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齋藤孝式"学ぶ"ための教科書 ~必要な「思考力」「判断力」「表現力」が身につく!~ 齋藤孝 著

 

1.はじめに

齋藤孝さんは、本書の中でも紹介している「学問のすすめ」「福翁自伝」「論語」などの古典を数多く翻訳していますし、ニュース番組でのコメンテーターだけでなく、「全力!脱力タイムズ」などのバラエティにも出演しているので、テレビや本を通じて目にされたことも多いと思います。

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また、早朝に放送されている「テレビ寺子屋」で講義されている姿も何度か拝見したこともあって、以前から関心を持っていました。

今回、プロの教育学者から見た”学び”について学ぼうと思い、本書を手に取りました。

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2.内容

(1)「算数」や「理科」はなぜ勉強するのか

  • 一人で過ごす時間が”価値”を生み出す。くだらない用事を言いつけて、子どもの時間を分断させない。子どもの時間をバラバラにしてしまうのではなく、まとまった時間を持たせるのが大事。学生時代にどのように過ごしたのか。自分を支える知識や技術をつけるのが勉強
  • 学んで、その分野に詳しい人ほど感動する。感動が少ない人は、あまり知識がない人。知識がなければ感動は起きない。「だから何?」「それがどうした?」、驚きや感動が少ない人になると、心が揺さぶられるようなものがなくなり、人生そのものがつまらなくなる。
  • 自分で練習して、手で書いてみて、自分でそれをアレンジし、さらに自分の言葉にするという、アウトプットを前提にしたインプットにこそ意味がある。そうでないと、インプットした勉強は、ただ目の前を流れていくだけになってしまいがち。
  • 微分的なものの考え方は、変化への注目にある。微かな変化に気づくのが、微分的感性。子どもの成長を見守る場合、変化で評価してあげる。そうすると、励ましやすくなる。現在の数値を見るのではなくて、変化を見ることが大切
  • 新しい教育は、知識を咀嚼して、自己表現力を高める。それが勉強の新しいカタチ。丸暗記していれば点数が採れるが、それは表現力ではない。先生から「君の意見はどうですか」「どう見ているのか」と問われたときに答えられない。それではダメ。これからの時代は違う。
  • 要約力の高さは説明力の向上にもつながる。文章の要約が下手な人は説明も苦手。説明力が高い人は、生涯にわたって評価される。会社の会議で、手短に要約して説明してくれる人は一目置かれる
  • デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という言葉を残し、「座標軸」という数学的概念を発明したと言われている。どちらにも原点がある。要するに、デカルトは精神の立脚点を「自分は考えている」ということに置いている。それは、神の存在とは無関係に、自分の思考によって自分がそこに原点として存在するということ。原点は自分。一方の座標軸も、原点を定めればすべての位置関係が決まる、画期的な発明。
  • 柔軟になっていくというのが、勉強するひとつの姿勢。勉強して硬くなってしまったら意味がない。勉強というのは、心を柔らかくして活動範囲をどんどん広げることが必要。面白いと思う範囲が広がるし、深くなるのが勉強

(2)なぜ人は学ぶのか

  • 勉強には2つの面がある。①ワクワクして楽しいから学ぶという一面と、②これだけは身につけなければならないという一面。後者は義務と同じで、自分を鞭打っても学ばなければならない。
  • しっかりと学ばないと、あいまいな知識やふわふわとした技術しか身につかない。「好きだ」という気持ちは大事ですが、やるべき義務を遂行するというのも、勉強の大事な要素。勉強力のある人は、「義務だからやる」ことになれているので、大した苦も無くできる。イヤだなと思うことでも乗り越え、結果、それが身につくことで自分が伸びるのが勉強の良さ
  • 正解がこんな面白いもの、好きなものにあふれている、自分はたくさんのことに興味があると思えた瞬間、この世界で生きる価値が生まれ、自分を肯定することになる。自分に価値があるとかないとかの問いを立てる必要はなく、この世界で生きている自分を喜ぶのが重要。この世界は生きる価値がある。
  • よく、画一性は批判され、個性が大切だと言われる。しかし、問題なのは個性か画一性かではなく、自己修正力を身につけているかどうか。誰もが自己修正力を身につけているならば、結果として全員がより高い段階にいける。そうなることが他者からは個性的に見える。
  • 学びは、現実社会と折り合いをつけ、修正していくこと。現実社会で「学ぶ力がない」と言われる人は、「次にこう変えなければならないんだ」と思わないし、修正もしないため、同じ過ちを繰り返す。

(3)自身のある生き方をする

  • 自分の経験だけでは、普遍性が十分ではない。その理由は自分が携わる仕事に限界があるから。また、人間関係も一定の範囲にとどまる。自分が知らなかった世界が広がっており、本を通じて著者の渾身の力を込めた知恵を受け取ることができる
  • 世界一の選手になってもコーチがいて、そのコーチに支えられながら選手は試合に臨む。世界一になってもまだ、教わることがある。常に教わって指導を受け続けないと世界一は維持できない。いつまでも学び続けることが重要。学び続けていることで自信がつき、試合は勝ち続けられる。それが自己肯定力につながる。
  • 試験に不合格となったら、やってきたことがすべて無駄だったのか、消えてしまうのか。そんなことはない。一日一日頑張ってきた自分に自信が生まれる。自分が学んできたことに自負心を持つことが大事
  • 柔軟にこういう考え方もあるのだと常に更新し、今まではこう思ったけれども、この思い、考え方はちょっと変えないといけないと気づくことがある。それが学び。学びを止めてしまった人は、頑なな人というイメージになり、その人と対話をしていても、相手は楽しくない。考えが固まりすぎている人は、相手から学ぶことがないので、話している相手から全く刺激を受けることはない。
  • 「学ぶ」ことは「他者理解」。他者の考え方に賛同して、その他者を愛するかどうかは別にして、いろいろなものを理解することはとても重要。その意味で、「自分は自分だ」と主張している人は、あまり学ばない人かもしれない。
  • 「学び」の機会を失うな、生かせ。それは一回きりのこと。学ぶのはこの時しかない、という意識で学ぶことが大切

3.教訓

本書の中では、絵画やクラシック音楽、物理学など、本当に幅広いジャンルについての話題が登場します。

齋藤孝さんの著書累計発行は1,000万部を超えているような方ですので、私のような凡人ではあらゆる範囲をすべて真似できるわけもないのですが、学ぶ姿勢であったり意義であったりについては、頷きながら読み進むことができました。

自身でも管理職になってからのほうが、読書や研修の時間に充てることが増えました。自分のことだけやっておけばよかった担当者ときよりも、チーム全体の案件をを理解し、他部署との交渉・説明をし、期末には人事評価もするとなって、管理職になってからは本当にやることが増えました。

そうなると、すべて自己流でやるのは難しく、かつ効率が悪すぎ、他者はどうやっているか、社外や世の中にはどのような方法・技術があるのかを理解しないと、まったく立ちいかなくなります。

実際、学んだ内容が増えると、正解が1つではないことがわかり、取りうる選択肢を増やすことができます。自分のやり方に固執しすぎな人もいることに気づけたり、今度はこうやってみようと思えることも増えます。

自身でも改めて”学び”の大切さに気づけ、これからも学び続けようと思えましたし、中高生の子どもが読むのにも適度な内容だと思います。

多様性の科学 画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織 マシュー・サイド著

1.はじめに

本書の原題は「Rebel Ideas」、副題は「The Power of Diverse Thinking」です。

それぞれ和訳すると「反逆者の考え方」「多様な思考の力」という意味かと思います。

題名自体には”科学”は出てきませんし、以前読んだ「失敗の科学」の原題も「Black Box Thinking」です。

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では、「科学(Science)」とは何か。

辞書によると、「一定領域の対象を客観的な方法で系統的に研究する活動。また、その成果の内容。」とあり、本書は多様性そのものより、集合知の観点から組織論を科学しているもの、と理解しました。

2.内容

(1)画一的集団の「死角」 COLLECTIVE BLINDNESS

  • 能力の高さを追求した結果、自然発生的に多様性が生まれるならそれでいい。しかし、能力以前に多様性を求めるのは別の話。目標の達成を危うくしかねない。能力の高さを犠牲にしてまで人員の「幅を広げる」ことに価値はない。しかし、本書で紐解いていくのは、そうした考え方こそが間違いであるという事実。
  • 個人個人の能力ばかりでなく、チームや集団全体を見る姿勢が欠かせない。それでこそ高い「集合知」を得られる。同じ考え方の人々の集団より、多様な視点を持つ集団のほうが大いに、たいていの場合は圧倒的に、有利だ。
  • 直線的ではない複雑な問題の場合、誰が正しくて誰が間違いという明確な線引きは難しい。肝心なのは、異なるレンズを通してものを見ること。そこから新たなヒントや解決策が見えてくる。同じような枠組みで物事を考えていたとしたら、「盲点」も共通している可能性が高い。その場合、時には部外者の目を借りることも必要
  • 我々はみな、自分自身のものの見方や考え方には無自覚。誰でも一定の枠組みで物事をとらえているが、その枠組みは自分には見えない。結果、違う視点で物事を捉えている人から学べることがたくさんあるのに、それに気づかず日々を過ごしてしまう。
  • 多様性に欠ける画一的な集団は、ただパフォーマンスが低いというだけにとどまらない。同じような人々の集団は盲点も共通しがち。しかもその傾向を互いに強化してしまう。これはときに「ミラーリング」と呼ばれる。ものの見方が似たもの同士は、まるで鏡に映したように同調しあう。そんな環境では、不適切な判断や完全に間違った判断にも自信を持つようになる
  • どれだけ優秀でも、同じ特徴の者ばかりを集めた多様性に欠けるチームでは、集合知を得られず高いパフォーマンスを発揮できない。たった1つの世界観でものを見る人間ばかりで組織されていては、敵を把握して何を計画しているか予測することなどできない。

(2)クローン対反逆者 REBELS VERSUS CLONES

  • たしかに反逆者(門外漢)のアイデアは却下されることが多かったし、激しい論議になることもあった。しかしそれをきっかけに視点が広がって、より懸命な解決策を導き出せることがほとんどだった。話し合いの方法などにときおり変化を加える工夫は必要だろう。それでこそ高い集合知を発揮できる。
  • 多様な枠組みの集団は違う。なんでもオウム返しに同意し合うクローンの集まりではない。反逆者の集団だ。しかしただ無闇に反論するのではなく、問題空間の異なる場所から意見や知恵を出す。新たな視点に立ち、それまでとは違った角度から視野を広げてくれる。それが高い集合知をもたらす。つまり集団が頭数以上の力を発揮できるようになる。全体が部分の総和に勝る
  • 同じ観点でしかものを考えられなければ、いくら問題そのものをこと細かに見たところで、盲点を取り巻く壁を厚くするだけ。難問に挑む前に認知的多様性を実現することが欠かせない。それで初めてミラーリングを避け、高い集合知を得ることができる。
  • ただ言うまでもなく、集団の各メンバーにあまり知識がなければ、その意見を組み合わせたところで正解にはたどり着けない。今後10年で海水レベルがどこまで上昇するかを素人に訊いても無駄。集合知を得るには賢い個人が必要。それと"同時に"多様性も欠かせない。そうでなければ同じ盲点を共有することになる
  • 画一的な集団が抱えるもっとも根深い問題は、本来見なければいけないデータや、聞かなければいけない質問や、つかまえなければいけないチャンスを、自分たちが逃していることに気づいてさえいないこと。取り組む問題が複雑なほどそうなりうる。視野の狭い画一的な集団は、みな同じ場所で立ち往生して盲目になり、解決の糸口やチャンスを見逃してしまう
  • 肌の色や性別が異なるからと言って、認知性多様性が高まるわけではない。単にチェック項目を増やしたところで集団知は得られない。それに最初は多様性豊かな集団でも、そのうち集団の主流派や多数派に引っ張られて(同化して)結局みな画一的な考え方になってしまうことがある。同じ組織に長い間いると、みな代わり映えしない考え方になってくる。

(3)不均衡なコミュニケーション CONSTRUCTIVE DISSENT

  • 部下はいつでも上司の機嫌をとろうと、意見やアイデアを持ち上げる。身振りや手振りを真似しさえする。多様性はそうやって排除される。決して最初から多様な意見がないのではなく、表明する場がない。ヒエラルキーがものをいう環境下では、権限あるリーダーの存在は抑圧を招く
  • HiPPO(カバ、Highest Paid Person's Opinion、最高給取りの意見)は世界を支配している。部下のデータを却下し、会社や顧客にまで自分の意見を押し付け、物事を一番わかっているのは自分だと(ときにはそれも事実だが)信じて疑わない。その存在のせいで会議は意見が出なくなる
  • 「団結力」はチームにとって重要であることは間違いないものの、それだけでは足りない。複雑な状況下では、たとえどれだけ互いに献身的なチームであろうと、多様な視点や意見が押しつぶされている限り、あるいは重要な情報が共有されない限り、適切な意思決定はなされない
  • たいていの会議が機能不全に陥っている。参加者の多くは発言をせず、地位の格差で方向性が決まる。みな自分の言いたいことを言わず、リーダーが聞きたいであろうことを言う。その結果、重要な情報を共有し損なう。リーダーやほかの人が自分の知っていることを知らないとは思い至らない。
  • せっかく各人が有益な情報を持っているのに、その情報が集団の判断材料になることはなく、支配的なリーダーが場の流れを決めてしまう。するとメンバーはリーダーの意見に合う情報ばかりを共有し始め、反論材料となる情報は無意識に隠蔽されて多様性は失われる。こうした現象は「情報カスケード(集団の構成員がみな同じ判断をして一方向になだれ込んでいく現象)」と呼ばれる。
  • 互いを修正し合うことなく、特定の意見に同調して一方向に流れ出すと、それがひどい間違いであっても、自分たちの判断は正しいと信じ込むようになる。ほとんどの場合、集団の失敗は「会議をしたにもかかわらず」ではなく「会議をしたからこそ」起こっている
  • 支配型も尊敬型もそれぞれに適した時と場所がある。何か計画を実行するときに重要なのは支配型。しかし新たな戦略を考えたり、将来を予測したり、イノベーションを起こそうというときは、多様な視点が欠かせない。そういう場合、支配型は大惨事を招く。賢明なリーダーはその両方を使い分けることができる。
  • ヒエラルキーの存在そのものを批判しているわけではない。たいていのチームは指揮系統が明確なほうがうまく機能する。ヒエラルキーによって役割分担がなされ、従属者が「木」を見て細部の問題に取り組む間、リーダーは「森」を見ることができるヒエラルキーが無ければ、メンバーは次に何をするべきかで常に言い争うことになる。
  • いわゆるワンマンな人物は、不安定な状況の中で組織が失った主導権を取り戻して安定を保障する期待の星に見える。しかし、支配的なやり方では十分な問題解決ができない。それなのに我々は無意識のうちに支配的なリーダーを求めてしまう。つまり支配型ヒエラルキーの問題は、単にリーダーだけの問題ではなく、そんなリーダーを求めるチームや組織の問題

(4)イノベーション INNOVATION

  • 融合はいわば「異種交配であり、それまで関連のなかったアイデア同士を掛け合わせて、問題空間を広くカバーする手段。「反逆者の融合」と言っていいだろう。古いものと新しいもの、内と外、陰と陽の組み合わせ。
  • 人は熟練して深い知識があるからこそ、現状にとらわれやすい。そのせいで、新たなテクノロジーによる進化の可能性に気づけなくなる。既存の工程、顧客、仕入業者など、それらすべてが明らかなはずの物事を覆い隠してしまう。
  • 心理学者は「概念的距離」という表現をよく使う。我々は1つの問題に没頭していると、どんどんその細部に取り込まれていって、そのうちそこにいるほうが楽になる。あるいは表面的な調整だけして満足するようになる。自分の枠組みの囚人となる。しかしその壁から一歩外に出て対象から概念的に距離を取ってみると新たな視点が生まれる
  • 融合が進化の原動力になりつつある現代において、重要な役割を果たすのは、従来の枠組みを飛び越えていける人々。異なる分野間の橋渡しができる人々、立ちはだかる壁を普遍のもの、破壊不可能なものとは考えない人々が、未来への成長の扉を開いていく
  • カギとなるのは第三者マインドセット。そもそもの概念を深く理解できていてこそ、そこから距離をとることに意味が出てくる。当事者でいながら、第三者でいることが肝心。現状をしっかり把握したうえで、疑問を呈する。戦略的な反逆者でなくてはならない。
  • 閉ざされたネットワークが招くのは孤立だけではない。それまで以上に視野を狭めることにもなり、危険な連鎖。自分だけの枠組みの中に閉じこもれば閉じこもるほど、新たなチャンスを脅威とみなすようになる

(5)エコーチェンバー現象 ECHO CHAMBERS

  • 交流できる人の数が多いということは、自分と似ている人の数も多いということ。つまり、自分と考え方の似ている人と友達になりたいと思ったら、探せば見つかる可能性が高い。だから「細かい選り好み」ができる。これが現代社会における特徴的な問題の1つ、「エコーチェンバー現象同じ意見の者同士でコミュニケーションを繰り返し、特定の信念が強化される現象)」につながる。
  • エコーチェンバー現象は、この信頼に関わる人間の隙に付け込んで、歪んだフィルターをかける。反対派の意見は徹底的に攻撃し、反対派自身には人身攻撃を行って、その人物もろとも信憑性を徹底的に貶める。そうやって逆に自分たちを正当化する
  • 問題は、相手が間違ったことをしていないのに、ただ自分と反対の意見だからという理由で攻撃することや、自分の信念に沿わないものを悪として論じること。それは論議ではなく、単なる二項対立にすぎない。

(6)平均値の落とし穴 BEYOND AVERAGE

  • 有益な違いがあればなおさら、組織や社会がそれを考慮してしかるべきで、むしろ称賛に値する。それなのに標準化された1つの型に全員を押し込めてしまったら、平均値に惑わされてさまざまな違いを見過ごしていたら、せっかくの多様性を活かすことも、その恩恵を享受することもできない。
  • 標準化により、多様性を統合するのではなく、はじめから除外してしまう。エコノミストにみな同じモデルで予測をしろというのと同じ。たった1種類の平均的モデルを強制して、個人個人の有益な違いはすべて無視していたら、反逆者のアイデアは枯渇してしまう
  • 現状を不変のものとして受け止める従業員は、問題の解決率が低い傾向が見られた。マニュアルの枠から出ようとはしないからだ。しかし能動的に行動を起こさなければ、うまくいかないことが重なる。そのうち不満が募って離職に至る。
  • 例えば、ピアノの鍵盤は男性の手の平均サイズに合わせて作られた。ここで言っておかなければならないのは、そうした事例がほとんどの場合、悪意に起因するものではないということ。何かしら考慮した結果というわけでもない。何世紀もの間ずっとそうだったように、そもそも女性のことを考えてさえいない。このような無意識の標準化は科学の世界にも深く浸透している。
  • 何を選ぶかより、選ぶという行為そのものに大きな意味がある。自分の好みや個性に合わせて、自分だけの世界を作れる。ちっぽけなことに思えるかもしれないが、当人にとっては非常に重要。組織で多様性をうまく取り入れるには、こうした環境づくりも大事な要素となる。

(7)大局を見る THE BIG PICTURE

  • 密な社会的集団があれば、その中で学習が進む。密な集団に属していれば仲間から学べる。すでに頭のいい者でさえ、まわりから学ぶことは多い。1人なら一生かけてやっと学べるような知恵を集団から得られる
  • 他の動物はほぼ原始的な能力しか身につけていない。たとえ特定の個体がイノベーションを起こしても、その世代とともに消えてしまう。どの動物も遺伝的な進化の可能性を秘めているものの、文化的な進化は進まない。人類の祖先と比べて個々の知能が低かったわけでなく、集団としての知能が低かった。
  • 知恵やアイデアの蓄積によって文化的な進化が始まると、生存のためのスキルが集団の中で次第に洗練されていく。それと同時に選択圧が働き出し、スキルを最も効率よく集団から獲得・記憶・整理する心理的能力を身につけた者が生き延びるようになって、遺伝的な進化がもたらされる。生じた進化自体が触媒となってさらなる進化を促進する。
  • 自身の知識や創造的なアイデアを人と共有しようという姿勢でいると、大きな見返りを得られる。できる限り自分のために価値を得ようとするか、それとも他者に与えようとするかの選択が成功を収められるかどうかに圧倒的な影響をもたらす。
  • 多様な意見は秩序を乱す脅威ではない。組織や社会を活性化する力。率直な反対意見も成長には欠かせない。新たなアイデアを融合して、新たな挑戦のために結束力を高めていくためだ。今や融合のイノベーションを起こさずに、急速に変化する世界についていくことはできない。
  • 集合知の重要性を理解すれば、現代の企業や集団の間でイノベーションの速度や頻度に大きな差がある理由がわかる。問題は個々人の知性の高さではない。肝心なのは、集団の中で人々が自由に意見を交換できるか、互いの反論を受け入れられるか、他者から学ぶことができるか、協力し合えるか、第三者の意見を聞き入れられるか、失敗や間違いを許容できるかだ。イノベーションはたった1人の天才が起こすわけではない。人々が自由につながりあえる広範なネットワークが不可欠。

3.教訓

直前に引用した一番最後の●のジョセフ・ヘンリック氏が話す内容が、本書を最も簡潔に要約した内容になっていると思います。ここから感じたのは、「多様性」と「心理的安全性」はかなり近い考え方だということです。

すなわち、何を言っても受け入れてもらえると思えるからこそ、多様なアイデアを発表できる機会が生まれ、それをもとに異なる角度から活発に意見交換することで、よりよい結論が導き出せる、と理解しています。

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またHiPPOの話も肌感を持って理解できます。そのため、私がチームでディスカッションやブレストをする際には、自分の意見とは違うなと思ったときでも、最後まで発言はとっておき、チーム員がそれぞれ何をどんな風に話すのかを聞くよう意識しています。

そうしないと、「●●さん(自分のこと)がそう言うならそれで行きましょう」、となってしまうことがどうしてもあると考えているからです。結果として話し合いが盛り上がり過ぎて予定時刻を過ぎてしまい、次の会議室予約者が来てしまって、自分の発言の機会が無くミーティングが散会になってしまうこともあります。しかし、それでもいいと思っていて、

そして、多様性は以前は「D&I」のDとして語られることが多かったのですが、最近では「DE&I」として、Equity(公平性)を加えて話題になることが増えました。

下の絵を見たことがあるという方もいるかもしれませんが、単に機会を平等(Equality)に与えるだけでなく、望ましい結果が得られるように支援・調整することが求められています。

interactioninstitute.org

平等に発言権を用意したとしても、結果として声が大きい人の意見が通る、ということでは、「どうせ自分が何を言っても無駄」と思われてしまいがちです。

そうならないように、全体に目配せをして多くの声を拾っていくことの大切さがよく理解できる良書としておすすめします。

読みたいことを、書けばいい。人生が変わるシンプルな文章術 田中泰延 著

 

1.はじめに

副題の「人生が変わるシンプルな文章術」という言葉に引かれ、本書を手に取りました。

自身の仕事では、社内で守ってほしいルールを作成し、その運営を開始する依頼文を書くことが多いので、面白くもなんともない内容を読んでもらうためにはどうしたらよいのか参考にしようと読み始めました。

しかしそれは文書であって文章でなく、本書はライターなど文章を書くことで生計を立てたい人や、人気ブロガーになりたい人向け寄りの内容でしたので、ちょっと当初の目的とは外れてしまいましたが、今後もブログを続けていく際の参考になると思い、紹介させていただこうと思います。

2.内容

(1)なにを書くのか

  • レポート、論文、メール、報告書、企画書。これらは「問題解決」のためであったり、「目的達成」のためであったりする書類。世の中に出回っている「文章術」の本は、これらの書き方を懇切丁寧に教えようとしている。それらは文章というより、業務用の「文書」。
  • 随筆の定義は、「事象と心象が交わるところに生まれる文章」。事象とは見聞きしたことや知ったこと。それに触れて心が動き、書きたくなる気持ちが心象。その2つがそろって初めて随筆が書かれる。人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたい
  • 言葉に対する思考の最初になくてはならないのは、「ことばを疑うこと」。その単語に自分がはっきりと感じる重みや実体があるか。わけもわからないまま誰かが使った単語を流用していないか。自分自身がその言葉の実体を理解することが重要で、そうでなければ他人に意味を伝達することは不可能
  • 客観的な姿勢で対象に接すること、対象について調べて発見すること、対象を愛せるポイントを見つけること、伝えることを絞って短い文章にまとめること、そして何より自分が面白いと感じられないものは他人も面白くないという事実を視聴者を相手に肌で感じること。その意識を持つことが文章を書くときに役立つ。

(2)だれに書くのか

  • あなたは、全く誰からも褒められなかったとしても、朝出かけるとき、最低限、自分が気に入るように服を着るだろう。文章もそれでいい。
  • 読み手など想定して書かなくていい。その文章を最初に読むのは、間違いなく自分。自分で読んで面白くなければ、書くこと自体が無駄になる。
  • 書いた文章を読んで喜ぶのは、まず自分自身であるというのがこの本の主旨。満足かどうか、楽しいかどうかは自分が決めればいい。しかし、評価は他人が決める。他人がどう思うかは、あなたが決められることではない。
  • すべっていると批判してくる人もいる。すべることもできない人間は、すべろうともしていない。そんな人間を相手にする必要がない。
  • 他人の人生を生きてはいけない。書くのは自分。誰も代わりに書いてくれない。あなたはあなたの人生を生きる。その方法のひとつが「書く」ということ。

(3)どう書くのか

  • 随筆とは、結局最後には心象を述べる著述形式。そのためには、事象を提示して興味を持ってもらわなければならない。事象とは、常に人間の外部にあるものであり、心象を語るためには事象の強度が不可欠
  • 結論の重さは過程に支えられる。これこそ、文章が持つ力の根源。
  • 自分が最も心を動かされた部分だけをピックアップして、あとは切り捨てる「編集」をするのは自然なこと。うまく書けたもよく書けたもない。ただ「過不足がない」と自分で思えたとき、それは他人が読んでも理解できるものになる
  • 本を読むことを、すぐ使える実用的な知識を得るという意味に矮小化してはいけない。本を読むことを、その文章や文体を学ぶということに限定してはいけない。本という高密度な情報の集積こそ、あなたが人生で出会う事象の最たるものであり、あなたが心象をいだくべき対象

(4)なぜ書くのか

  • 書けば書くほど、その人の世界は狭くなっていく。しかし、恐れることはない。なぜなら、書くのはまず自分のためだから。あなたが触れた事象は、あなただけが知っている。あなたが抱いた心象は、あなただけが憶えている。あなたは世界のどこかに、小さな穴を掘るように、小さな旗を立てるように書けばいい。すると、誰かがいつか、そこを通る。
  • 言葉とは、相手の利益になる使い方をすれば、相手の持ち物も増え、自分の持ち物も増える道具。書いたら減るのではない、増えるのである。そのことを忘れずに書き、流通させ、交換させられれば、書き手はさらに価値のある言葉を手に入れることになるだろう。

3.教訓

2.の冒頭にあるように、仕事でのメールやマニュアルは、依頼する相手だったりシステムを操作したりという対象が決まっている、特定の相手の人に向かっている文書です。そこに感情はなく、単に業務を回すために存在する文字であって、私を含めたほとんどの社会人が書いているのは文章でなく文書、ということになると思います。

一方で、今現在書いている、公開設定のブログについては、不特定多数の誰かに読まれることを想定しています。個人的には、タイトルのように、管理職目線で社会人向けに参考になる本を紹介していますので、ここでも「ターゲットを想定しなくていい」という本書と真逆の戦略を取ってしまっています。

ただ、この”教訓”の部分だけは随筆的に書いている文章であると考えているため、「まず自分が面白いと思えるもの」「過不足ない内容」ということは納得の一言です。

「あ、自分もこういう場面に遭遇したことがあるので参考になる」という共感や、「ちょっとこの本を読んでみたくなった」という興味を持っていただける内容を、他の誰でもない自分の体験・言葉で表現することを意識したいと思います。