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わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か 平田オリザ著


 

1.はじめに

この本を知ったきっかけは、以前紹介した「他者と働く」の”はじめに”の部分で、宇田川さんが「お互いにわかり合えていないことを認めることこそが対話にとって不可欠である」という本書の内容を引用していたことでした。

「他者と働く」が非常に良書であったため、わざわざ冒頭で名前を出している本書をいつか読もうと決めていたものです。

単に職場でのコミュニケーションという観点だけでなく、これから卒業・進学を控え環境が大きく変わろうとしている子供を持つ1人の父親としても、さまざまな集団生活の場面で求められるコミュニケーション能力について、勉強になる内容でした。

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2.内容

  • 現在、表向きに企業が新入社員に要求するコミュニケーション能力は、「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」である。異なる文化、異なる価値観を持った人に対しても、きちんと自分の主張を伝えることができる。文化的な背景の違う人の意見も、その背景(コンテクスト)を理解し、時間をかけて説得し、妥協点を見出すことができる。そして、そのような能力をもって、グローバルな経済環境でも存分に力を発揮できることである。
  • 日本企業の中で求められているもう1つの能力とは、「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見は言わない」「輪を乱さない」といった日本社会における従来型のコミュニケーション能力だ。明らかにこのような矛盾した2つの能力を同時に要求されている。しかも、何より始末に悪いのは、これを要求している側が、その矛盾に気がついていない点である。
  • 現在、この「ダブルバインド」は、統合失調症の原因の1つとも考えられている。このような環境に長く置かれると、多くの人が「操られ感」や「自分が自分でない感覚」「乖離感」などを感じるようになるという。その結果として引きこもりなどが起きやすくなる。
  • 言語は、「言わなくて済むことは、言わないようにように言わないように変化する」という法則を持っている。「ケーキ」をどうしたいのかを聞かずにケーキを出してしまっては、子どもが単語でしかしゃべらなくなっても仕方ない。繰り返すが、単語でしかしゃべれないのではない。必要がないからしゃべらないのだ。「しゃべれない」のなら能力の低下だが、「しゃべらない」のは意欲の低下の問題だ。
  • 「伝える技術」をどれだけ教え込もうとしたところで、「伝えたい」という気持ちが子どもの側にないのなら、その技術は定着していかない。「伝えたい」気持ちは、「伝わらない」という経験からしか来ないと思う。今の子どもたちには、この「伝わらない」という経験が、決定的に不足している。
  • 異なる価値観と出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。ただそれは、単に教え込めばいいということではなく、おそらく、そうした対話を繰り返すことで出会える喜びも、伝えていかなければならないだろう。
  • 意見が変わることは恥ずかしいことではない。いや、そこには、新しい発見や出会いの喜びさえある。その小さな喜びの体験を、少しずつ子どもたちに味わわせていく以外に、対話の基礎体力を身に付ける近道はない。
  • それぞれの国や民族には、それぞれのコミュニケーションの文化があり、それはそれで尊く、美点がある。当然、他国の文化にも学ぶべき点もあるだろう。まずそれを議論の前提にしなければ、冷静な問題把握はできない。その上で多くの人が感じているのは、「日本もそうも言っていられない社会になってきた」ということ。
  • これから先、否が応でも国際社会に出ていかなければならない日本の若者たちには、日本人の奥ゆかしく美しい(と私たちが感じる)コミュニケーションが、国際社会においては少数派だという認識はどうしても必要。そこで勝負するなら、多数派に合わせていかなければならない局面が多々出てくることも間違いない。ただそれは、多数派のコミュニケーションをマナーとして学べばいい。魂を売り渡すわけではない。相手に同化するわけでもない。
  • コミュニケーション教育、異文化理解能力が大事だと世間では言うが、それは別に、日本人が西洋人のようにしゃべれるようになれということではない。欧米のコミュニケーションがとりたてて優れているわけでもない。だが多数派は向こうだ。多数派の理屈を学んでおいて損はない。この当たり前のことが、なかなか当たり前に受け入れられない。
  • 私たちは、同じ日本語を話しているつもりでも、それぞれ違う言葉(=コンテクスト)を話している。まったく文化的な背景が異なるコンテクストの「違い」より、その差異が見えにくいコンテクストの「ずれ」の方が、コミュニケーション不全の原因になりやすい
  • コンテクストを理解するというコミュニケーションの基礎的な能力は、みなが持っている。問題なのは、ビジネスの世界のように時間が限られていたり、権力構造が厳しかったりすると、普段はできているはずのコンテクスト理解のサイクルが遮断され、そこにコミュニケーション不全が起こる。おそらく問題の多くは、個々人の能力ではなく、組織やシステムの側にある
  • 企業は利潤を追求する場所だ。そして、管理職が、本当に若者たちの多様な意見を欲しているとすれば、彼らが意見を言いやすい場所をセッティングするのが管理職の責務である。もしもそれを怠って、「近頃の若者は・・」と愚痴をこぼしているだけなら、それは「はい、私は会議もデザインできない無能な管理職です」と公言しているようなもの。
  • 日本のこの狭い国土に住むのは、決して日本文化を前提とした人びとだけではない。だからこの新しい時代には、「バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力」が求められている。私はこれを「協調性から社交性へ」と呼んできた。
  • 心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか。

3.教訓

著者は、韓国に留学経験があって、韓国と日本の文化の違いについても多くのエピソードを記載しています。

例えば、日本以上に儒教が根付いている韓国では、年上には敬語を使うという考えがあるので、初対面の人に(女性であっても)年齢を聞くのが当然で、そうしないと話し方が決まらない、ということのようです。

日本では、初対面の人に年齢を聞くことはまずないですし、何度か会っていたとしても女性に対して年齢を聞くことは一般的には失礼に値すると考えています。

しかしながら、それは日本の常識であって、韓国では韓国の、それ以外の国や地域ではそこ固有の常識がきっとあるはずです。

要は、自分の生きてきた社会、知っている社会がすべてではないことを認識し、そうでない社会が存在することを理解する必要があります。

 

当社では、業務連絡に際して照会先が記載されていても、まずは自分でマニュアル等を確認し、周囲の同僚にも確認し、それでもわからなければ最終的に照会先に電話をすることが一般的です。

先日、日本育ちではない中途入社の職員から、周りに聞けばすぐに解決できる照会を受けたことがあり、「部内で●●さんには確認しましたか?」と聞いたら、「なぜ記載された照会先に電話しているのにそういうことを言われないといけないのか?」という不満を表明されたことがありました。

プロパー社員である私からすると当社の一般常識からは外れた行動なのですが、その方はそれがおかしくないと思っているのです。私の方でも、「ああ、バックグラウンドが違えば、そういう考え方をする人もいるのだな」と理解を示さないといけない一方で、その方も「当社の照会の仕方にも一定のルールがある」ということを理解してもらわないといけません。

他の人も自分と同じように考えている、同じ意味でとらえている、そこに認識相違はないという思い込みを捨てて、ミスマッチがあることを前提にコミュニケーションを図ることを意識したいと思います。