなければならない。リスクに対するこの余剰分の源泉は1つしかない。利益である。
  • 「われわれの事業は何か」を知るための第一歩は、「顧客はだれか」という問いを発することである。現実の顧客、潜在的な顧客はだれか。顧客はどこにいるか。顧客にいかに到達するかを問うことである。
  • 事業は直感で行うことはできない。意思決定からその結果が出るまでの時間的な間隔が極めて長くなっている現代の経済においては、直感に頼るマネジメントは、企業の大小にかかわらず許されざる贅沢である。そして、優れたマネジメントのもとにある事業が上げる利益は、偶然のものではない。まさに、あげるべくしてあげるものである。
  • 事業の目標として利益だけを強調することは、事業の存続を危うくするところまでマネジメントを誤り導く。今日の利益のために明日を犠牲にする。そして、資本収益率の数字を悪くするような設備投資を避けるようになる。そのため、設備は危険なほどに老朽化する。換言するならば、最も拙劣なマネジメントを行うよう仕向けられる。
  • 目標の設定を実りある方法にする方法は1つしかない。何を評価測定するかを決定し、その評価測定の尺度を決定することである。何を評価測定するかによって、注意を払うべきものが規定される。何を評価測定するかの決定が、物事を目に見える具体的なものにする。評価測定の対象となったものだけが、意味あるものとなる。それ以外のものは視野から外れ、頭から消える。
  • 陳腐化した設備の使用に伴うコストは、通常隠れている。帳簿上は陳腐化した工場や機械設備の方が大きな利益をあげているかに見える。償却済みであって、あたかもコストなしで動いているかに見える。もちろん、マネジメントのほとんどは、錯覚に過ぎないことを知っている。設備は過少であっても過剰であっても危険である。間に合わせ的に作ってはならない。計画的でなければならない。
  • いかなら分野を優先すべきか、初めにいかなる分野を削減し、かつどこまで削減すべきか、初めにいかなる分野を拡大し、かつどこまで拡大するかについて検討したうえで意思決定を行う必要がある。そして、マネジメントは、近い将来の成果のために遠い将来の成果についていかなるリスクを冒し、遠い将来に成果のために近い将来についていかなる犠牲を払うのかを十分理解したうえで意思決定を行わなければならない。

(2)第Ⅱ部:経営管理者をマネジメントする

  • 経営管理者をいかにマネジメントするかによって、事業の目標が達成されるか否かが決まる。人と仕事をマネジメントできるか否かも決まる。なぜならば、働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映するからである。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す。働く人たちが成果をあげられるか否かは、主として彼らの上司たる経営管理者がどのようにマネジメントされるかによる。
  • 経営管理者であることは、企業全体の業績に対し責任を持つということである。この責任を持つことを期待されていないものは、経営管理者ではない。企業全体の業績を自らの第一の責任と考えないような経営管理者は、職務に忠実でないとまではいえないにしても、失格である。
  • 組織の性格は、それを最初に形成した人たちがいなくなったはるか後においても生き続ける。新しく入ってくる者の姿勢や行動を規定する。組織の中で成功する者を決める。そしてそれは、組織が卓越性として認め、報いるべきものを決める。また凡庸として無視すべきものを決める。さらに、組織内の人間が成長するか、いじけるかを左右する。健全に育つか、育ち損ねるかを左右する。組織の卑しい文化は卑しい経営管理者をつくり、偉大な文化は偉大な経営管理者をつくる
  • 機能別部門の経営管理者がもつ専門的な能力についての追求心も、企業全体の目標とのバランスが失われるならば、強力な遠心力となって、企業を分解させる方向に働く。それぞれがそれぞれの分野にしか関心を持たず、それぞれの分野を聖域として守ろうとする。事業全体を築こうとせず、1つ1つが領土のあく第二熱心な機能別部門の緩やかな連邦をつくろうとする。
  • キャンペーンによるマネジメントは、効果がないだけでなく、人々を間違った方向に導く。他のあらゆることを犠牲にして、仕事の1側面だけを強調する。キャンペーンによるマネジメントを行っている組織では、キャンペーンに従って本来の仕事の手を抜くか、キャンペーンをさぼって本来の仕事をするか、いずれかしかない。
  • 経営管理者たちが上位の部門の目標の設定に参画する場合においてのみ、彼らの上司たる経営管理者も、部下たる経営管理者に対し何を期待し、いかに厳しい要求を課すことができるかを知ることができる。
  • 上から下へのコミュニケーションや、単に話をするだけでは、相互の理解は得られない。下から上へのコミュニケーションによってのみ、相互の理解は可能となる。そのためには、上司が進んで耳を傾ける意思とともに、部下が聞いてもらえるような特別の仕組みが必要である。
  • 報告や手続きは、重要な領域で成果をあげるために必要なものに限定しなくてはならない。すべてを管理しようとすることは、何も管理しないことである。また、関係のないことを管理しようとすることは、人を過って導くことである。
  • 目標によるマネジメントや、経営管理者に対し、何を行うべきかを教える。適切に仕事を組織するならば、経営管理者はその行うべきことを行いうるようになる。しかし経営管理者をして、それを実際に行わせるものは組織の文化である。
  • 卓越した者の強みや能力が他の者にとっての脅威となり、その仕事ぶりが他の者にとっての問題や不安や障害となることほど、組織にとって深刻な問題はない。人の強みではなく弱みに焦点を合わせ、できることではなくできないことを中心に組織をつくることほど、組織の文化を破壊してしまうものはない。焦点は、常に強みに合わせなければならない
  • 無難さの強調では、安定さえももたらされない。経営管理者が必要とする安定とは、優れた仕事を行っているという自覚と、その仕事ぶりが認められているという認識に基づくものでなければならない。したがって、マネジメントの精神にとって第一に必要とされる条件は、仕事ぶりに対する高い基準の要求である。
  • 間違いをしなければ学ぶことはできない。しかも、優れた人間ほど間違いは多い。なぜならば、それだけ新しいことを多くしようとするからである。間違いをしたことのない者は凡庸である。さらに悪いことには、いかにして間違いを早く発見し、いかにしてそれを早く直すかを知るはずがない。
  • もちろん、仕事ができなければ、その仕事からは動かさなければならない。マネジメントは、企業に対してそのような措置を取る責任を持つ。そして当の本人に対して責任を持つ。なぜならば、仕事に不適格であることの最大の被害者は本人だからである。
  • 評価は仕事に対して行わなければならない。評価とは判断である。判断には常に基準が必要である。判断とは一定の価値を適用することである。明確かつ公にされた基準に基づかない価値判断は理不尽であって恣意である。評価する方とされる方の両方を堕落させる。
  • マネジメントが本気であることを示す決定打は、人事において、断固、人格的な真摯さを評価することである。なぜならば、リーダーシップが発揮されるのは人格においてであり、多くの人の模範となり真似されるのも、人格だからである。人格は習得できない。仕事に就いたといに持っていなければ、そのあとで身に付けることはできない。
  • 部下たちは、無能、無知、便りなさ、不作法など、ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。そして、そのような人間を選ぶマネジメントを許さない。
  • 「何が正しいか」よりも「だれが正しいか」に関心を持つ者を、経営管理者に昇進させてはならない。仕事の要求よりも人間を問題にすることは、堕落である。そして一層堕落を招く。「だれが正しいか」を問題にするならば、部下は策を弄しないまでも保身に走る。さらには、間違いを犯したとき、対策を講ずるのではなく、隠そうとする

3.教訓

第Ⅰ部は経営者寄りの内容でしたが、第Ⅱ部は中間管理職として日々実感しているし、今後も意識しないといけない重要な要素が多く含まれていました。

  • 管理者自身の仕事ぶりが、組織全体の働き方に反映される。
  • すべてを管理することは何も管理しないこと。要は、優先順位を示すことができなければ、管理者としては失格である。
  • 強みに焦点を合わせないといけない一方で、仕事ができなければ本人をそのタスクから外す決断をしなければならない。
  • 新しいことに挑戦するから間違いも犯すし、その間違いから学ぶことができる。

自身が示す方向性によって、個々人の能力や考え方、組織全体のパフォーマンスが上にも下にも行ってしまうことにつながるので、改めて身の引き締まる思いを感じました。