1.はじめに
本書の原題は「Rebel Ideas」、副題は「The Power of Diverse Thinking」です。
それぞれ和訳すると「反逆者の考え方」「多様な思考の力」という意味かと思います。
題名自体には”科学”は出てきませんし、以前読んだ「失敗の科学」の原題も「Black Box Thinking」です。
では、「科学(Science)」とは何か。
辞書によると、「一定領域の対象を客観的な方法で系統的に研究する活動。また、その成果の内容。」とあり、本書は多様性そのものより、集合知の観点から組織論を科学しているもの、と理解しました。
2.内容
(1)画一的集団の「死角」 COLLECTIVE BLINDNESS
- 能力の高さを追求した結果、自然発生的に多様性が生まれるならそれでいい。しかし、能力以前に多様性を求めるのは別の話。目標の達成を危うくしかねない。能力の高さを犠牲にしてまで人員の「幅を広げる」ことに価値はない。しかし、本書で紐解いていくのは、そうした考え方こそが間違いであるという事実。
- 個人個人の能力ばかりでなく、チームや集団全体を見る姿勢が欠かせない。それでこそ高い「集合知」を得られる。同じ考え方の人々の集団より、多様な視点を持つ集団のほうが大いに、たいていの場合は圧倒的に、有利だ。
- 直線的ではない複雑な問題の場合、誰が正しくて誰が間違いという明確な線引きは難しい。肝心なのは、異なるレンズを通してものを見ること。そこから新たなヒントや解決策が見えてくる。同じような枠組みで物事を考えていたとしたら、「盲点」も共通している可能性が高い。その場合、時には部外者の目を借りることも必要。
- 我々はみな、自分自身のものの見方や考え方には無自覚。誰でも一定の枠組みで物事をとらえているが、その枠組みは自分には見えない。結果、違う視点で物事を捉えている人から学べることがたくさんあるのに、それに気づかず日々を過ごしてしまう。
- 多様性に欠ける画一的な集団は、ただパフォーマンスが低いというだけにとどまらない。同じような人々の集団は盲点も共通しがち。しかもその傾向を互いに強化してしまう。これはときに「ミラーリング」と呼ばれる。ものの見方が似たもの同士は、まるで鏡に映したように同調しあう。そんな環境では、不適切な判断や完全に間違った判断にも自信を持つようになる。
- どれだけ優秀でも、同じ特徴の者ばかりを集めた多様性に欠けるチームでは、集合知を得られず高いパフォーマンスを発揮できない。たった1つの世界観でものを見る人間ばかりで組織されていては、敵を把握して何を計画しているか予測することなどできない。
(2)クローン対反逆者 REBELS VERSUS CLONES
- たしかに反逆者(門外漢)のアイデアは却下されることが多かったし、激しい論議になることもあった。しかしそれをきっかけに視点が広がって、より懸命な解決策を導き出せることがほとんどだった。話し合いの方法などにときおり変化を加える工夫は必要だろう。それでこそ高い集合知を発揮できる。
- 多様な枠組みの集団は違う。なんでもオウム返しに同意し合うクローンの集まりではない。反逆者の集団だ。しかしただ無闇に反論するのではなく、問題空間の異なる場所から意見や知恵を出す。新たな視点に立ち、それまでとは違った角度から視野を広げてくれる。それが高い集合知をもたらす。つまり集団が頭数以上の力を発揮できるようになる。全体が部分の総和に勝る。
- 同じ観点でしかものを考えられなければ、いくら問題そのものをこと細かに見たところで、盲点を取り巻く壁を厚くするだけ。難問に挑む前に認知的多様性を実現することが欠かせない。それで初めてミラーリングを避け、高い集合知を得ることができる。
- ただ言うまでもなく、集団の各メンバーにあまり知識がなければ、その意見を組み合わせたところで正解にはたどり着けない。今後10年で海水レベルがどこまで上昇するかを素人に訊いても無駄。集合知を得るには賢い個人が必要。それと"同時に"多様性も欠かせない。そうでなければ同じ盲点を共有することになる。
- 画一的な集団が抱えるもっとも根深い問題は、本来見なければいけないデータや、聞かなければいけない質問や、つかまえなければいけないチャンスを、自分たちが逃していることに気づいてさえいないこと。取り組む問題が複雑なほどそうなりうる。視野の狭い画一的な集団は、みな同じ場所で立ち往生して盲目になり、解決の糸口やチャンスを見逃してしまう。
- 肌の色や性別が異なるからと言って、認知性多様性が高まるわけではない。単にチェック項目を増やしたところで集団知は得られない。それに最初は多様性豊かな集団でも、そのうち集団の主流派や多数派に引っ張られて(同化して)結局みな画一的な考え方になってしまうことがある。同じ組織に長い間いると、みな代わり映えしない考え方になってくる。
(3)不均衡なコミュニケーション CONSTRUCTIVE DISSENT
- 部下はいつでも上司の機嫌をとろうと、意見やアイデアを持ち上げる。身振りや手振りを真似しさえする。多様性はそうやって排除される。決して最初から多様な意見がないのではなく、表明する場がない。ヒエラルキーがものをいう環境下では、権限あるリーダーの存在は抑圧を招く。
- HiPPO(カバ、Highest Paid Person's Opinion、最高給取りの意見)は世界を支配している。部下のデータを却下し、会社や顧客にまで自分の意見を押し付け、物事を一番わかっているのは自分だと(ときにはそれも事実だが)信じて疑わない。その存在のせいで会議は意見が出なくなる。
- 「団結力」はチームにとって重要であることは間違いないものの、それだけでは足りない。複雑な状況下では、たとえどれだけ互いに献身的なチームであろうと、多様な視点や意見が押しつぶされている限り、あるいは重要な情報が共有されない限り、適切な意思決定はなされない。
- たいていの会議が機能不全に陥っている。参加者の多くは発言をせず、地位の格差で方向性が決まる。みな自分の言いたいことを言わず、リーダーが聞きたいであろうことを言う。その結果、重要な情報を共有し損なう。リーダーやほかの人が自分の知っていることを知らないとは思い至らない。
- せっかく各人が有益な情報を持っているのに、その情報が集団の判断材料になることはなく、支配的なリーダーが場の流れを決めてしまう。するとメンバーはリーダーの意見に合う情報ばかりを共有し始め、反論材料となる情報は無意識に隠蔽されて多様性は失われる。こうした現象は「情報カスケード(集団の構成員がみな同じ判断をして一方向になだれ込んでいく現象)」と呼ばれる。
- 互いを修正し合うことなく、特定の意見に同調して一方向に流れ出すと、それがひどい間違いであっても、自分たちの判断は正しいと信じ込むようになる。ほとんどの場合、集団の失敗は「会議をしたにもかかわらず」ではなく「会議をしたからこそ」起こっている。
- 支配型も尊敬型もそれぞれに適した時と場所がある。何か計画を実行するときに重要なのは支配型。しかし新たな戦略を考えたり、将来を予測したり、イノベーションを起こそうというときは、多様な視点が欠かせない。そういう場合、支配型は大惨事を招く。賢明なリーダーはその両方を使い分けることができる。
- ヒエラルキーの存在そのものを批判しているわけではない。たいていのチームは指揮系統が明確なほうがうまく機能する。ヒエラルキーによって役割分担がなされ、従属者が「木」を見て細部の問題に取り組む間、リーダーは「森」を見ることができる。ヒエラルキーが無ければ、メンバーは次に何をするべきかで常に言い争うことになる。
- いわゆるワンマンな人物は、不安定な状況の中で組織が失った主導権を取り戻して安定を保障する期待の星に見える。しかし、支配的なやり方では十分な問題解決ができない。それなのに我々は無意識のうちに支配的なリーダーを求めてしまう。つまり支配型ヒエラルキーの問題は、単にリーダーだけの問題ではなく、そんなリーダーを求めるチームや組織の問題。
(4)イノベーション INNOVATION
- 融合はいわば「異種交配」であり、それまで関連のなかったアイデア同士を掛け合わせて、問題空間を広くカバーする手段。「反逆者の融合」と言っていいだろう。古いものと新しいもの、内と外、陰と陽の組み合わせ。
- 人は熟練して深い知識があるからこそ、現状にとらわれやすい。そのせいで、新たなテクノロジーによる進化の可能性に気づけなくなる。既存の工程、顧客、仕入業者など、それらすべてが明らかなはずの物事を覆い隠してしまう。
- 心理学者は「概念的距離」という表現をよく使う。我々は1つの問題に没頭していると、どんどんその細部に取り込まれていって、そのうちそこにいるほうが楽になる。あるいは表面的な調整だけして満足するようになる。自分の枠組みの囚人となる。しかしその壁から一歩外に出て対象から概念的に距離を取ってみると新たな視点が生まれる。
- 融合が進化の原動力になりつつある現代において、重要な役割を果たすのは、従来の枠組みを飛び越えていける人々。異なる分野間の橋渡しができる人々、立ちはだかる壁を普遍のもの、破壊不可能なものとは考えない人々が、未来への成長の扉を開いていく。
- カギとなるのは第三者のマインドセット。そもそもの概念を深く理解できていてこそ、そこから距離をとることに意味が出てくる。当事者でいながら、第三者でいることが肝心。現状をしっかり把握したうえで、疑問を呈する。戦略的な反逆者でなくてはならない。
- 閉ざされたネットワークが招くのは孤立だけではない。それまで以上に視野を狭めることにもなり、危険な連鎖。自分だけの枠組みの中に閉じこもれば閉じこもるほど、新たなチャンスを脅威とみなすようになる。
(5)エコーチェンバー現象 ECHO CHAMBERS
- 交流できる人の数が多いということは、自分と似ている人の数も多いということ。つまり、自分と考え方の似ている人と友達になりたいと思ったら、探せば見つかる可能性が高い。だから「細かい選り好み」ができる。これが現代社会における特徴的な問題の1つ、「エコーチェンバー現象(同じ意見の者同士でコミュニケーションを繰り返し、特定の信念が強化される現象)」につながる。
- エコーチェンバー現象は、この信頼に関わる人間の隙に付け込んで、歪んだフィルターをかける。反対派の意見は徹底的に攻撃し、反対派自身には人身攻撃を行って、その人物もろとも信憑性を徹底的に貶める。そうやって逆に自分たちを正当化する。
- 問題は、相手が間違ったことをしていないのに、ただ自分と反対の意見だからという理由で攻撃することや、自分の信念に沿わないものを悪として論じること。それは論議ではなく、単なる二項対立にすぎない。
(6)平均値の落とし穴 BEYOND AVERAGE
- 有益な違いがあればなおさら、組織や社会がそれを考慮してしかるべきで、むしろ称賛に値する。それなのに標準化された1つの型に全員を押し込めてしまったら、平均値に惑わされてさまざまな違いを見過ごしていたら、せっかくの多様性を活かすことも、その恩恵を享受することもできない。
- 標準化により、多様性を統合するのではなく、はじめから除外してしまう。エコノミストにみな同じモデルで予測をしろというのと同じ。たった1種類の平均的モデルを強制して、個人個人の有益な違いはすべて無視していたら、反逆者のアイデアは枯渇してしまう。
- 現状を不変のものとして受け止める従業員は、問題の解決率が低い傾向が見られた。マニュアルの枠から出ようとはしないからだ。しかし能動的に行動を起こさなければ、うまくいかないことが重なる。そのうち不満が募って離職に至る。
- 例えば、ピアノの鍵盤は男性の手の平均サイズに合わせて作られた。ここで言っておかなければならないのは、そうした事例がほとんどの場合、悪意に起因するものではないということ。何かしら考慮した結果というわけでもない。何世紀もの間ずっとそうだったように、そもそも女性のことを考えてさえいない。このような無意識の標準化は科学の世界にも深く浸透している。
- 何を選ぶかより、選ぶという行為そのものに大きな意味がある。自分の好みや個性に合わせて、自分だけの世界を作れる。ちっぽけなことに思えるかもしれないが、当人にとっては非常に重要。組織で多様性をうまく取り入れるには、こうした環境づくりも大事な要素となる。
(7)大局を見る THE BIG PICTURE
- 密な社会的集団があれば、その中で学習が進む。密な集団に属していれば仲間から学べる。すでに頭のいい者でさえ、まわりから学ぶことは多い。1人なら一生かけてやっと学べるような知恵を集団から得られる。
- 他の動物はほぼ原始的な能力しか身につけていない。たとえ特定の個体がイノベーションを起こしても、その世代とともに消えてしまう。どの動物も遺伝的な進化の可能性を秘めているものの、文化的な進化は進まない。人類の祖先と比べて個々の知能が低かったわけでなく、集団としての知能が低かった。
- 知恵やアイデアの蓄積によって文化的な進化が始まると、生存のためのスキルが集団の中で次第に洗練されていく。それと同時に選択圧が働き出し、スキルを最も効率よく集団から獲得・記憶・整理する心理的能力を身につけた者が生き延びるようになって、遺伝的な進化がもたらされる。生じた進化自体が触媒となってさらなる進化を促進する。
- 自身の知識や創造的なアイデアを人と共有しようという姿勢でいると、大きな見返りを得られる。できる限り自分のために価値を得ようとするか、それとも他者に与えようとするかの選択が成功を収められるかどうかに圧倒的な影響をもたらす。
- 多様な意見は秩序を乱す脅威ではない。組織や社会を活性化する力。率直な反対意見も成長には欠かせない。新たなアイデアを融合して、新たな挑戦のために結束力を高めていくためだ。今や融合のイノベーションを起こさずに、急速に変化する世界についていくことはできない。
- 集合知の重要性を理解すれば、現代の企業や集団の間でイノベーションの速度や頻度に大きな差がある理由がわかる。問題は個々人の知性の高さではない。肝心なのは、集団の中で人々が自由に意見を交換できるか、互いの反論を受け入れられるか、他者から学ぶことができるか、協力し合えるか、第三者の意見を聞き入れられるか、失敗や間違いを許容できるかだ。イノベーションはたった1人の天才が起こすわけではない。人々が自由につながりあえる広範なネットワークが不可欠。
3.教訓
直前に引用した一番最後の●のジョセフ・ヘンリック氏が話す内容が、本書を最も簡潔に要約した内容になっていると思います。ここから感じたのは、「多様性」と「心理的安全性」はかなり近い考え方だということです。
すなわち、何を言っても受け入れてもらえると思えるからこそ、多様なアイデアを発表できる機会が生まれ、それをもとに異なる角度から活発に意見交換することで、よりよい結論が導き出せる、と理解しています。
またHiPPOの話も肌感を持って理解できます。そのため、私がチームでディスカッションやブレストをする際には、自分の意見とは違うなと思ったときでも、最後まで発言はとっておき、チーム員がそれぞれ何をどんな風に話すのかを聞くよう意識しています。
そうしないと、「●●さん(自分のこと)がそう言うならそれで行きましょう」、となってしまうことがどうしてもあると考えているからです。結果として話し合いが盛り上がり過ぎて予定時刻を過ぎてしまい、次の会議室予約者が来てしまって、自分の発言の機会が無くミーティングが散会になってしまうこともあります。しかし、それでもいいと思っていて、
そして、多様性は以前は「D&I」のDとして語られることが多かったのですが、最近では「DE&I」として、Equity(公平性)を加えて話題になることが増えました。
下の絵を見たことがあるという方もいるかもしれませんが、単に機会を平等(Equality)に与えるだけでなく、望ましい結果が得られるように支援・調整することが求められています。
平等に発言権を用意したとしても、結果として声が大きい人の意見が通る、ということでは、「どうせ自分が何を言っても無駄」と思われてしまいがちです。
そうならないように、全体に目配せをして多くの声を拾っていくことの大切さがよく理解できる良書としておすすめします。