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人新世の「資本論」 斎藤幸平 著

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人新世の「資本論」 (集英社新書) [ 斎藤 幸平 ]
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1.はじめに

一度は古典としての「資本論」を読みたいと思っていたところ、NHKの100分de名著で2021年1月のテーマとなったため、テキストを購入し、勉強をしました。

NHKのテレビ番組自体は見なかったのですが、斎藤幸平さんが講師だと記されていたこと、本書自体が2021年新書大賞を受賞したことから、手に取りました。

本書の主たるテーマは、マルクス資本論の新解釈について明らかにするのではなく、環境問題に一石を投じる内容となっています。

chuokoron.jp

2.内容

(1)気候変動と帝国的生活様式

  • 自動車の鉄、ガソリン、洋服の綿花、牛丼の牛肉にしても、その「遠い」ところから日本に届く。グローバル・サウスからの労働力の搾取と自然資源の収奪なしに、私たちの豊かな生活は不可能
  • 搾取対象は人間の労働力だが、それでは資本主義の片側しか扱ったことにならない。もう一方の本質的側面、それが地球環境である。資本主義による収奪の対象は周辺部の労働力だけでなく、地球環境全体。資源、エネルギー、食糧も先進国との「不等価交換」によってグローバス・サウスから奪われていく。
  • 環境危機という言葉を知って、私たちが免罪符的に行うことは、エコバッグを買うことだろう。だが、そのエコバッグすらも、新しいデザインのものが次々と発売される。免罪符がもたらす満足感のせいで、そのエコバッグが作られる際の遠くの地での人間や自然への暴力には、ますます無関心になる。資本が謀るグリーン・ウォッシュに取り込まれるとはそういうことなのだ。
  • しかし、危機の瞬間には、好機もあるはずだ。気候危機によって、先進国の人々は自分たちの振る舞いが引き起こした現実を直視せざるを得なくなる。その結果、今までの生活様式を改め、より公正な社会を求める要求や行動が、広範な支持を得られるようになるかもしれない。外部の消尽は、今までのシステムが機能不全を起こす歴史の分かれ目に、私たちを連れていく。

(2)気候ケインズ主義の限界

  • グリーン・ニューディール等のデカップリングによる緑の経済成長は不可能。経済成長が順調であればあるほど、経済活動の規模が大きくなる。それに伴って資源消費量が増大するため、CO2排出量の削減が困難になっていくジレンマが生じる。つまり、緑の経済成長がうまくいく分だけCO2排出量も増えてしまう。そのせいで、さらに劇的な効率化を図らなければならない「経済成長の罠」に陥る。
  • もちろん、「裕福な生活様式」によって、CO2を多く輩出しているのは、先進国の富裕層である。世界の富裕層のトップ10%がCO2の半分を排出しているというデータもある。プライベートジェットやスポーツカーを乗り回し、大豪邸を何軒も所有するトップ0.1%の人々は、極めて深刻な負荷を環境に与えている。
  • 他方で、下から50%の人々は、全体のわずか10%しかCO2を排出していない。にもかかわらず、気候変動の影響が彼らに最初にさらされる。ここにも帝国的生活様式や外部社会の矛盾がはっきりと表れている。
  • 実際、電気自動車の生産、その原料の採掘でも石油燃料が使用され、CO2は排出される。さらには、電気自動車のせいで増大する電力消費量を補うために、ますます多くの太陽光パネル風力発電の設置が必要となり、そのために資源が採掘され、発電装置の製造でさらなるCO2が排出され、結果的に環境危機は悪化していく。
  • 電気自動車の導入や再生可能エネルギーへの転換は必要であるが、それが今の生活様式を維持することを目指すにすぎないなら、資本の論理に容易に取り込まれ、「経済成長の罠」に陥ってしまう。罠を避けるためには、車の所有を自立と結びつけるような消費文化と手を切り、モノの消費量そのものを減らしていかねばならない。

(3)資本主義システムでの脱成長を撃つ

  • 資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために、さらなる市場を絶えず開拓していくシステムである。そして、その過程では、環境への負荷を外部へ転嫁しながら、自然と人間からの収奪を行ってきた。この過程は、マルクスが言うように、「際限のない」運動である。利潤を増やすために経済成長を決して止めることがないのが、資本主義の本質なのだ。
  • 今の日本は「脱成長」ではなく、ただの長期停滞である。「脱成長」は平等と持続可能性を目指す。それに対して、資本主義の「長期停滞」は、不平等と貧困をもたらす。そして、個人間の競争を激化させる。

(4)「人新世」のマルクス

  • 「自然的物質代謝」は、本来、資本から独立した形で存在しているエコロジカルな過程である。それが、資本の都合に合わせて、どんどん変容させられていく。ところが、最終的には、価値増殖のための資本の無限の運動と自然のサイクルが相いれないことが判明する。その帰結が「人新世」であり、現代の気候危機の根本的な原因もここにある。
  • 持続可能性と平等こそ、西欧近代化社会が資本主義の危機を乗り越えるために、意識的に取り戻さなくてはならないものであり、その物質的条件が定常型経済なのである。要するにマルクスが最晩年に目指したコミュニズムとは、平等で持続可能な脱成長型経済なのだ。
  • 本当に資本主義に挑もうとするなら、「潤沢さ」を資本主義の消費主義とは相いれない形で再定義しなくてはならない。これまで通りの生活を続けるべく、指数関数的な技術発展の可能性に賭けるのではなく、生活そのものを変え、その中に新しい潤沢さを見出すべき。

(5)欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム

  • マルクスによれば、「本源的蓄積」とは、資本がコモンの潤沢さを解体し、人工的希少性を増大させていく過程のことを指す。つまり、資本主義はその発端から現在に至るまで、人々の生活をより貧しくすることによって成長してきた。
  • コモンズから囲い込みになった後の私的所有制は、この持続可能で潤沢な人間と自然の関係性を破壊していった。それまで無償で利用できていた土地が、利用料を支払わないと利用できないものとなったしまった。本源的蓄積は、潤沢なコモンズを解体して、希少性を人工的に生み出した
  • 本来であれば、収穫が多いことは喜ぶべきこと。だが、過剰供給は価格を下げてしまうので、価格を維持するために、わざと廃棄される。潤沢さが減り、希少性が増える。これこそが「公富」の減少によって、「私財」が増大していくという、ローダデールのパラドックスである。
  • 資本がその支配を完成させるもうひとつの人工的希少性がある。それが「負債」によって引き起こされる貨幣の希少性の増大である。無限に欲望をかきたてる資本主義のもとでの消費の過程で、人々は豊かになるどころか、借金を背負う。そして、負債を背負うことで、人々は従順な労働者として、つまり資本主義の駒として仕えることを強制される
  • 相対的希少性は終わりなき競争を生む。買ったものはすぐに新モデルにより古びてしまい、消費者の理想は決して実現されない。私たちの欲望や感性も資本によって包摂され、変容させられてしまう。こうして、人々は、理想の姿、夢、憧れを得ようとモノを絶えず購入するために労働へと駆り立てられ、また消費する。その過程に終わりはない。

(6)脱成長コミュニズムが世界を救う

  • 資本主義のもとでは、食料も高く売れるかどうかが重視される。だが、高価な桃やブドウを作って輸出しても、食糧危機は乗り越えられない。商品としての「価値」を重視し、「使用価値(有用性)」を蔑ろにする資本主義では、こうしたことが常に起こる。それでは野蛮状態に陥ってしまう。だから資本主義に決別して「使用価値」を重視する社会に移行しなければならない。
  • ポイントは、経済成長が減速する分だけ、脱成長コミュニズムは、持続可能な経済への移行を促進する。しかも、減速は、加速しかできない資本主義にとっての天敵である。無限に利潤を追求し続ける資本主義では、自然の循環の速度に合わせた生産は不可能
  • 奪成長コミュニズムに向けて必要なことは以下の5点
  1. 「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する
  2. 労働時間を削減して、生活の質を向上させる
  3. 画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる
  4. 生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる
  5. 使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークを重視する

(7)気候正義という「梃子」

  • 「緑の成長」を目指すグリーン・ニューディールも、ジオエンジニアリングのような夢の技術も、MMTのような経済政策も、危機を前にして常識破りの大転換を要求する裏では、その危機を生み出している資本主義という根本原因を必死に維持しようとしている。これが究極の矛盾である。そのような政治にできることは、せいぜい問題解決の先送りに過ぎず、まさのこの時間稼ぎが致命傷になる。
  • ただ、政治家を責めてもしょうがない。気候変動対策をしても、グローバル・サウスの人々や未来のこどもたちは投票してくれないから。政治家は、次の選挙よりも先の問題を考えることができない生き物。さらに、大企業からの献金やロビイングも政治家たちの大胆な意思決定を妨げている。
  • 資本主義とそれを牛耳る1%の超富裕層に立ち向かうのだから、困難な闘いになるのは間違いない。しかし、研究によると、「3.5%」の人々が非暴力的な方法で本気で立ち上がると、社会が大きく変わるという。
  • すぐにやれること、やらなくてはならないことはいくらでもある。だから、システムの変革という課題が大きいことを、何もしないことの言い訳にしてはいけない。一人ひとりの参加が3.5%にとっては決定的に重要なのだから。

3.教訓

確かに、エコバックがどこでどれくらいの負荷とコストをかけて作られているか知っている人は多くないと思います。

同じように、電気自動車を製造したり蓄電したりするためにどれくらいのエネルギーが必要で、ハイブリッド車や昔の構造が単純なマニュアルガソリン車と比較して本当にどの程度環境にとって良いのか(または悪いのか)も、本当のところはよくわかりません。

某自動車メーカーのEVのCMの中で、「自然をよくするお手伝い、ちょっといい気分」みたいなコメントがありますが、車を使わずに済む生活が自然にいいことは決まっているので、少し違和感を覚えたりもします。

だからといって、自身がクーラーや冷蔵庫無しで生活できるわけでもなく、今のこうやってチョコレートを食べながら電源コードにつながったPCを使っていて、原始的な生活に戻れるわけもないことも認識しています。

 

目の前にある事象の、とある1断面・表面だけを切り取って、良い悪いを言っても始まりません。

何かを使うにあたっては、前工程としての製造プロセス、後工程としての廃棄プロセスも含めた、裏側にある一連の工程を含めて、本来は評価しないといけないことだといけないと考えています。

また、最後に出てきた「課題が大きいことを、何もしないことの言い訳にしてはいけない」という言葉については、何も環境問題に限った話ではなく、今自身が会社や家庭において抱えている課題やタスクにも当てはまることであり、マルクス資本論の考え方をベースに、さまざまことを考えたり学べたりする意味で、いい本だと感じます。

なぜ人と組織は変われないのか ハーバード流 自己変革の理論と実践 ロバート・キーガン リサ・ラスコウ・レイヒー著

 

1.はじめに

久しぶりのハードカバー本です。

チーム運営に悩んでいるマネジャーにとって、「なぜ人と組織は変われないのか」という本のタイトルを目にすると、非常に気にはなるけれども、本の厚みには少し尻込みをするのでないかと思います。

私もその1人でしたが、読んだ結論としては、「ああ、やっぱり手を出してよかった」と思える内容です。

原題は”Immunity to Change"であり、本書の中に頻繁に登場する”変革をはばむ免疫機能”のことを指していて、副題として”How to Overcome It and Unlock the Potential in Yourself and Your Organization”とあるように、「なぜ変われないか」よりも「どうしたら変えられるか」にスポットライトを当てた内容になっています。

2.内容

(1)変われない本当の理由

①人の知性に関する新事実
  • 今日の世界では、それまで環境順応型(言い換えれば「よき兵隊」であることで)十分だった働き手たちに自己主導型知性への移行が、自己主導型知性で(「自信に満ちたキャプテン」であることで)十分だったリーダーたちに自己変容型知性への移行が求められるようになっている。要するに、働く人すべてが知性のレベルを次の次元に向上させる必要がある
  • 今日と明日の世界で直面する課題の多くは、既存の思考様式のままで新しい技術をいくらか身に付けるだけでは対応できない。そうした課題をハイフェッツ「適応を要する課題」と呼ぶ。この種の課題に対応するためには、知性のレベルを高めることによって、思考様式を変容させなくてはならない
②問題をあぶり出す免疫マップ
  • ”変革をはばむ免疫機能”を克服しようとすれば、かならずそういう脅威や危険に身をさらすことへの恐怖がこみ上げてくる。免疫システムは自分の命を救ってくれる仕組みだ。そんな大切な自己防衛のシステムをそう簡単に手放せるわけがない。
  • 強力な免疫システムが作動していれば、不安から解放されるという恩恵がある半面、さまざまなことを自分には不可能だと思い込んでしまうという弊害もある。本来は達成可能なことまであきらめてしまう。しかし、”変革をはばむ免疫機能”を克服すれば、この落とし穴を避けられる。
  • 本人は「強力な固定観念」を無批判に「事実」と思い込んでいる。本当に事実かどうかはわからないのだが、いったん事実と決めつけてしまえば、もはやその真偽を問うことをしなくなる固定観念を改められれば、既存の免疫システムの足枷から抜け出す一歩になりうるだけでなく、もっと高度な精神構造を築いて、自己主導型知性に移行できるかもしれない。

(2)変革に成功した人たち

①さまざまな組織が抱える悩み
  • お手上げだとか、出口がないとか思っているときは(誰もが身に覚えのある状況だろう)「私たちは本当の問題を論じていないのではないか?」と感じることも珍しくない。しかし、「本当の問題」を明らかにすることはえてして簡単でない。グループ内で警戒心や内部対立を生み出すことを避けつつ、そういう問題に対処することもたいてい難しい。
  • 問題の構図を転換させても、すぐに対立がやわらぐわけではないだろうが、戦いの性格を変えることはできる。人々が敵と味方に分かれて対立し合うのではなく、理想と現実のギャップに、誰もが解決への責任を負うような問題に、みんなで目を向けるように促せる。
②なぜ部下に任せられないのか?ー個人レベルの変革物語①
  • ジレンマを抜け出すには、どちらでもない新たな選択肢を作り出せばいい。ただし、それを行うためには、技術的な解決策ではなく、適応を要する解決策が求めらえる。自己認識の前提をなす思考の枠を広げて、「他の人に仕事を任せる自分」を許容しなくてはならない。言い換えれば、これまでより一段高い知性を発達させ、権限移譲が自己認識と矛盾しないようにする必要がある。
  • 部下のやり方を受け入れるようになると、目覚ましい成果が生まれる。メンバーの既存の思考パターンを揺さぶり、上司に異論を唱えてもいいのだとわからせると、仕事の質が高まる
  • 部下に光り輝くチャンスを与えると、それまでより質の高い仕事をやってのける。つまり、誰よりもうまく仕事ができるのは私だと思っていたのは、間違った思い込みだったと思い知らされる。他の人たちを光り輝かせることのより、自分も光り輝くという道を見い出したのだ。
  • ”変革をはばむ免疫機能”のアプローチは認識の死角を克服する手段になりうる。どのような行動パターンを無意識に実践していたせいで、自分の望む結果を妨げていたかが見えてくる。隠れた目標が目に見えるようになれば、泥棒を取り締まり、犯行を阻止できようになる。
③自分をおさえることができるかー個人レベルの変革物語②
  • 目標が(技術的な課題でなく)適応を要する課題だと理解できれば、その目標を達成できる可能性が高まる。自己変革を成し遂げるためには、自分を縛っている固定観念そのものを修正しなくてはならない。見直すべきなのは、自分自身に課している基準と、それが生み出すリスクに関わる領域とわかる。
  • 固定観念が検証にさらされるのは、本人が固定観念に反する行動を取ることに加えて、その行動がどういう結果をもたらしたのかという点と、その結果が固定観念の妥当性に関して何を意味するのかという点に十分に注意を払った場合だ。
  • 知性のレベルがある段階に達した人は、それまでものごとを見る際のフィルターだったものを客観視できるようになる。ある認識アプローチの囚人だった人が、そのアプローチと距離を置き、その全体像を見られるようになる。その結果、それまで見えていなかったものが見えてくる。
④うまくコミュニケーションが取れないチーム
  • メンバーによって受け止め方が際立って異なることからも明らかなように、一人ひとりの世界の認識の違いが大きな意味を持つ。ある人にとって何が現実かは、その人が物事をどのように受け止めるかによって決まる。チームの雰囲気と組織文化に大きな影響を及ぼすのは、誰よりもリーダーだ。しかし、他の全員にも責任の一端がある。
  • 具体的にどうすればチーム内の信頼感を高められるか。他のメンバーが善意で行動しているとみなす。自分とは異なる仕事のスタイルを受け入れる。お互いを信じる。ピリピリしない。質問されたときは、非難されていると思わず、前向きに受け止める
  • 改善目標に向けた合意を実際に守ることはおそらく難しい。そもそも、裏の目標によって好ましい意図の実現が妨げられる可能性がなければ、コミュニケーションの問題についてわざわざ話し合い、実践すべき行動パターンをみんなで約束するまでもない。
  • 重要なのは「何をもって好ましいコミュニケーションとみなすか」をメンバー自身が決めたこと。それにより、どういう目標をどのように目指すかという点にメンバーが当事者意識を持てる。彼らはチーム内で信頼関係を築くために「実践すべきこと」と「避けるべきこと」を明確にし、その指針に全員が従うだろうと期待をみんなが抱いた。
  • 私たち一人ひとりがコミュニケーションを改善すべき。自分の目標とチームの目標の間には密接な関係があり、2つを一体のものとして取り組まなければ、どちらの目標も達成できない。チーム全体の目標を他人事と感じているうちは、その目標に向けて行動することなどできないと思う。

(3)変革を実践するプロセス

①変わるために必要な3つの要素
  1. 心の底:自分を本当に成長させるための努力を開始し、それを継続するためには、目標を成し遂げたいと心から望んでいなくてはならない。理屈は私たちの内面の対話における理性の領域に働きかけるものだが、変革を推し進めるためにはそれだけでなく、理屈抜きの強い欲求をいだく必要がある。
  2. 頭脳とハート:自己変革の過程で経験する大きな試練は、変革を推し進めても自分は安全だと(思考と感情の両面で)信じるように転換すること。その試練を克服したあとでは、物事がまるで違って見えるようになり、実は危険などなかったのだと気づく。
  3. 行動を伴わない思考は、機能マヒに陥る。新しい行動を取らなければ、変化は生み出せない。実際に「手」を動かしてはじめて変革が可能になる。強力な固定観念に反する行動を取る目的は、あくまでも固定観念の妥当性を検証するためのデータを集めることにある。自分に枠をはめることで安心感を得るのをやめて、枠を取り払っても危険ではないと安心感を得ることができるか明らかにすることを目指す。
②診断ー「変われない原因」を突き止める
  • 第1枠「改善目標」:以下の3条件を満たしたものでなくてはならない。
  1. その目標が自分にとって重要なものであること
  2. その目標がまわりの誰かにとって重要なものであること
  3. その目標を達成するために、主として自分自身の努力が必要だと認識できていること
  • 第2枠「阻害行動」:この段階ではどうしてそのような行動を取るのかは問題にしなくていい。自分の欠点のリストを見せつけられれば、誰だって居心地が悪い。それを目の前から消し去りたいと思うのが人情。しかし、そういう衝動は抑え込もう。とりあえずは、自分の取っている行動を正直に詳しく記すことに専念してほしい。
  • 第3枠「裏の目標」:重要な目標の達成を妨げているのが自分自身の抱える矛盾なのだとはっきり理解することがこの段階の目的。ゴールに到達できないのは、そこに向けて真剣に進もうとしても、それと同じくらい強い力で押し戻されるからだ、という点を認識する必要がある。
  • 第4枠「強力な固定観念」:人はしばしば自分の自己認識と世界認識を確固たる事実、異論を差し挟む余地のない真実、自己と世界の絶対的な現実だと思い込んでしまう。それを見えるようにするためには、自分が固定観念と一体化していたり、それに支配されていたりする状態を脱し、固定観念と距離を置くこと、すなわち固定観念を「主体」から「客体」に転換することが必要とされる。
③克服ー新しい知性を手に入れる
  • 自分にとって難しい行動を実践すること自体は悪いことではないが、それは学習とは呼べない。学習を通じた適応を目指すのであれば、行動を取ること自体が実験の目的ではないと理解しておくべき。行動の結果として何が起きたかという情報を収集し、その情報に照らして強力な固定観念を肯定するなり改訂するなりすることが重要。実験の結果をもとに固定観念の妥当性を検証するまで、実験が完了したといえない。
④組織を変える
  • 実際にやってみるとわかるが、この種の議論を通じてグループ内に生まれるのは失望感ではなく、多くの場合は安堵感が生まれる。誰もが薄々気づいていた問題が表面に引っ張り出されて、ようやく表立って論じられるようになったと思えるからだ。適切に活動を進めれば、その過程で特定の誰かが悪者にされたり総攻撃を受けたりすることもない。
  • もし免疫マップが迫力を欠いているとすれば、そういう生死にかかわるドラマを十分に描き出せていないことが原因だ。どこかに身を潜めていて、あなたの快適な人生に終止符を打つチャンスを虎視眈々とうかがっている脅威を、裏の目標という形で適切に表現できていない
  • 話し合いの際に重要なのは、さしあたりの目的が問題を解決することでもなければ、個々の固定観念の妥当性を議論することでもないと、全員が理解すること。ここで目指すのは、これらの固定観念のすべてが常に正しいという前提で自分たちがものを考えているという現実を知ること。

(4)成長を促すリーダーシップ

  • 本当の変化と成長を促したければ、リーダー個人の姿勢と組織文化が発達志向である必要がある。ひとことで言えば、「大人でも知性を発達させられる」と期待しているというメッセージをメンバーに向けて発信すべき。
  1. 大人になっても成長できるという前提に立つ。
  2. 適切な学習方法を知る。
  3. 誰もが内に秘めている成長への欲求を育む。課題を成し遂げたいというのは人間の根源的な渇望でもある。
  4. 本当の変革には時間がかかることを覚悟する。イモムシがやがて美しいチョウになって空をはばたくと知っていれば、目の前のイモムシにいらだつことはない。
  5. 感情が重要な役割を担っていることを認識する。効率を追求するあまり効果を犠牲にしてはいけない。時間はかかるが感情に働きかける方法を見いだせない限り、重要なゴールには到達できない。
  6. 考え方と行動のどちらも変えるべきだと理解する。
  7. メンバーにとって安全な場を用意する。際立った変化はまだ起きていないかもしれないが、上司が進歩に目を止めて評価するという形で支援する価値はある。というより部下が変革に成功するためには、そういう支援がおそらく欠かせない。
  • リーダーがこの7つの行動を取れるようになるための最善の道は、自分自身の”変革をはばむ免疫機能”の克服に取り組み続けること自己変革の旅がどういうものかを実体験として知っていて、それを体感している人物こそ、ほかの人たちが安全に潜在能力を開花させるように導けるからだ。

3.教訓

「なぜ変われないのか」の理由については、大きく2つに分けられると理解しました。

  1. そもそもそこまで変えないといけないと強く感じていない
  2. 心のなかではむしろ既得権益を維持したいと思っている

これについては、このブログを読んでいただいた方自身や、属する組織全体のいずれかで、何らか思い当たるフシがあるのではないかと推察します。

本書では、第4章で担当者目線、第5章は上司目線で、細かい具体例を挙げながらの説明があるので、上下双方の立場の感じ方・考え方について、共感しながら読み進めることができます。

今回は、本の中身を理解し、完読することに努めたので、免疫マップを作りと並行しながらとはいきませんでしたが、夏休みなどを利用して、一度腰を落ち着けて真剣に向き合いたいと考えています。

 

それをお金で買いますか 市場主義の限界 マイケル・サンデル著

 

1.はじめに

マイケル・サンデル氏の著書は、以下の「Justice」に続き2冊目です。

bookreviews.hatenadiary.com

本書は、すべてが売り物になる社会に向かっていることを心配する理由として、大きく以下の2つを挙げています。

  1. 不平等にかかわるもの
  2. 腐敗にかかわるもの

経済効率と哲学的倫理観の背反性の問題に焦点を当て、人間としてあるべき姿を考えるように読者に投げかけていると感じました。

それが具体的にどのような問題であるかについて、以下で引用しながら採り上げていきます。

2.内容

  • 不平等価値あるものすべて売買の対象になるとすれば、お金を持っていることが世界におけるあらゆる違いを生み出すことになる。ますます多くのものがお金で買えるようになるにつれ、収入や富の分配はいやがうえにも大きくなる。
  • 腐敗生きていくうえで大切なものに値段をつけると、それが腐敗してしまうおそれがある。子供が本を読むたびにお金を払えば、子供はもっと本を読むかもしれない。だがこれでは、読書は心からの満足を味わわせてくれるものではなく、面倒な仕事だと教えていることになる。

(1)行列に割り込む

  • 経済学者にとって、財やサービスを手に入れるたびに長い行列をつくるのは無駄にして非効率であり、価格システムが需要と供給を調整しそこなった証拠である。空港、遊園地、高速道路で、お金を払ってより早いサービスを受けられるようにすれば、人々は自分の時間に値をつけられるので、経済効率が向上する。
  • 市場と行列ーお金を払うことと待つことーは、物事を分配する2つの異なる方法であり、それぞれ異なる活動に適している。「早い者勝ち」という行列の倫理には、平等主義的な魅力がある。われわれは子供の時分、「順番を待ちなさい、割り込んではダメだよ」と言い聞かされたものだ。
  • とはいえ、行列の倫理はあらゆる場面を支配するわけではない。自宅を売ることとバスを待つことは異なる活動であり、異なる規範にしたがうのがふさわしい。行列であれお金の支払いであれ、何らかの1つの原則が、あらゆる善の分配を決定すると考える理由はない。もちろん、市場と行列だけが物事を割り振る方法ではない。
  • 市場が行列をはじめとする非市場的な善の分配に取って代わる傾向は、現代の生活のすみずみまで広がっているため、われわれはもはやそれに気づかないほどである。

(2)インセンティブ

  • インセンティブに効果があるかどうかは目的次第。そしてその目的には、厳密に考えれば、金銭的インセンティブによって損なわれる価値観や姿勢までが含まれるのかもしれない。
  • カーボンオフセットは危機ももたらしもする。購入者が、気候変動に対してはそれ以上の責任はないと考えてしまうのだ。カーボンオフセットは、少なくともある程度、週間、姿勢、生活様式のより基本的な変化をお金を払ってさけるための、無痛のメカニズムになってしまう。規範を台無しにして、道徳的に問題のない環境汚染免許を与えるものと思われてしまう。
  • インセンティブは経済学者(あるいは政策立案者)が設計し、つくりだし、世界に押し付ける介入策だ。人々に体重を落とさせたり、働かせたり、環境汚染を減らせたりする手段なのだ。ほとんどのインセンティブは自然に生じるわけではない。誰かが作り出さねばならない。
  • 金銭的インセンティブに頼るかどうかを決めるには、そのインセンティブが、守に値する姿勢や規範を蝕むかどうかを問う必要がある。この問いに答えるには、市場の論理は道徳の論理にならざるをえない。要するに、経済学者は「道徳を売買」しなければならないのである。

(3)いかにして市場は道徳を締め出すか

  • ある調査によると、「われわれは贈り物として受け取る品物の勝ちを、費やされた1ドルにつき、自分で買う品物より20%低く評価する」。多くのプレゼントが現金ではなく品物で送られる唯一の理由は、現金の贈り物に着せられた汚名である。汚名がなければ、贈り手は現金を送り、もらい手は本当にほしい品物を選び、結果として費やされた金額が与えうる最大限の満足を手にできる。
  • 名誉を表す善も腐敗しやすい。ノーベル賞はお金では買えない。だが、名門大学への入学許可は売買できる善なのだ。
  • 公正の観点からの異論と腐敗という観点からの異論は、市場に対する意味合いが違う。公正の議論は、ある種の善が貴重であるとか、神聖であるとか、価格がつけられないとかといった理由で、そうした善の市場取引に反対するわけではない。不公正な取引条件が生じるほど不平等な背景のもとで、善が売買されることに対して反対している
  • 対照的に、腐敗の議論は、善そのものの特性と善を律すべき規範に焦点を合わせる。したがって、公正な取引条件を整えるだけでは、この異論を抑えることはできない。権力や富の不正な格差がない社会であっても、お金で買うべきでない事物が存在する。ときとして市場価値は、大切にすべき非市場的規範を締め出してしまうことがある。
  • 非市場的な状況にお金を導入すると、人々の態度が変わり、道徳的・市民的責任が締め出されかねない。金銭的インセンティブを提供しても、人々のそうしようとする意志は弱まりこそすれ、強まることはない。金銭的インセンティブが、公共心に基づく活動をお金のための仕事に変質させた

(4)命名権

  • 市場の効率性を増すこと自体は美徳ではない。真の問題は、あれやこれやの市場メカニズムを導入することによって、善が増すのか減じるかにある。
  • 広告や企業スポンサーに売られるスペースが売り主に属し、かつ自由意思で売買されるかぎり、反対する権利は誰にもない。だがこうした自由放任論は「強制と不公正」「腐敗と堕落」の2種類の異論を招く。
  • 第一の異論は、選択の自由の原則を容認しつつ、市場における選択のあらゆる事例が本当に自由意志によるものかどうかを問う。市場関係が自由だとみなされるのは、売買の背景となる条件が平等で、差し迫った経済上の必要に迫られた人がいないときに限られる。
  • 商業主義を批判する人が用いる「退廃」「冒涜」「下品」「神聖の喪失」といった言葉は、精神性のこもった言葉であり、より高級な生き方やあり方を指示している。それは、強制や不公正ではなく、ある種の態度、慣行、善の堕落にかかわっている。商業主義に対する道徳的な批判は、腐敗の異論と呼んだものの1つ。
  • 広告にふさわしい場所とふさわしくない場所を決めるには、一方で所有権について、他方で公正さについて論じるだけでは不十分。われわれはまた、社会的慣行の意味と、それらが体現する善について論じなければならない。そして、その慣行が商業化によって堕落するかどうかをケースごとに問わなければならない。
  • 市場や商業は触れた善の性質を変えてしまうことをひとたび理化すれば、われわれは、市場がふさわしい場所はどこで、ふさわしくない場所がどこかを問わざるをえない。そして、この問いに答えるには、善の意味と目的について、それらを支配すべき価値観についての熟議が欠かせない
  • われわれは不一致を恐れるあまり、みずからの道徳的・精神的信念を公の場に持ち出すのをためらう。こうした問いに尻込みしたからといって、答えが出ないまま問いが放置されるわけではない。市場がわれわれの代わりに答えを出すだけ。
  • 民主主義には完璧な平等が必要なわけではないが、市民が共通の生を分かち合うことが必要なのは間違いない。大事なのは、出自や社会的立場の異なる人たちが日常生活を送りながら出会い、ぶつかり合うことだ。なぜなら、それがたがいに折り合いをつけ、差異を受け入れることを学ぶ方法だし、共通善を尊ぶようになる方法だから

3.教訓

本書によって、何でも金で解決できるものではないことに加え、金で解決すべきこととすべきないことが存在することについて、自分で考えるきっかけになりました。

これは、子育てにも関係し、お小遣いを渡す代わりに家事の手伝いを約束させることが本当に良いことなのかを考え直さないといけないと思います。

また、本書の最後に出てくる、2.の最後に記載した赤字の部分の話では、大人に混じって満員電車に乗って有名私立小学校に通う子を見かけますが、長い人生を考えたときに本人にとって良いことなのかと感じることもあります。

たしかに教育方針や人脈に関して将来に役立つこともあると思います。大学までの切符も確保できます。一方で、うちはそうでなく実態を知らないのであくまで推察ではありますが、一定層以上の似通った家庭環境の集まりとなって、世の中のキレイな部分しか見れなくなってしまうようにも思います。

世の中に唯一絶対の解があるわけでないので、価値観をどこに置くかという問題ですが、うちの子には、地元で全然異なるバックグラウンドを持つこども同士でかかわりを持つことで、世の中にはいろんな人がいて、その違いがあってよいのだ、ということを理解できるように育ってほしいと思います。