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1.はじめに
齋藤孝さんは、本書の中でも紹介している「学問のすすめ」「福翁自伝」「論語」などの古典を数多く翻訳していますし、ニュース番組でのコメンテーターだけでなく、「全力!脱力タイムズ」などのバラエティにも出演しているので、テレビや本を通じて目にされたことも多いと思います。
また、早朝に放送されている「テレビ寺子屋」で講義されている姿も何度か拝見したこともあって、以前から関心を持っていました。
今回、プロの教育学者から見た”学び”について学ぼうと思い、本書を手に取りました。
2.内容
(1)「算数」や「理科」はなぜ勉強するのか
- 一人で過ごす時間が”価値”を生み出す。くだらない用事を言いつけて、子どもの時間を分断させない。子どもの時間をバラバラにしてしまうのではなく、まとまった時間を持たせるのが大事。学生時代にどのように過ごしたのか。自分を支える知識や技術をつけるのが勉強。
- 学んで、その分野に詳しい人ほど感動する。感動が少ない人は、あまり知識がない人。知識がなければ感動は起きない。「だから何?」「それがどうした?」、驚きや感動が少ない人になると、心が揺さぶられるようなものがなくなり、人生そのものがつまらなくなる。
- 自分で練習して、手で書いてみて、自分でそれをアレンジし、さらに自分の言葉にするという、アウトプットを前提にしたインプットにこそ意味がある。そうでないと、インプットした勉強は、ただ目の前を流れていくだけになってしまいがち。
- 微分的なものの考え方は、変化への注目にある。微かな変化に気づくのが、微分的感性。子どもの成長を見守る場合、変化で評価してあげる。そうすると、励ましやすくなる。現在の数値を見るのではなくて、変化を見ることが大切。
- 新しい教育は、知識を咀嚼して、自己表現力を高める。それが勉強の新しいカタチ。丸暗記していれば点数が採れるが、それは表現力ではない。先生から「君の意見はどうですか」「どう見ているのか」と問われたときに答えられない。それではダメ。これからの時代は違う。
- 要約力の高さは説明力の向上にもつながる。文章の要約が下手な人は説明も苦手。説明力が高い人は、生涯にわたって評価される。会社の会議で、手短に要約して説明してくれる人は一目置かれる。
- デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という言葉を残し、「座標軸」という数学的概念を発明したと言われている。どちらにも原点がある。要するに、デカルトは精神の立脚点を「自分は考えている」ということに置いている。それは、神の存在とは無関係に、自分の思考によって自分がそこに原点として存在するということ。原点は自分。一方の座標軸も、原点を定めればすべての位置関係が決まる、画期的な発明。
- 柔軟になっていくというのが、勉強するひとつの姿勢。勉強して硬くなってしまったら意味がない。勉強というのは、心を柔らかくして活動範囲をどんどん広げることが必要。面白いと思う範囲が広がるし、深くなるのが勉強。
(2)なぜ人は学ぶのか
- 勉強には2つの面がある。①ワクワクして楽しいから学ぶという一面と、②これだけは身につけなければならないという一面。後者は義務と同じで、自分を鞭打っても学ばなければならない。
- しっかりと学ばないと、あいまいな知識やふわふわとした技術しか身につかない。「好きだ」という気持ちは大事ですが、やるべき義務を遂行するというのも、勉強の大事な要素。勉強力のある人は、「義務だからやる」ことになれているので、大した苦も無くできる。イヤだなと思うことでも乗り越え、結果、それが身につくことで自分が伸びるのが勉強の良さ。
- 正解がこんな面白いもの、好きなものにあふれている、自分はたくさんのことに興味があると思えた瞬間、この世界で生きる価値が生まれ、自分を肯定することになる。自分に価値があるとかないとかの問いを立てる必要はなく、この世界で生きている自分を喜ぶのが重要。この世界は生きる価値がある。
- よく、画一性は批判され、個性が大切だと言われる。しかし、問題なのは個性か画一性かではなく、自己修正力を身につけているかどうか。誰もが自己修正力を身につけているならば、結果として全員がより高い段階にいける。そうなることが他者からは個性的に見える。
- 学びは、現実社会と折り合いをつけ、修正していくこと。現実社会で「学ぶ力がない」と言われる人は、「次にこう変えなければならないんだ」と思わないし、修正もしないため、同じ過ちを繰り返す。
(3)自身のある生き方をする
- 自分の経験だけでは、普遍性が十分ではない。その理由は自分が携わる仕事に限界があるから。また、人間関係も一定の範囲にとどまる。自分が知らなかった世界が広がっており、本を通じて著者の渾身の力を込めた知恵を受け取ることができる。
- 世界一の選手になってもコーチがいて、そのコーチに支えられながら選手は試合に臨む。世界一になってもまだ、教わることがある。常に教わって指導を受け続けないと世界一は維持できない。いつまでも学び続けることが重要。学び続けていることで自信がつき、試合は勝ち続けられる。それが自己肯定力につながる。
- 試験に不合格となったら、やってきたことがすべて無駄だったのか、消えてしまうのか。そんなことはない。一日一日頑張ってきた自分に自信が生まれる。自分が学んできたことに自負心を持つことが大事。
- 柔軟にこういう考え方もあるのだと常に更新し、今まではこう思ったけれども、この思い、考え方はちょっと変えないといけないと気づくことがある。それが学び。学びを止めてしまった人は、頑なな人というイメージになり、その人と対話をしていても、相手は楽しくない。考えが固まりすぎている人は、相手から学ぶことがないので、話している相手から全く刺激を受けることはない。
- 「学ぶ」ことは「他者理解」。他者の考え方に賛同して、その他者を愛するかどうかは別にして、いろいろなものを理解することはとても重要。その意味で、「自分は自分だ」と主張している人は、あまり学ばない人かもしれない。
- 「学び」の機会を失うな、生かせ。それは一回きりのこと。学ぶのはこの時しかない、という意識で学ぶことが大切。
3.教訓
本書の中では、絵画やクラシック音楽、物理学など、本当に幅広いジャンルについての話題が登場します。
齋藤孝さんの著書累計発行は1,000万部を超えているような方ですので、私のような凡人ではあらゆる範囲をすべて真似できるわけもないのですが、学ぶ姿勢であったり意義であったりについては、頷きながら読み進むことができました。
自身でも管理職になってからのほうが、読書や研修の時間に充てることが増えました。自分のことだけやっておけばよかった担当者ときよりも、チーム全体の案件をを理解し、他部署との交渉・説明をし、期末には人事評価もするとなって、管理職になってからは本当にやることが増えました。
そうなると、すべて自己流でやるのは難しく、かつ効率が悪すぎ、他者はどうやっているか、社外や世の中にはどのような方法・技術があるのかを理解しないと、まったく立ちいかなくなります。
実際、学んだ内容が増えると、正解が1つではないことがわかり、取りうる選択肢を増やすことができます。自分のやり方に固執しすぎな人もいることに気づけたり、今度はこうやってみようと思えることも増えます。
自身でも改めて”学び”の大切さに気づけ、これからも学び続けようと思えましたし、中高生の子どもが読むのにも適度な内容だと思います。