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服従の心理 スタンレー・ミルグラム著

1.はじめに

以前、同じ会社で働いていた先輩と偶然近所のスーパーで出会い、その後2人で飲みにいったときに紹介され購入しました。

本書では、以下のような実験が行われ、服従のメカニズムが解き明かされます。

  1. 学者が広告を出し、記憶実験に参加してくれる人を報酬付きで募集する
  2. 何も知らずに応募した被験者は、仕込まれた被害者に問題を出す
  3. 答えが間違っていたら、被験者は被害者に電撃を加え、間違うたびに強度を上げていくように指示される
  4. 被害者は、実はわざと間違え、(演技で)苦悶の表情をうかべ、実験を中止するよう懇請する
  5. 何度被害者からの申し出があろうとも、実験者は被験者に実験を成立させるため最後まで続けるように指示を出し続ける

実験結果から、他人の指示に従うのか、自分の意志で行動を変えるのか、といった、何が服従に至らしめるのかの心理を突き止めていきます。

以下では印象的だった部分を引用していきます。

2.内容

(1)服従のジレンマ

  • 服従とは、個人の行動を政治目的に結び付ける心理メカニズム。それは人を権威システムに縛る指向上のセメント。近年の歴史上の事実や日常生活での観察から、多くの人々にとって服従というのが根深い行動傾向であり、それどころか倫理や道場、道徳的振る舞いについての訓練を圧倒してしまうほどのきわめて強力な衝動であることが見て取れる。
  • 自分の作業の破壊的な効果がはっきり目に見えるようになっても、そして自分の道徳の根本的な基準と相容れない行動をとるように指示されても、権威に逆らうだけの能力を持つ人はかなり少ない。権威に服従しないことに対する各種の抑止が働くために、その人物は自分の立ち位置を変えることはない
  • 服従的な被験者で一番多い調整は、自分が自分の行動に責任がないと考えること。あらゆる主導権を、正当な権威である実験者に委ねることで、自分は責任から逃れられる。自分自身を道徳的に責任のある形で動いている人物としてではなく、外部の権威の代理人として動いている存在として見るようになる。
  • あらゆる状況に人が人間として完全に関わり、したがって完全に人間的な反応を行えた時代が、かつてはあったのかもしれない。だが分業が始まると同時に、状況は変わった。きわめて狭くきわめて専門化した仕事を行う人々に社会を分割してしまうのは、ある点を超えると仕事や人生の人間的な性質を奪ってしまう。人は全体像を見ることができず、そのごく小さな一部しか見えないため、全体としての方向性を持って行動できなくなってしまう。権威に服従するが、その結果として自分自身の行動から疎外されてしまう。

(2)被害者との近接性

  • 遠隔条件は近く領域の狭窄化を可能にし、被害者を意識の外に追い出すことができる。被害者が身近だと、絶え間なく目に入ってしまうので、それを意識から追い出すのは難しい。
  • 近接条件で、被験者は被害者をもっとも観察しやすい場所にいたが、その逆も成り立つ。被験者の行動は、いまや被害者に目撃されることになる。おそらくは、こちらの姿が見えない相手に害を与えるほうが、こちらを見ている相手に害を及ぼすよりも容易なのだろう。被害者に対する行動を被害者自身が観察しているという事実は、恥や罪悪感を生み出し、それが行動を抑えるよう機能するのかもしれない。

(3)条件の変更

  • 床屋では、要求されればカミソリを持った人物に自分の首をさらすが、靴屋ではそんなことはしない。靴屋では、店員が求めればすぐに靴下姿になるけれど、銀行ではそんな要求には応じないだろう。高名な大学の研究室では、人はよそでなら従わないような指示にも服従するかもしれない。服従と、その人が行動している文脈の意識との関係は、常に考慮する必要がある
  • 高いところから発せられる命令を個人が受けて、それを指示された対象に向けて実行するというのは、有効な権威システムの本質。このシステムが機能する最小条件は、理解可能で一貫性のある命令。矛盾する命令があると、被験者は誰がボスかを突き止め、それに応じて行動する。これについて判断材料がないと、行動は先へ進めない。
  • 権威システムは、人々がヒエラルキー構造の序列を持つことが基盤。だからコントロールを決定づける重要な問題は、誰が誰より上の地位にあるかということ。どのくらい上化は、順位付きの序列がはっきりと存在することに比べればあまり重要ではない。

(4)集団効果

  • 行動は自発的に被験者によって採用される。実際、多くの被験者は、集団のメンバーが明示的に同調しろと要求したら、かえって抵抗する。状況としては、その集団は平等な人々の集まりだとされているため、誰もお互いに命令する権利はないはずだから。
  • 服従と同町の一番はっきりした違いは、事後的に生じるーつまり、被験者が自分の行動をどう説明するかにあらわれる。被験者は、自分の行動の説明として、同調は否定するが、服従は自ら認める

(5)なぜ服従するのかの分析

  • むしろヒトは服従の潜在能力を持って生まれてくるのであり、それが社会からの影響と相互作用として、服従的な人を作り出す。この意味で、服従能力というのは言語能力のようなもの。進化的な生存の観点からすると、重要なのは結果的に、ヒエラルキーの中で機能できる生命体ができあがるということ。
  • ある行動の中で、社会組織の構成員それぞれの判断が違っていたら、全体の調和のためには一番低いところに合わせるしかなくなる。これは可能な限り最も効率の悪いシステムとなり、構成員にはほぼ何の得もない。だから局所的なユニットレベルでの制御を抑えて、それを高次のコンポーネントに委ねるのは個体差が大きくなればなるほど重要になってくる。
  • 権威システムに参加する人物は、もはや自分が独自の目的に従って行動しているとは考えず、他人の願望を実行するエージェント(代理人として考えるようになる。これを「エージェント状態」と呼ぼう。
  • 人がエージェント状態にあるというのは、その人が自分について、地位の高い人物の統御に自分を委ねるような社会状態にあると定義しているということ。この状態になると、その人はもはや自分の行動に責任があるとは考えなくなり、他人の願望を実行する道具にすぎないと己を定義するようになる。

(6)服従のプロセス 分析を実験に適用する

  • 被験者が反応するのは、実際の権威ではなく、権威の外見。矛盾する情報や、おかしな事実があらわれない限り、権威は自分を権威と示すだけでほとんどの場合は十分
  • イデオロギー的な正当化は、自発的な服従を得るには不可欠。なぜならそれは、自分のやっていることが望ましい木t系に奉仕するものだと思わせてくれるから。こういう見方ができない限り、遵守はなかなか容易には引き出せない。つまり権威システムというのは、最低でも二人が必要で、片方が相手の振る舞いを指図する権利を有するという期待を双方が共有していなくてはならない
  • 部下たちは、社長の一言一句に真剣に耳を傾ける。地位の低い者が最初に述べたアイデアは、しばしば聞く耳を持たれないが、同じことを社長が言うと、きわめて熱烈に受け入れられる。権威の気まぐれに細心の注意を払うのは、きわめて適応性が高いこと
  • エージェント状態への移行の結果として最も大きいのは、その人は自分を導く権威に対しては責任を感じるのに、権威が命じる行動の中身については責任を感じないということ。人が自分の行動に責任を感じるためには、その行動が「自己」から生じたと感じなくてはならない。
  • 命令されてやった行動は、被験者の観点からすればどんなに非人道的なものであっても、自分には罪はないも同然となる。そして、自分の価値を評価してもらうために被験者が頼るのは、権威なのだ。

(7)緊張と非服従

  • 生物学的な生き物から文明化された人間に移行する過程で、社会生活の基本ルールを内面化した。そしてその最も基本的なルールは、権威への敬意。ルールに違反すると、心が乱れ、自我が脅かされるような感情の流れと結びつくことで、内面的に強制される
  • もしその個人が権威システムに完全に埋没していたら、どんなに凶悪なものだろうと命令に服従しても何の緊張も感じなかったはず。要求される行動は権威が押し付けた意味を通してしか見られず、したがって被験者にとってまったく異論のないものんあったはずだから。だから緊張の徴はすべて、権威がその人物を完全に混じりけなしのエージェントに変換できていないことを示す
  • 純粋に定量的に見れば、大砲を街に撃ち込んで一万人殺すほうが、一人を石で殴り殺すよりも邪悪だが、心理的には後者のほうが行動としてずっと難しい。距離、時間、物理的障壁は道徳感覚を弱めてしまう
  • 権威に身を委ねるときの大きな心理的結果は個人的責任の放棄。緊張が生じると、一部の被験者は自分がその行動に責任を負わないという確認をさらに求めたがり、緊張を減らす手段としてそれを積極的に要求したりする。
  • 不同意の個人の多くは、権威に対して反論できるが、権利がその反論を受け入れない権利も尊重している。反論しつつも、その判断に基づいて行動するだけの覚悟はない
  • 内心の疑惑、疑念の外部化、不同意、脅し、非服従。これは困難な道のりだし、それを最後まで推し進めさられるのは、被験者のごく一部でしかない。だがこれは否定的な結末ではなく、意図的に流れに逆らうという肯定的な行動としての生活を持つ。受動的な意味合いを持つのは、むしろ遵守のほう。服従という行為は内的リソースの動員を必要とし、単なる内面的な懸念事項や、ただの礼儀正しい口先だけのやりとりを越えたものへとそのリソースを転換して、行動の領域へと持ち込まなくてはならない。だがその精神的なコストはすさまじいもの。

(8)エピローグ

  • 自分なら絶対にそんな行動はしないと断言するのに、その同じ人が数か月後には軍にとられて、被害者に電撃を加えるのとは比べ物にならないような行動を、良心の呵責なしにやってのける。この意味で、かれらは各種の時代に権威の目的に身を委ね、その破壊的プロセスの道具と化した人々と比べて、善悪の面で大差ない。
  • 他人を殺すのは、正義のためであると言われている。そして、その定義は最高の源からきているー単なる分隊長ではなく、ベトナム担当将軍すらでなく、アメリカ大統領その人がそう言っているのだ。戦争に反対する者は故国で軽蔑される。なぜなら兵士は権威構造に閉じ込められていて、その行為が悪魔の手先だと非難するものたちは、人生を我慢できるものにする心理的な調整そのものを脅かすから。その日一日を切り抜けて生き延びるだけでも一苦労。道徳についてなど心配している暇はない。
  • 確かに人は怒る。憎悪に満ちた行動をするし、他人に対して怒りを爆発させたりする。だがこの実験では違う。何かはるかに危険なものがあらわになっている。人は自分の独特な人格を、もっと大きな制度構造の中に埋め込むにつれて、自分の人間性を放棄できるし、また必ず放棄してしまう
  • 実験室で観察され、大観された結果は、本書の著者にとって不穏なもの。それは人間の天性が、あるいはもっと具体的にはアメリカの民主社会で生み出されるような人物が、悪意ある権威の指示による暴虐で非人道的な扱いから市民を保護してくれるとはあてにできないという可能性を提起している。命令が正当な権威からきていると感じる限り、かなりの部分の人々は、行動の中身や良心の制約などにはとらわれることなく、命じられた通りのことをしてしま

3.教訓

どうしても、「何を言うかより、誰が言うか」は優先されがちです。事実として、役職や立場の人から言われたときは、自分としてはちょっと違うと思ったとしても、「まぁ、あの人に言われたからやったまでで、自分の責任じゃないしな」と思ってしまうこともあります。

一方で、過去の上司に「俺がうんこを踏めと言ったら踏むのか?ふつうは踏まないだろう」と言われたことを思い出します。その人は、他者に盲目的に従うのではなく、自分の判断基準を持って行動しろ、ということを、わかりやすく説明してくれていたと思います。(そうは言っても、なかなかその方に反論する勇気は持てませんでしたが)

実際に、懸念を口にしなかった人は、後々共同責任を負うことになります。それは、How Google Worksにも登場し、”意義を唱えることを「任意」ではなく「義務」にする必要がある”とまで書かれています。

また、印象的だったのは、「被験者が反応するのは、実際の権威ではなく、権威の外見で、権威は自分を権威と示すだけでほとんどの場合は十分」という部分です。

何もしていないのに、警官とすれ違うときに緊張したり、「この人は警官?警備員?」と見定めようとしたり、ということは誰しも経験があると思います。(何もしていないので、警備員さんだったとしても何も変わりませんが)

それだけ、事実はさておき、”この人は偉そう”というイメージが、相手に与える威圧感は大きいと思います。そういう意味では老け顔だと悩む人も、貫禄があるように見えることはプラスに働くと思います。

自身もマネジャーという肩書だけで、メンバーから一定の忖度をされてしまっていて、攻撃ボタンを押せる側に立っていることを意識しながら、反論する自由がある雰囲気を作っていかねばと考えています。