1.はじめに
キャリアコンサルタントの勉強をしていると、このようなタイトルの本はどうしても気になります。
そして先日、日経新聞にも、大学新入生向けの本ということで薦められていました。
そこで、発刊からしばらく経ってからとなりましたが、ようやく手に取りました。
結論として、もっと早く決断して読んでおけばよかったと後悔しています。
以下では印象に残った多くの個所を紹介していきたいと思います。
2.内容
(1)まえがき
- どう考えたって、「聴く」よりも「聞く」のほうが難しい。「話を聞いてくれない」とは言うけれど、「話を聴いてくれない」と書くと違和感がある。つまり、「なんでちゃんとキいてくれないの?」と言われるとき、求められるのは「聴く」ではなく「聞く」。
- 相手は心の奥底にある気持ちを知ってほしいのではなく、ちゃんと言葉にしているのだから、とりあえずそれだけでも受け取ってほしいと願っている」。言っていることを真に受けてほしい。それが「ちゃんと聞いて」という訴えの内実。心の奥底に触れるよりも、懸命に訴えられていることをそのまま受け取るほうがずっと難しい。
- 「聞く」が不全に陥るとき、実際のところ、僕らは聞かなきゃいけないと思っているし、聞こうとも思っている。それなのに、心が狭まり、耳が塞がれてしまって、聞くことができなくなる。これこそが問題の核心。
(2)聞く技術 小手先編
- 眉毛にしゃべらせよう。眉毛のいいところは、あげるかひそめるか、表情が2通りくらいしかないので、大変シンプルで使い勝手がいいこと。要は「反応している」のが大事。眉毛がクイっと上がるだけで、ちゃんと聞いてもらっている感じがして、もっと話をしたくなる。
- 相手の話が終わったら、すぐに何かをしゃべりだすのではなくて5秒待つ。こういう意味で言っているのかな、なんて言おうかなとか、これ言っていいのかなと、考える。その時間が沈黙になってくれる。5秒くらいは相手が待ってくれるものだし、待てない人はさらに話を重ねてくれる。そうすると、相手のペースで話が進んでいく。
- 事実と気持ちがセットで語られるとき、心は伝わってくる。気持ちを語っていたら事実を尋ねる。事実を語っていたら気持ちを尋ねる。
- 人の話を聞くとき、相手の話を否定せずに丸呑みしないといけないかも思うかもしれないが、そんなことはない。わからないときは「わからない」と伝えるべき。ただし、「わからない」と伝えることで、相手を否定してはいけない。それはあくまで自分と相手が違うところを明確にする言葉。
- なにも思い浮かばないときは質問しよう。「どういうことを知りたい?」「何について聞きたい?」と尋ねてみるとよい。結局のところ、答えづらい質問というのは、質問している側も自分が何を聞きたいのかよくわかっていないことが多いし、こちらも相手の質問の意図を測りかねている。もう少し相手に話してもらって、「なるほど」と思えるようになるまで、聞くのを続けたほうがいい。
(3)なぜ聞けなくなるのか
- 関係の改善を望むのであれば、問われるべきは自分の言葉。いや、違う。より根源的な問題は自分の耳にある。話を聞いてもらうためには、先に聞かなくてはならぬ。聞かずに語った言葉は聞かれない。
- 普段は聞いていることを感謝されることもないし、自分でもちゃんと聞けていることに気づかない。誰かに「本当に聞けていますか?」と問われていもビビッてはいけない。大体は聞けている。自分に厳しくなりすぎても、ろくなことはない。神経質になって聞けなくなってしまう。だから自信を持つ。
- 心にとって真の痛みは、世界に誰も自分のことをわかってくれる人がいないこと。だから、目の前に動かしがたい欠乏があっても、それでも誰かがその苦しさを聞いてくれ、わかってくれているならば、人はしばしその痛みに耐えることができる。人間にとっての真の痛みとは何より孤独であること。聞くには現実を変えるちからはなくとも、孤独の痛みを慰める深いちからがある。
- あなたが第三者であるときには、「聞く」はうまくいきやすい。だけど問題の当事者で、当事者同士で関係が悪くなっているとき、そこには孤独はひとつではなく、ふたつある。聞く側も聞かれる側も孤独。そういうとき、飛び交う言葉は乱暴になるし、ときには言葉にならない思いが行動で示される。すると、ぼくらはきちんと話を聞けなくなる。「どうして話をきいてくれないんだ」と思い、ひどくみじめな思いをするから。
- お子さんとの関係で悩んでいる親御さんに、「もっと子どもの話を聞いたほうがいい」とアドバイスをしても、その親御さんは責められているように感じて、ますます子どもの話を聞く余裕をなくす。必要なのは、その親御さんの話を聞くこと。なぜ子どもの話を聞けなくなってしまったのか、どれだけ親として追い詰められてきたのかを誰かが聞いてくれてはじめて、子どもの話を聞こうという気持ちが湧いてくる。
- 「聞く」とは「ごめんなさい、よくわかっていなかった」と言うためにある。余裕の無い社会がそれでも社会がそれでも社会であり続けるために「聞く」が求められている。しかし、余裕がないからこそ「聞く」自体が機能不全に陥っている。「聞く」の中核にあるのは孤独の問題。だから、聞いてもらうから始めよう。
(4)孤立から孤独へ
- 心の世界に悪い他者がウヨウヨしているか、1人でポツンとしているか、それが孤立と孤独の差異。孤立しているときは話は聞けないけど、孤独になれるならば話を聞くちからが戻ってくる。
- メンタルヘルスの本質は、結局のところ「つながり」。だから、心の治療とは、基本的につながりを回復すること。本当のところもっとも重要なのは「休養」。そして、「休養」を可能にするのは周囲とのつながり。本当に1人ぼっちのとき、心も体も休むことはできない。家族の理解や職場の理解、そういうものに支えられてはじめて、僕らはようやく休むことができる。
- 支援者は味方になろうとして、話を聞こうとしているのに、敵だと思われている。ここが孤立支援の大変にむずかしいところ。
- 心の変化は劇的な一瞬ではなく、見守られながら流れる地味な時間の蓄積で起こる。そのために、日本中の支援者が「また会おう」と約束をし続けている。時間を信じる。それがメンタルヘルスケアの最終奥義。
- 組織を「見える化」していくとは、組織で働く人が「見られる化」していくということ。人間は元気なときもあれば、調子の悪いときもあるもの。元気な人しかいられない組織だと、最終的にはスーパーマンしか残れなくなり、人がいなくなる。だから、組織を見える化するのは大事だとしても、個人がしばし隠れていられる場所を残しておくのが大事。
(5)聞いてもらう技術 小手先編
- 「聞いてもらう技術」は「うまくしゃべる技術」ではない。要点をまとめて、ロジカルに、わかりやすく話す必要はない。苦しんでいることについては、人はうまく話せないもの。だから、「聞いてもらう技術」とは「心配される技術」にほかならない。まわりに「聞かなくちゃ」と思わせる。このとき変化するのは、自分ではなく、まわり。環境を変質させるのが「聞いてもらう技術」の本質。
- 人は悪口でつながるとき、もっとも仲良くなるもの。なぜか。悪口というのは、自分が嫌だった体験を話しているわけで、それは賢い頭ではなく、戸惑う心の言葉だから。悪口、愚痴、嫌だったこと。こういうのを軽くこぼしてみる。これがきっかけになって、それまで賢い頭同士なされていた会話が、一気に戸惑う心同士の会話へと変質していく。愚痴こそが真に人間的な言葉だということ。
- ワケありげな顔をしてみる。というか、ワケは実際にあるのだから、無理にニコニコしないようにして、苦しそうな表情のままで、職場に行ってみる。行き届いてない自分をさらすと、まわりは「何かあった?」と聞いてみたくなるもの。
- そして何より失敗をやらかすこと。これは最重要の「聞いてもらう技術」。もちろん、わざと仕事を失敗しなくてもいいが、具合が悪いときには僕らはどうしたって失敗してしまう。それは聞いてもらうための絶好のチャンス。
- 「聞いてもらう技術」に、1つ絶対に必要なものが欠けている。そう、あなたの協力。もし身近に「聞いてもらう技術」をつあっている人がいたら、聞いてあげてほしい。どう聞けばいいか? ただ「何かあった?」と尋ねるだけでいい。
(6)聞くことのちから、心配のちから
- メンタルヘルスケアというと専門家が特別なことをするイメージがあるかもしれない。だが、本当の主役は素人。実際、私たちが心を病んだとき、最初に対応してくれ、そして最後まで付き合ってくれるのは、専門家ではなく、家族や友人、同僚などの素人たちではないか。
- 心理士をしていると、私たちは大学院で山ほど専門地を学ぶが、それらは世間知抜きでは運用できない。世間知によってクライエントの生きている日常を想像できないと、支援は専門知の押し付けになり、非現実的になってしまう。だから、心理士もまた、プライベートでは専門家の帽子を脱ぎ、自分の人生をきちんと生きるのが大切。世間と人生の苦みを知ることが、専門知を解毒するのに役立つ。
- 居酒屋でやっている人生相談とカウンセリングの境界線は根本的にあいまい。結局のところ「誰かと話をすることで心が楽になる」って人生の基本的な機能だから。それを専門家の専有物として閉じ込めることはできない。
- わからなければ、尋ねてみる。相手の話を聞いてみる。わからないときでも、相手との関係性に踏みとどまる。そういうことができるようになると、カウンセラーとしては一人前。そのためには知性と感情の両方を鍛えないといけないから大変。
- 人が人を理解することの根本は、専門家が専門知識を通して理解するというようなものではなく、ふつうに生活しているなかで知人と「それ、つらいよね」と交わす気持ちのやりとり。
- 精神科医は、自分に精神的な危機があった人や、まわりに病んだ人がいる人たちが多い。自分やまわりの人が苦しい思いをしたから、今は誰かの苦しい思いをケアする仕事をしている。
- ちゃんと人のケアができるようになるためには、その危機を脱していないといけない。自分自身が危機のただなかにあるときは、うまく他者のことを理解できない。だから、まずは自分のケアをして、それが一区切りついてから、他者のケアをするほうが安全。そもそも、そうやって自分の苦境を脱したこと自体が、似たような苦境にある人の助けになる。
- 疲れているみたいだからちょっと休ませてあげようとか、様子が変だから今わ代わりに何かやってあげようとか、そういう世間知で心の問題の多くが解決されている。専門知は世間知が通用しなくなったときに初めて役立つもの。
- カウンセラーの仕事は通訳。本人の言葉を翻訳して家族に伝える。あるいは、本人の異常事態になってしまった心がしゃべっている言葉を翻訳して、本人の通常運転しているほうの心に伝える。彼自身に彼のことを伝えるということ。そうすると、彼自身が自分自身について周囲に伝えられるようになる。
- 理解には愛情を引き起こすちからがある。「あ、それくらい追い詰められていたんだ」とか、「そう考えると、本当に苦しいよな」と思えた瞬間、僕らは相手に対してやさしくなれる。「愛さなくちゃ」と自分に言い聞かせるよりも、理解しようとするほうが、愛を機能させるためには役に立つ。
- 診断名には環境を大きく変えるちからがある。「病気」なのだと捉え方が変わると、学校や家族も本人に「がんばれ」というのではなく、必要な手助けや配慮をし始める。
- 決断できるのは健康なときだけ。具合が悪いときには、目の前で生じることに反応するのが精いっぱい。だから、追い詰められているときには、まわりから眉をひそめられるような言動をしてしまうもの。こういうときに必要なのは、強い意志ではなく、診断書を書いてくれる医師。
- 違ったworldを生きている人に「ふつう」を押し付けると、傷つけることになる。「ふつう」は毒にも薬にもなる。「ふつう」が毒になるのは、世間知が排除や否定のために使われるとき。これは「ふつう」という言葉を使って、その人の今の形を否定して、別の形へと変えようとしている、世間知の残酷な使い方。これに対して薬になるのは包摂と肯定のために使うとき。
- 周囲は励ますつもりで、あるいは刺激を与えようと思って、彼のことを傷つけてしまう。ときには「本当はさぼりたいだけなんでしょう」とひどいことを言ってしまったりする。それでますます彼は人間関係から撤退し、孤立を深めていく。
- 時が経てば経つほど事態が悪化していくときもあれば、時間をかけることで好転していくこともある。その分岐点は、その時間を他者と共有しているか否か。孤立しているときには、自分で何とかしようとするから、状況を余計に悪くしがち。だけど、きちんとつながりがあるならば、目に見えにくいかもしれないけれど、小さな配慮が大量になされている。つながりがあるときの時間の流れは治療的で、ないときには破壊的になる。時間を生かすも殺すも、つながり次第。
(7)誰が聞くのか
- 聞かれていないのは、言葉の内容ではなく、相手の切実な事情に他ならない。
- 中立性が役に立つのは、テーブルを分断し、おしゃべりを中断させてしまうほどの激しい信念が、どのような事情で生じてきたのかを聞こうとするとき。白か黒かの結論を出したり、それを支えるエビデンスやロジックを議論したりするのではなく、その白と黒の裏側にある傷つきの物語に耳を傾けるために、ひとまず自分の意見はおいておく。
- 恐怖におびえたときに必要なのは、敵じゃない人を見つけること。1人でもいい。誰かが味方であることがわかると、闇夜に朝日が兆したかのように、フェイズが変わり始める。まだまだ空は暗いけれど、それまでの暗さとは質が変わる。誰かが苦しさをわかってくれていると、1人ぼっちではなくなる。
- 自分にも複雑な事情があったこと、自分なりに切実な思いをしてきたこと、そういう気持ちをわかってもらい、苦しい気持ちを預かってもらえると、僕らの心にはスペースができる。そこに複雑な自分の置き場所ができ、他者の複雑さを置いておくことができるようになる。
- 友人的第三者は、直接現実に関わらないからこそ、友人は僕らのサイドに立って話を聞くことができる。自分の身に降りかかる火の粉を気にせずに、僕らの怒りや恐れに寄り添ってくれる。そういうときだけ、僕らは本音を漏らすことができる。意見が同じ味方がたくさんいるよりも、友人が1人いることのほうが、心にとっては貴重。
- 「聞く技術」の本質は、「聞いてもらう技術」を使ってモジモジしている人にそう声をかけるところにある。「何かあった?」と声をかけることで、話が始まる。聞いてもらった人は少し回復し、危機を乗り越えることができるかもしれない。すると、次はその人が別のモジモジしている誰かに「何かあった?」と声をかけることができる。
3.教訓
「聞いてもらう技術」は「うまくしゃべる技術」ではない。要点をまとめて、ロジカルに、わかりやすく話す必要はない。苦しんでいることについては、人はうまく話せないもの。
という記載に続く、
「聞いてもらう技術」とは「心配される技術」にほかならない。
本書はこの一文に集約されていると感じました。
本書を読む前は、聞くにはスキルが必要、聞いてもらうにもスキルが必要、という内容を想像していました。しかし、ここに記載の通り、全く異なる解釈の提示があります。
他にも、以下のような、確かになぁ、と思う内容もところどころに出てきます。
- 誰も自分の話や気持ちを聞いてくれないな、と思うと、本当につらい
- 「ふつう、そうだよね」と自分の価値観・解釈で話してしまっている
- ときに愚痴を言い合うのは、心のつながりには重要
- 無理に笑顔を繕ってもいいことはない
- 見える化=見られる化、ガラス張りの空間は息苦しいこともある
毎日順調で心配事がない、ということはまずありません。本当に大変だと感じているときには、自分の気持ちに嘘をついてまで気丈に振る舞うのをやめて、心の思うままの表情でいたいと思います。実際、そんな状態では、状況をうまく話すことなどできるはずもありません。そうすることで、誰かが「何かあった?」と声をかけてくれるかもしれません。
また、自身が自然体でいることによって、同じような雰囲気を放っている他者への感度が上がるようにも思います。その場合、自分からも「何かあった?」と声をかける。
つながりの重要性を意識していきたいと強く感じる良書でした。
