管理職おすすめの仕事に役立つ本100冊×2

課長経験者が身銭を切る価値のあるのおすすめ本だけを紹介するページ(社会人向け)

強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の弱さ考 井上慎平 著

1.はじめに

著者の井上慎平さんは、NewsPicksパブリッシングの創刊編集長だった方なのですが、頑張りすぎた結果としてうつを発症し、現在も双極性障害を抱えていらっしゃいます。

そういった方が出版しているからこそ、本書の”はじめに”にある以下の記述には、多くの方が共感を覚えるように思います。

働く場所で求められる「強い人間」になろうと僕たちはがんばるが、どこかなりきれず、かといって「弱いままでいいんだ」と開き直ることもできず、苦しんでいる。そしてこの苦しさは現代特有のものであり、これからさらに増していく。

そして、本書では、「弱さ」を以下のように定義しています。

この本では弱さを「自己コントロールの問題」、つまり「自律の問題」として捉えてみたい。規範を守り、「社会に求められる人間像」の幅に自分をコントロールすることができる人は強く、それができない人は「弱い」。

実際にはそんなに自分をうまくコントロールできる人ばかりではないと思い読み進めました。以下では、特に印象に残った部分を抜粋して紹介していきます。

2.内容

(1)強さを求めて、弱くなった

  • 今だからこそわかるが、根本的な無理は「強くて優秀なリーダーであろう」という背伸びにあった。業務範囲が広かったことはその結果にすぎない。根っこにあったのは「優秀なビジネスパーソンでありたい」という欲望、「あらねば」という強迫観念だった。
  • コントロールが効かない脳になって、僕は理性の儚さを知った。過去の自分が少しでも理性を発揮できていたとしたら、たまたま余裕があったから、幸運だったからにすぎない。「自分にも他人にも、あまり理性を求めない」「非理性的に聞こえる『弱音』にも、ちゃんと居場所を与える」。
  • 本を読むことには大きな意味があるけれど、それだけで学びは完結しない。人は簡単に「わかった」と思い込む。でも、「わかった」には無限のグラデーションがある。「頭でわかる」と「腹からわかる」の間にある、目も眩むほどの距離。僕は、本を読んだだけで「わかった」気になっていた。「自分は謙虚だ」という自身こそ、最大の傲慢だったのだ。
  • 未来へと続く一本道など、実際にはない。けれど過去を振り返ると、僕が「今このようにある」のには、それなりの理由が、一本の道があったかのように錯覚してしまう。ありもしない必然性を感じてしまう。しかし、それは世界の複雑さをうまく認識できない脳のエラーにすぎない。

(2)成長のレースからは降りられないのか?

  • 僕たちの考え方や価値観は、思った以上に社会からの影響を受けている。国・地域・時代・性別・家庭・教育のしくみ。もしこれらの社会的要素がひとつでも違っていたら、僕はまったく違った人間になっていたはず。かつての傲慢な僕は「自分のあり方、考え方は自分で選んできた」と思い込んでいた。だけど、それは大間違いだった。人は、自分が思っているほどに自分の人生を選べていない
  • 時代の変化を歓迎し、その流れについていける人間としてふるまうこと。それが加速することの「社会で求められる人間像」であり、そのように自分を律することができることが、現代における「強さ」。
  • あまり不安を煽りたくはないが、今後の大きな流れとして、労働市場はより流動化していく。働く人は、「いつか、ここではないどこかで働く自分」を意識せずにはいられなくなる。そして、その意識の変化は「自分は違う会社でも価値を発揮できるのか?」つまりは「自分は、いつでも、どこでも役に立てる人間なのか?」という問いとなって、働く人の頭にこだまする

(3)なぜ「時間を無駄にしちゃいけない」と思ってしまうのか?

  • ヒトは、結婚・昇進などの喜ばしい変化をも脳が「ストレスだ」と認識してしまうほどに、変化を好まない生き物だ。できれば、変化なんかしたくない。けれど「同じ自分のままでいてはいけない」と、加速する社会はささやく。そしてこの「加速する社会」についていくため、現代人は「成長意欲が高く、変化を歓迎する強い自分」をつくりあげてきた。その自分像は、時間の無駄を削り生産性を高める経済の原理と混ざり合って、どうやら現代人に奇妙な時間感覚をもたらしているようなものだ。
  • 「なぜ時間を有意義に使わなければと苦しくなるのか?」という問いとともにこの章は始まった。その答えは、強引にまとめるなら「不安だから」に尽きる。努力することで、活動的になることで、有意義だと思える時間の使い方をすることで、人が得ているものは「癒し」であり、「安心感」
  • 経済が影響力を増していく社会で生きる僕たちは、「時間を生産的に使わねば」と思い込んでいる。24時間という誰もに等しく「分配された時間」を、何か役に立つことに、意味のあることに仕えているかと、自分で自分を監視している。ただ、逆に言えば「時間を有意義に使おう」という考え方は本能にあらかじめ組み込まれているわけではなかった。だからこそ、なんらかのしくみで「内面化」される必要があった。その装置こそが評価であり、大人になっても終わらない「際限のない試験」

(4)能力主義って苦しくないか?

  • 成果は、誰かの「内部」にあるものが「外部」にあるものと融合し、生成する。能力は個人の内部にある「モノ」じゃない。外部(状況・環境)との関係性の中でつど生成する「コト」、つまりは相互作用であり、現象だ。「能力」という表現こそが誤解のもと。
  • ごきげんは、「触媒的能力」そのもの。ごきげんなだけで、周りの人は働きやすくなる。逆に、どの職場にも不機嫌な人はいる。彼らは不機嫌そうにふるまうことによって周囲をコントロールしようとしたり、自分の権威や賢さをちょっぴりアピールしたりしている。そして彼らはそのアピールに忙しいせいで、触媒的能力を発揮できない。
  • これからも、きっと誰かが「これからの時代には○○が必要だ」と「新しい能力」を提言し続けるだろう。必要とされる能力は次々に移ろうが、「これからの時代には○○が必要だ」というフォーマットだけが変わらない。「なんだかアホらしいな」と思ってもらえたら幸いだ。
  • 能力主義の不幸は、「評価されないことへの不安」を動力源として、人を働かせてしまうところにある。だから、まず働く人に安心を提供する。安心ファースト。そして安心して働けることを通じて成果を生み出す。人材を採用し、競争力につなげる。
  • 能力主義は特定の人を排除する。けれど、逆に能力主義だからかろうじて社会とつながれる人もいる。何が言いたいかというと、能力以外の評価基準を新たに発明したところで、いずれにせよ、誰かは排除されてしまう。評価するとは、区別することだからだ。どんなしくみでも必ず、誰かは排除される。だとすれば、その排除された人たちに、生きるためのお金が再分配されることがまずは重要。

(5)「理想的なビジネスパーソン像」は強すぎないか?

  • 日本に「根回し」の文化が発展したのは、なにも裏でこそこそ話すのが好きだからじゃない。表で決定的に意見が対立し関係性が悪化したら大変なので、根回しで事前に利害調整をすませておくほうが合理的だっただけだ。「全員一致の合意形成システム」と「根回し」は、2つでセット。
  • 実感としては、共感性が高いとビジネスの世界ではこころがすり減る。目的の達成より目の前の「相手の気持ち」を優先してしまい、ハードな意思決定ができなケースも多い。学校での理想の個人像と、企業での理想の個人像のあいだにある明確なねじれ。それは、「相手の気持ち」と「目的の達成」とのあいだに生じるねじれでもある。
  • おのずから。みずから。いずれも「自ら」と同じ字で書く。「おのずから」は主に「なる」という言葉とセットで用いられ、自分にはコントロールできない、なるようにしかならないという受動性が色濃く感じられる。一方で、「みずから」は「する」という言葉とセットで使われ、行為をした人の能動性がより強く感じられる。
  • 「私には『やりたいこと』よりも、安心して『ここが自分の居場所だ』と思えるチームで働けるのかどうかのほうが大事です」「自分に周囲が期待してくれることをただがんばるだけです」。これらは、多くの組織において思ってもなかなか言えないことだろう。でも、言えてもいいんじゃないか。
  • 経済的な規範は、「いつでも、どこでも、誰とでも」働ける人材を高く評価する。たしかに、どこでも働ける人材の市場価値は高い。ただ、それは一般論であって、他ならぬあなたの1回きりの人生がそうである必要はない。どの会社からも引っ張りだこの人材にならなくては、と思っているとしたらその思い込みはやめてしまおう。この瞬間、自分を必要としてくれる場所がたったひとつあれば、それでいい。どのみち身体はひとつしかない。
  • ただ、そのためには「自己分析」が重要となる。ウツワ的、つまり外との関係性によって自分が定まるタイプの人にとって、自己分析とは結局「外との相性分析」のことだ。だからしっかり「外との相性分析」をして、自分に合う組織だけを渡り歩いていけばいい。自分はどんな人たちと、どんな雰囲気ならば気持ちよく働けて、逆にどんな環境だと息苦しく感じるのか、直感も十分に交えつつ考えてみる。

(6)自分を責めすぎないために

  • 選べるは正義。誰もに選択肢を。それは正しい。ただ、ときにしんどい。なぜかというと、何でも選べる状態とは、何かを選んだ後も、ずっと違う選択肢が頭にチラついてしまうことでもあるからだ。自分で選んで結婚できることは、自分で選んで離婚できることとセット。もっといい人がいるんじゃないか?いつだって選べ直せるがゆえに、「選ぶ」をなかなか完結できない。
  • いくらでも他のありようでありえたのに、今、なぜかこのような自分として在ること。磯野真穂が強調しているのは、今このような私であることの偶然性、予測不可能性だ。障がい者になって、僕はようやく気づいた。今までの人生は、まったく必然じゃなかった。みずから選んでつかみとってきたという自負なんて、ただの錯覚にすぎなかった。
  • 偶然に満ちたこの世界を「聞いていて違和感のない」に変換し、そのプロセスの中で「多元的な原因」を「一元的な原因」に置き換えてしまうのは、ヒトの性であり、脳の限界とも言える。脳は物語的に、シンプルに原因と結果を対応させることでしか世界を理解できない。ただ、脳が物語的に物事を理解するからといって、世界そのものも物語的だとはかぎらない。むしろ明確に物語的じゃない。世界は、説明に組み込めない偶然性に満ちていて、予測なんて不可能
  • 結果を見てから後付けで原因を探し出す僕たちの脳は、簡単に自己責任論や被害者バッシングに陥る危うさを秘めている。それでも、僕たちはこの「物語脳」と生きていくしかない。人は物語によって誤り、物語によって救われる。

(7)弱いままにどう生きるか

  • まず、いかにそこが職場というパブリックな場であれ、堂々とネガティブな感情を表現してもいい、という大前提を確認するところから始めよう。ポジティブ100%でできているわけではない人間が集まって働くのだから、ネガティブな感情は自然と生まれる。ネガティブな感情は、ビジネスという課題解決ゲームには役立たないかもしれない。けれど、僕たちの「生きる」を構成する大事な要素だ。悲しみも怒りもない人生は、味がしない
  • 「なかったことにする」を繰り返すと、いつしか自分の感情を自分で感じられなくなる。経験則だが、悲しみや怒りを感じる経路を遮断するとき、人は喜びや楽しみも同様に感じられなくなるなってしまう。そしてそれは、鬱への第一歩でもある。
  • とにかく重要なのは、愚痴こそが、ネガティブな感情の吐露こそが人間を救うということ。会話においても「戸惑う心」は重油王。ネガティブな感情から出た言葉は、人を「賢い頭」から「戸惑う心」のモードに引き寄せる。「なんだかうまく言えないんですけど、悔しかったんです」とか、どんな言葉でもいい。戸惑っているという事実そのものをまずは言葉にしてみる。すると、「戸惑う心」には相手も「戸惑う心」で応じてくれる
  • シンプルな理由を力強く断言する人は、「わかっていてもできない」タイプの人のことをあまりにわかっていない。実際には頭でわかっていても、できないことはある。というか、ほとんどのことは、頭でわかっていてもできない
  • そもそも友だちの定義は、「安心して無駄話ができる存在」。逆に何か情報として価値のある話をしようとしているうちは、まだパブリックな関係性のなかにいる。僕たちはパブリックには、社会に求められる「ちゃんとした自分」を演じている。だからこそ、愚痴、モヤモヤ、悩み事など、「戸惑う心」を安心して見せられるプライベートな隠れ家が必要となる。
  • 友だちをつくるのに「コミュ力」はいらない。「コミュ力」は、不特定多数の人と話す場で求められるもの。逆にそういう普遍的な「コミュ力」を無効化してくれる存在こそが友だちなのだから。
  • 周りの基準ではそう大変ではなくとも、その人個人としては限界だ、ということはよくある。そのとき、多くの人は「平均値」のほうに自分を合わせてしまう。「他の人ならなんなくできることだ」「こんなことでストレスを感じる自分がダメなんだ」と。けれど、あなたという人間の固有の「生きる」において、平均値はなんの意味も持たない
  • 歩いていれば、寄り道も、休みもある。それでも、どこかにはたどりつく。たとえそこが、当初目指していた目的地と違っても。地球上のどの地点がどの地点より優れている、ということはない。あるのはただ、その土地ごとの景色だけ。途中の景色や気分に応じて、なんの理由もなく行き先を変更できてこそ旅。あまりにも目的性が強くなりすぎると、旅は「移動」になってしまう。

(8)弱さの哲学

  • 「他のありえた自分」について思いを馳せることをやめないと、「ここにいる自分」という偶然を引き受けないと、1回きりの、自分だけに固有の「生きる」が始まらない。
  • 「引き受ける」は、「受け入れる」とは少し意味が違う。こんなの理不尽だ、自分のことが嫌だという思いは消えないままに、消そうともせずに、その理不尽を背負って生きていく姿勢が「引き受ける」。僕たちは「こんな自分はやだやだ」と、死ぬまで子どものようにだだをこね続けていい。

3.教訓

上述の「1.はじめに」で記載したように、単なる理想論として語っているわけではなく、うつや双極性障害を発症した実経験に基づく話として展開されています。

わたしも、どちらかといえば、と言うより、完全に本書でいう「弱い」側の人間であると自負しています。そのため非常に実感を持って読み進めることができました。特に、

  • 高校、大学、就職と、本当に自分の意志で進んできたのだろうか、もう一度人生をやり直せるとしたら、どこに戻って、何を選択するのだろうか
  • 個人的には転職経験がないので、「他の会社でもやっていけるのか」については全く自信がない
  • 時間を無駄に過ごしてしまったと感じると損した気分になってしまう
  • 一般的には愚痴をいうことは非生産的と言われるが、心にとっては重要。意外と相手も自分の知らない悩みを抱えていて、弱さをさらけ出すとお互いに違った一面で出てくるもの
  • コミュ力の関係ない世界で、何でも安心して話せるのが友だち
  • 一人ひとり違うので、平均値で語っても仕方がない

といったことを、考えながら、反芻しながら、意味を噛みしめながら読みました。

自分はちょっと無理して背伸びしているかも、強がっていたけど弱い部分があるかも、と感じている方は、ぜひ手に取って読んでいただければ幸いです。きっと、何かしらの発見があると思います。