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嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見一郎・古賀史健 著

1.はじめに

本書は、アドラー心理学の第一人者である岸見一郎さんが、ライターの古賀史健さんと組んで、哲学者と青年の対話形式で解き明かすものです。いまだに、大きな書店では「話題書」のコーナーに平積みされ続けているのを目にします。

先日、「幸せになる勇気」を読んで以下の投稿をした際に、「嫌われる勇気」を再読しようと記載し、実際に読み返しました。やはり、忘れている内容もあったので、よい復習になりました。

個人的な感想としては、「嫌われる勇気」は哲学的な内容が多く、「幸せになる勇気」は少しかみ砕いて実践的な内容になっていると感じました。

どちらか一冊だけを読むように、と言われたら、自分の性格的には「幸せになる勇気」を選びますが、実際には「嫌われる勇気」のほうが販売部数は多く、人それぞれ思うところが違うと思います。

bookreviews.hatenadiary.com

2.内容

(1)トラウマを否定せよ

  • 大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか。あなたが他の誰かになりたがっているのは、ひとえに「何が与えられているか」にばから注目しているから。
  • 人はいつでも、どんな環境に置かれていても変われる。あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心をしているから。
  • まずは「いまの自分」を受け入れ、たとえ結果がどうであったとしても前に踏み出す勇気を持つこと。アドラー心理学では、こうしたアプローチのことを「勇気づけ」と呼ぶ。

(2)すべての悩みは対人関係

  • われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」。主観のいいところは、自分の手で選択可能なこと。例えば、自分の身長について長所と見るのか短所と見るのか、いずれも主観に委ねられている。
  • 劣等感と劣等コンプレックスは別のもの。劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使いはじめた状態のこと。具体的には、○○だから成功できない、と考える。本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまう。
  • もし本当に自信を持っていたら、自慢などしない。劣等感が強いからこそ自慢する。自らが優れていることを、ことさら誇示しようとする。そうでもしないと、周囲の誰ひとりとして「こんな自分」を認めてくれないと恐れている。これは完全な優劣コンプレックス。
  • もちろん、傷を負った人の語る「あなたにはわたしの気持ちがわからない」という言葉には、一定の事実が含まれる。しかし、自らの不幸を「特別」であるための武器として使っているかぎり、その人は永遠に不幸を必要とすることになる。
  • 誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい。健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれる。
  • もし面罵されたら、その人の隠し持つ「目的」を考える。直接的な面罵に限らず、相手の言動によって本気で腹が立ったときには、相手が「権力争い」を挑んできているのだと考える。ここで怒ってしまえば、相手の思惑通り、関係は権力争いに突入する。いかなる挑発にも乗ってはいけない。
  • 怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らない。だからこそ、「ついカッとなって」という言葉が出てきてしまう。言葉の力を、論理の言葉を信じる。
  • 引きこもり等の人たちは、仕事そのものが嫌になったのではない。仕事を通じて他者から批判され叱責されること、お前には能力がない、この仕事に向いていないと無能の烙印を押されること、かけがえのない「わたし」の尊厳を傷つけられるのが嫌。すべては対人関係の問題
  • 嫌いになった相手に対し、どこかの段階で「この関係を終わらせたい」と決心をして、関係を終わらせるための材料を探し回っているからそう感じる。相手は何も変わっていない。自分の「目的」が変わっただけアドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して「人生の嘘」と呼ぶ。

(3)他者の課題を切り捨てる

  • われわれは他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など満たす必要はない。他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。
  • われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要がある。あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引きこされる。
  • 本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけ。自分を変えることができるのは、自分しかいない
  • どれだけ子どもの課題を背負い込んだところで、子どもは独立した個人。親の思い通りになるものではない。進学先、就職先、結婚相手、日常の些細の言動でも、自分の思い通りに動いてはくれない。たとえ我が子であっても、親の期待を満たすためにいきているのではない
  • 自らの生についてできることは、「自分の信じる最善の道を選ぶこと」だけ。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのかは、他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話
  • 仕事がうまくいかないのは、あの上司のせいだと語る人は、「うまくいかない仕事」への口実として、上司の存在を持ち出している。むしろ、「嫌な上司」の存在を必要としている。
  • 対人関係のベースに見返りがあると、自分はこんなに与えたのだから、あなたもこれだけ返してくれ、という気持ちが湧き上がってくる。もちろんこれは、課題の分離とはかけ離れた発想。われわれは見返りを求めてはいけないし、そこに縛られてもいけない
  • 他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人に任せにすることは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方。
  • 自由とは、他者から嫌われること。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれない。

(4)世界の中心はどこにあるか

  • 他者はあなたの期待を満たすために生きているわけではないのに、期待が満たされなかったとき、大きく失望し、ひどい侮辱を受けたと感じ、そして憤慨する。自分が世界の中心にいる、という信念を持っている人は、遠からず「仲間」を失う結果になる。
  • あなたもわたしも世界の中心にいるわけではない。「この人はわたしに何を与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人に何を与えられるか?」を考えなければならない。それが共同体へのコミット。所属感とは、生まれながらに与えられるものではなく、自らの手で獲得していくもの
  • もしもあなたが異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら、そんな関係など最初から結ぶ必要などない。関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方
  • ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれている。われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作
  • 人が介入する背後にあるのも、実は縦の関係。対人関係を縦でとらえ、相手を自分より低く見ているからこそ介入し、相手を望ましい方向に導こうとする。自分は正しくて相手は間違っていると思い込んでいる。横の関係を築き、介入にならない「援助」をする必要がある。
  • 人が課題を前に踏みとどまっているのは、その人に能力がないからではない。能力の有無ではなく、純粋に「課題に立ち向かう”勇気”がくじかれていること」が問題と考えるのがアドラー心理学。くじかれた勇気を取り戻すほうが先決。
  • もしもあなたがほめてもらうことに喜びを感じているとすれば、それは縦の関係に従属し、「自分には能力がない」と認めているのと同じ。
  • 人は感謝の言葉を聞いたとき、自ら他者に貢献できたことを知る。人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる

(5)「いま、ここ」を真剣に生きる

  • われわれは「わたし」という容れ物を捨てることもできないし、交換することもできない。しかし、大切なのは「与えられたものをどう使うか」。「わたし」に対する見方を変え、いわば使い方を変えていくこと。ことさらポジティブになって自分を肯定する必要はない。自己肯定ではなく、自己受容。
  • アドラー心理学は、道徳的価値観に基づいて「他者を無条件に信頼しなさい」と説いているわけではない。無条件の信頼とは、対人関係をよくするため、横の関係を築いていくための「手段」。もし、あなたがその人との関係をよくしたいと思わないなら、ハサミで断ち切ってしまって構わない。断ち切ることはあなたの課題。
  • 他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるもの。自己を犠牲にする必要はない。
  • たとえ他者から「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、「わたしは役に立てている」と考えてほしい。他者がわたしに何をしてくれるかではなく、わたしが他者に何をできるかを考え、実践していきたい。そうの貢献感さえ持てれば、目の前の現実は全く違った色彩を帯びてくる。
  • 世の中は善人ばかりではない。しかし、このとき間違っていけないのは、攻撃してくる「その人」に問題があるだけであって、決して「みんな」が悪いわけではない。神経症的なライフスタイルを持った人は、なにかと「みんな」「いつも」「すべて」といった言葉を使う。もしあなたがこれら一般化の言葉を口癖としているようなら、注意が必要。
  • 「10人のうち1人は必ずあなたを批判する、2人は親友になれる、残りの7人はどちらでもない」という話がある。このとき、あなたを嫌う1人に着目するのか、その他大勢である7人に注目するのか。人生の調和を欠いた人は、嫌いな1人をだけを見て、世界を判断してしまう
  • 承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由がない。もし、本当に貢献感が持てているのなら、他者からの承認はいらなくなる。つまり、承認欲求にとらわれている人は、いまだに共同体感覚を持てておらず、自己受容や他者信頼、他者貢献ができていない。
  • もし、あなたが「普通であることの勇気」を持つことができたなら、世界の見え方は一変するはず。普通であることとは、無能なのではない。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などない。
  • 遠い将来に目標を設定して、いまはその準備期間だと考える、「本当はこれがしたいけど、やるべき時が来たらやろう」と考えるのは、人生を先延ばしする生き方で、どこにも行けない。

3.教訓

「自ら変わらない決心をしている」「劣等コンプレックス」「人生の嘘」「他者の評価を気にするのは他者の人生を生きること」「一般化の言葉を口癖としているなら注意が必要」など、それぞれ心に引っ掛かりを覚える言葉がズラッと並んでいます。

本書を読んで、自分が当てはまるものは一つもない、という方はいないと思います。いたとしたら、とんでもない聖人か、冷静な自己分析ができていないかのどちらかではないか、と思えるくらい、人間関係の本質を突いていると感じます。

自分の娘も、学校のクラスメイトや部活動メンバーに嫌われたくないと言って自分の意志より他人の意向を尊重したり、我が家の方針を説明しても「周りはみんなそうしてる」と言ったり、まさに書かれたまんまの行動をしています。そこで一部の内容を読み聞かせをしつつ、読んでみたらと水を向けるのですが、「絶対読まない」と返されています。

学校の読書の時間に、この本を選んでいる生徒が数名いるみたいで、うちの子にも一回読んでほしいと思うのですが、親の期待を満たすために生きているわけではなく、考え方を変えるのは自分しかいないので、どうすれば援助できるか考えます。