1.はじめに
日本人であれば、歴史の教科書等で、題名は一度は目にしたことがあろうかと思います。
能の理論書ではありますが、単なる芸の上達を目的とした書物というではなく、今から600年前の内容であっても、現代社会の仕事術としても非常に参考になる内容となっています。
2.内容
以下に、気になった内容について、いくつか抜粋します。
- 24~25歳は初心ともいうべき未熟な時期であるのを、もはやその道を極め尽くしたように誤解して、早くも横道にそれた変わった芸をしたり、その道に達したものでなければできないようなやり方をすることは全くあきれたこと。自分の芸の実力の程度を十分に承知していれば、その実力の花は一生涯無くならない。自己の実力以上に上手いとうぬぼれると、元来持っていた実力から生まれる花もなくなってしまう。
- 貴人がご覧になる申楽は、貴人のご出座をきっかけに始まるから、もし早くお出でになれば、定刻前でもすぐ開演しなければならない。
- どんなに評判のよい花の咲く木でも、花の咲かない時期の木など鑑賞しようか。つまらぬ八重桜であっても、初花が色うるわしく咲いているのなら、誰でも鑑賞する。
- 当人が花と思っていても、その花が見物人の目に見える工夫がないというものは、ちょうど田舎の花や藪の中の梅などが、見る人もなく無駄に咲き誇っているようなもの。
- どんな変な演者でも、もし良いところがあると思ったら、上手な者もこれを真似するのがよい。これが上達する第一。もし他人の良いところを見ても、自分より下手な者の真似はすまいと思う手前勝手な気持ちがあるならば、その心にしばられて自分の悪いところをも恐らく知らぬに相違ない。
- 上手な者でさえもわがまま勝手な気持ちでいると、能は下がってしまう。いわんや未熟な者の手前勝手はなおさらのことだ。そこで、誰もみなよくよく反省するがよい。
- 他人の悪いところを見るのさえも自分の手本になる。良いところを見ればなおさらのこと。「稽古はうんとやれ、自分勝手はいけない。」
- 道に達した上手で、しかも自分の芸力を十分発揮する工夫の才を兼ね備えているような役者ならば、目が利かない見物人の眼にも面白いと見えるように能をやるであろう。この工夫の才と芸の熟達とを合わせて極めたような役者を、花を極めたものと言ってよい。
- 何でも心がけようとして、自分の流儀の基本をすっかり飲み込んでいないような役者は、自分の風体を知らないばかりか、ましてやよその風体などわかるはずはない。そんなことでは、能に底力もなく、久しく花も保てない。久しく花がないということは、結局どの風体もわからないのと同じ。
- くれぐれも細かい種々の注意を十分わきまえておいて、その上で大づかみにするということでなければ、能の庭訓は無意味である。初めから大雑把では駄目。
- 腕達者でも自分の能の在り方をよく知らない者よりは、少し腕の足らない役者でも能の本質をわきまえている者は、一座を経営していく座頭としては優れていると言ってよい。能の本質をわきまえている役者は、自分の手際の足らないところも知っている。
- 能の風体を会得してしまった役者は、一年中の花の種を持っているようなものだ。どんな花でも人の希望により応じて取り出すことができる。芸の種類を多く極めていないと、場合によっては花を失うことがある。
- 敵の意表に出る手段を用いて強敵に勝つ場合がある。そんなやり方も、事が済んでしまって、あんな計略だったかと判ってしまえば、その後は何でもないけれども、まだ知らなかったがために負ける。
3.教訓
以上の内容は、仕事を進める場面に置き換えても十分に応用ができます。
読む人によって、どの言葉がどう影響するかは様々だと思いますが、必ず心に残る言葉が見つかります。
自分としては、以下のような心がけをしていきたいと思います。
- 覚えたての仕事が少しうまくいったからといって、過信してはいけない。
- 上席者より早く会場に入り、いつでも打合せが始められるように準備する。
- 勝手な自己基準で進めるのではなく、相手からどう見えるか、相手にどう見せるかを考える。
- どんな相手からでも学ぼうという謙虚な心を持つ。
- 自分が何をわかっているか、何をわかっていないのかを自覚する。
- 聞き手の理解度に合わせ、説明の仕方を工夫する。
- 一つのことを極めるだけでなく、どん欲に知識を吸収し、得意技・引き出しを多く持つ。
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