1.はじめに
本書は、河合隼雄さんが昭和40年から4年間、四天王寺主催の「カウンセリング講座」において語った内容を適当に読みやすくし、重複部分を削ったりしたものです。
そのため、実際のロープレや、受講者との質疑応答など、会話調で記載されています。
以下では、カウンセリングの基本条件について、自身が特に印象に残った部分を抜粋して引用します。
ロープレや質疑応答の詳細を確認したい方は、是非手に取っていただければ幸いです。
2.内容
(1)カウンセリングとはーはじめての人のために
- カウンセリングをやる場合、やっぱりよかれと思ってやっているわけです。しかし、よほど注意しないと、よいと思うことは何をしてもいいと思いがちなんですね。これは非常に危険なことです。僕がよいと思っても、結果として悪くなることが世の中には一杯ある。
- 人間にとって休むということは非常に大事なことです。何だか会ったらその日に絶対解決しないと困るように思えても、案外困らないときがあるんですね。話を聴いていると、私がだれかに会いに行かなかったらもうどうにもならない、ここで私が助けてあげなかったらだれかが死にそうだとか思えるようなときでも、「とにかくお話はここまでにしておいて、もう1ぺん会いましょう」と言ってやったら、意外と次に会ったときには変わっている、ということがあります。
- 「もう少しわかれば、あるいは全部わかったら私が考えて決着をつけよう」そういう気持ちがあるんですね。ところが僕は思うんですけれども、僕らが本当にカウンセリングをする場合には、決着がわからない。僕もわからないし向こうもわからない。どちらもわからないというところから、カウンセリングというのは始まるんです。
- その人の話をただ一生懸命聴いておる。そうすると、その人が「いままでこれだけ自分の話を聴いてくれる人はいなかった」ということがだんだんわかってくるわけです。そうなってはじめて、「実は私の姑が…」というような話が出てくるんです。われわれは、それもまた聴くわけです。
- 結局、相手の人が向こうの力で立ち上がってくるわけですから、そうしてこちらを頼るんじゃなしに、その人が自分自身を信頼するようになって、僕みたいなものに相談しなくても「自分で生きていくんだ」というふうになったら、これがいちばんめでたい終わりですね。だから本当に終わったときというのは、ある意味で僕と関係なくなってくるわけです。そういう意味で寂しい仕事です。
- 向こうの気持ちをつかんで聴いている。「つかむ」というのは、「自分もその気持ちになる」といってもいいぐらいのところですね。もっと極端な言い方をすれば、相手が言葉に出していない気持ちさえ感ずるぐらいの聴き方ですね。「こうしなさい」とか、「こういう方法がありますよ」ということを言わないで、ひたすら聴く、そして向こうが自分の方法で立ち上がってくるのを待つんです。
- やっぱりいちばん大事なことは、”向こうの気持ちを受け入れる”ということですね。”ものを言わないでおこう”と思っている、その気持ちですね。それはこちらにもわかります。それを相手に伝えるんです。”こいつ、ちょっとおもしろい奴やなぁ。そんな気持ちのわかる人なら、ものを言ってみようか”という気になる。
- やっぱり人の気持ちがわかるということは非常にむずかしいことです。「人の気持ちを受け入れる」と言っても、それを受け入れるためにはたくさんのことを知っていないといけない。けれども、たとえたくさんのことを知っていても、それは簡単に教えられるものではないということです。”ただ聴いていたらいいなら、私にもできる”と思う人があるんですが、そう思ってやると駄目なところがあります。それほど、「聴く」ということはむずかしいということです。
- いままで説教や忠告をしてうまくやっておられた人でも、一度だまされたと思って聴く方に回ってみてください。案外、相手が”いいことを言うなあ”ということがわかってきます。本当に相手を”すごいなあ”と思う気持ちが起こってきます。凄まじいという感じさえします。そうすると、自分の前に座っている人を「尊敬する」というか、「尊重する」というか、そうせざるを得ない気持ちが出てきます。そういうものを味わえば味わうほど、だんだんカウンセリングというものがわかってくるし、自分のやり方にも筋が通ってくるようになります。
(2)実技指導①-学校現場でのカウンセリング
- 特に感心したことの1つは、僕のカウンセラーが、僕が自分の欠点を述べたときに、たじろがないで「ウン」と言ってくれたことです。”これはすごい”と思いました。僕が長いこと悩んだあげく、自分の欠点を発見してきて、「私はこうこう、こういう悪いところがあるんです」と言ったら、「ウン」と言うのです。「いや、そんなことない」とか、「ほかにいいところあるやないか」と言ってくれないわけです。
- 面白いのは、それほどの欠点があるということを土台にして、それを正面から受け止めて、立ち上がっていこうという気持ちが出てくるんですね。なぜかと言うと、人間なんて、だれにだってたくさん欠点がある。けれども、欠点がいくらあったって、それは人間の尊厳ということには関係がないんです。
- 先生が聴いてくれるという嬉しさと、誰にも言ったことのないことを言わねばならないという辛さと、この2つがあるんです。だから、クライアントは、本当にこの先生にだけは何でも言えるという嬉しい気持ちと、この先生にだけは変なことを言ってしまったという、辛いというか、何とも言えない気持ちで来ているということを、カウンセラーはよく知っておくべきだと思います。
- 僕が言っているのは、それがいちばんいい方法だというのではなくて、いろんな方法がある、そのなかにカウンセリングもあるということです。こっちから言って治れば幸いです。怒って治るなら怒りなさい。だから先生がおっしゃるように、短期解決できるのに、ぼんやりしているのはおかしいので、できるときはやりなさいというわけです。
(3)実技指導②-職場でのカウンセリング 結婚に関するカウンセリング
- 一番大事なことは、クライエントの言うことを、クライエントの心の枠に従って、クライエントその人の気持ちになってついて行くということです。「実は学校に行けなくて困っております」と言った時、「いつから行けませんか」とか聴かずに、ともかく向こうの言うことにくらいついて行く。学校に行けないんだという気持ちを尊重して、それを聴いていく。そういうつもりでやってみてください。ともかくやってみたら話が始まります。
- 人の気持ちを受け入れるということは、なかなか簡単なものではありません。受け入れたいような、聴きたいような半々の気持ちだから、何でも「そうですか」「そうですか」というふうになる。「~か」「~か」と言わなくなれば大したものですけれども、最初のうちはある程度仕方がない。そんなことに捕らわれないほうがいいでしょう。「~ですか」と言ったらだめだ、とばかり思っていたら、ものが言えません。
(4)実技指導③-精神分析的なカウンセリング
- 「なぜそうなったのか」ということをわれわれは追及していくわけですけれども、大事なことはクライエントに対してカウンセラーが答えてやるんじゃないということです。追及するのは、カウンセラーとクライエントの共同作業でやるということです。
- 常識にとらわれないということです。言いたくなるのをまずやめて、もっともっと、その人の言い分を聴こう。その場合に、こちらがうんと心を広げて聴くと、全然問題と関係のないように思える話が出てくる。それも一生懸命聴いていると、実は最初の問題と関係していることが非常に多いということがわかってきます。
- クライエントの人が、「失礼ですが、あなたの歳いくつですか?」とか、「子どもさんおありですか?」と聴くとしたら、それはどういうことだと思いますか。それは単なる質問とは違いますね。いちばん言いたい本心は「大丈夫ですか?」ということです。実際カウンセリングをする人は、そういう声の下にある声を聴かないと駄目です。「私のこれから言う問題を受けとめるほどしっかりしていますか」と言っているわけです。
- カウンセリングで非常に大事なことは、割り切ってものを言わないことです。カウンセリングの問題は、どちらとも言えるということばっかりです。「経験のないことはできない」というふうに言い切ると何もできなくなりますし、また逆に「経験のないことでもできます」と言っても、何でもやりましょうというわけにはいかない。All or Nothingという気持ちは禁物です。
- 僕らは、カウンセラーとして「限界」ということを言うときには、「私の限界です。私は参りました」という気持ちをどこかで正直に認めなければならない。そういう気持ちを持っていて、「限界」という言葉を使うならば、それほど問題は起こらないけれども、「限界」という言葉を自分の逃げ口上にしたり、自分を守ることには使いたくないということは、非常に大切なことだと思います。
- いちばん大事なのは、自分が聴きたくないという気持ちが起こったときは聴かなくてもいいということです。自分の気持ちに忠実でないとだめです。「やめてくれ」と言うか、あるいは不愉快であるということを明瞭に示す。そして、「あなたの話は何でも聴くと言ったけれども、それだけは聴きようがありません」ということを正直に言う。それをやらずにずるずると聴くのは危険です。へたをすると、向こうに巻き込まれます。もっと悪くすると、カウンセラーは共犯者になります。
- クライエントが言うことで自ら楽しんでいるような、そういう楽しみに参与するために、われわれカウンセラーがいるのではありません。だから、クライエントが告白を楽しみ出す限りにおいては、僕は止めます。クライエントが、カウンセラーを喜ばすためのみしゃべっている。これはカウンセリングじゃありません。クライエントが、自分の言っていることに苦しみ、言っていることと対決することにこそ意味があるのです。
- 話は変わっているけれども筋がわかってきた、ということになりますと、お互いに心が揺れて、それでこそカウンセリングです。その揺れている紐が切れて話が続いているだけでは、カウンセリングにならないわけです。その心の揺れの度合いを知るためには、僕らは少なくとも自分の気持ちに対して敏感であり、忠実でなかったら駄目です。
3.教訓
冒頭に記載した通り、聴衆を前にした講演が内容のベースになっているので、語りかけ口調になっていたり、質疑応答の中での言葉だったりで表現されているので、非常にわかりやすい内容になっています。
そして最後の章の、以下3点については、非常に意味があると感じました。
- 言いたくなるのをまずやめて、もっともっと、その人の言い分を聴こう
- クライエントが、自分の言っていることに苦しみ、言っていることと対決することにこそ意味がある
- お互いに心が揺れて、それでこそカウンセリング
本自体は1998年刊行と、もう30年弱経過していますが、カウンセリングの本質は今も昔も変わらず、いまだに売れ続けているのも納得の良本でした。