1.はじめに
形式として、まずは寓話からの引用、そして著者の解釈に基づく講話、といった風に進んでいきます。その引用も、花咲じいさんといった日本昔ばなしから、神話の言い伝え、イソップ・グリム寓話、中国古典などさまざまです。
自身もイソップの話が好きで、「オオカミ少年」や「よくばりな犬」など、子どもにもよく読み聞かせしていました。
以下では、寓話の内容ではく、著者の解釈部分から、印象的だった部分を引用します。
2.内容
(1)概論
- 未来を待ち望む気持ちは「現在からその時までの時間」を”早送り”することであり、それは自分の寿命を短くしていることと同じ。私たちはどんなときであっても、今という時間を大切なものとしてとらえ、自分の人生をしっかりと生きるべき。
- ものごとを知る第一歩は、ものの名前を知ること。世界に存在するものにはたいてい名前がついていて、世界を知るということは世界を構成している対象1つ1つの名前を知るということ。それによって世界を身近に感じることができる。
- 私がどう行動するかは他ならぬ私が選択する。ということは、自分が幸せになれるかどうかの責任は自分自身にある、ということになる。自分の幸不幸と、他人の幸不幸を切り離すことが肝要。
- 生活自体はまったく変化していないのに、ある時は不幸のどん底にいるような気持ちになり、別のある時は幸福感に満たされているような気持になることがある。幸せの基準値をどこに置いて自分の現在地を見るのかによって、自分が今、幸福なのか不幸なのかが異なってくる。
(2)人生本番への関門
- 能力は仕事の「前」にあるのではなく、「後」に発見される。ある仕事が「できた」という事実が、自分にはその仕事を行う能力が備わっていることを社会に示す。能力があるかどうかは本人が判断するのではなく、周りの人間が判断する。外部の能力評価のほうが本人の能力評価よりも客観性が高い。
- セルフハンディキャップさえしておけば、結果が良くても悪くても、自分の自尊心を守ることができる。しかし、こういう行動を繰り返していると、勉強をしないのだから自分の能力は向上していかないし、自分の能力がどの程度かを知る機会も得られないので、全く生産的でない。なぜなら、失敗や成功の原因が常に自分の能力や性格にあるのではなく、外部環境にあるとすり替える行為だから。
- 問いと答えはワンセット。答えというのは問いの支配下にある。人はいろいろな問いを抱えながら生きている。他人に向けた問いもあれば、自らに向けた問いもあるだろう。その問いに対して良い答えが得られない場合は、問い自体が間違っている可能性もあるということを覚えておきたい。
- 自分らしく生きるとは、自分の身の程をわきまえず、自分の身の丈を超えた生き方をすることではないか。これは、自分は変えていけるものであり、変化を望むのは良いことだという考えに通じている。そう考えることができれば、自由な人生への通路が開けてくる。
- たとえ、それが嫌な仕事であり、気が乗らない勉強であれ、雑念に囚われて仕事や勉強から逃げてはいけない。雑念は雑念として頭の隅っこに置いておいて、仕事や勉強に取り掛かることが大事。始めて気が乗ってくれば、その雑念はどこかえへ消え去っている。
- 自分の努力によって、苦手な人を気が合う人に変えること、嫌いな人を好きな人に変えることは難しいし、ましてやずるい人を改心させるのは不可能に近い。したがって、そういう人からは物理的・精神的な距離をとるのが一番。上手に距離を取らないと、苦手な人、嫌いな人、ずるい人が憎い奴へ変わってしまう。
(3)人生の折り返し地点
- 相手に向いていた目を今一度、自分のほうに向けてみよう。相手を間抜け呼ばわりする前に、自分が間抜けでないかを確かめよう。相手の能力や意欲が足りないと愚痴をこぼす前に、自分の技術や意欲、工夫が足りているかどうかを確かめてみよう。
- 人は自分の力で自分の人生を歩いていかなければならず、自分の人生を他の人が代わりに生きることはできない。親元から自立して社会に出ていくとき、周りの人にできることは、心配しながら見守ることだけ。ただし、自分を見守っている人がいるという事実が本人に大きな力を与えるのも確かなこと。
- 知識はある事柄について知っている内容、知恵は知識を活かして物事を正しく判断し的確に処理する能力。他人から知識を受け取ることはできる。しかし、知恵を受け取ることはできない。知恵は自得するもの、つまり自分の経験を通じて技術や思想を身につけること。
- 正直であることがいつも自分に良い結果をもたらすとは限らないこと、そして我が身を守るために上手な嘘をつかなければならい場合もある。上手く世の中を渡っていくには、嘘やお世辞を言うことも必要など、嘘の効用を説くことわざは実に多い。
- 上司からの自分への評価が徐々に変わっていくことがある。社会情勢や組織の状況が変化すれば、上司の立場、考え方、感じ方も変化していくからだ。「評価が変わるのはおかしい」と考えるよりも「なぜ評価が変わったのか」を考えるほうが生産的。
(4)人生をまとめる時期11-13
- 若いころのように動けないことをただ嘆いていても仕方がない。目標を切り替えること、自分の所有する資源の使い方を見直すこと、他者や器具の助けを借りることで張り合いのある生活を送ることは十分に可能。
- 順縁は幸いなこと。年長である親が、若年である子に先んじて死ぬというのが自然の順序。これに反して、子が親より先に死んだ場合、年長であるその親が自分の子の冥福を願って供養することになり、これを逆縁と呼ぶ。
- 列車は老いと死に向かって走っている。列車は各駅停車で、駅に着くたびに人が乗ってくる。誰かが降りないと新しい乗客が乗ってこられない。私がこの列車の乗客になれたのはご先祖様たちが降りてくださったから。自分の死は誰かの生を生み出す。だから死は布施である。地球上で暮らせる人間の数には限界がある。
- 「面白そうだな」「楽しそうだな」と思うことがあれば、「めんどくさいな」「もう少し落ち着いてから」という気持ちを振り払ってすぐに実行するべき。楽しみを先送りばかりしていると、その人は結局のところ何もしたいことをせずに人生を終えることになってしまう。
- そもそも社会のルールというのはなぜあるのだろうか。世の中の人が例外なくルールを守るのなら、ルールは必要ない。逆説的に言えば、ルールとは破る人があるからこそ作られるのであり、つまりは「ルールとは破ることを前提にして作られている」ことになる。
- 「人生ペルシャ絨毯説」によれば、過去に生じた不幸や苦悩、惨めさなどは、念入りに織り上げられた美しい絨毯の一部でしかない。美しい絨毯には、光沢だけでなく、陰影も必要であることを思い出そう。それはネガティブな出来事であってもそのすべてを喜んで受け入れる態度と相通ずる。
3.教訓
本書の内容は、人によっては”説教臭い”と感じるかもしれません。実際、そのような書評も存在します。
しかし、そもそも寓話は”説教”的な中身を持ち、そしてそれを意義のある内容と受け取った人が後世に語り継ぎ、有用な話だけが長い年月をかけて残ってきているものと考えます。
そして、寓話にしろことわざにしろ、全く逆の内容を示唆することも多いです。2.の引用からすれば、「嘘つきは泥棒の始まり」⇔「嘘も方便」がそれに当たります。何が良いのかは時と場合による、と言ってしまえばそれまでですが、いろいろな考え方があって、自分を取り巻くその時々の環境で取捨選択していくことが求められると思います。
自分の意見を持つことは非常に大事ではありますが、それに固執することなく、世の中には昔からそういう考え方もあるのだと認識することが第一歩だと思います。
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