1.はじめに
何度か書店で平積みされているのを見かけ、前から気になっていました。
新刊だと思い実際手に取ってみたら、初版は2005年と、今から20年以上も前の本です。
それでも売れ続けているのには何か理由があろうと思い購入しました。
実際に読んでみると、考えさせられること、反省させられることが多く、学びの多い一冊でした。以下では、強く印象に残ったところを引用して紹介していきます。
2.内容
(1)「読み」が深まらないのはなぜか?
- 「わからない」「わかる」「よりわかる」に関する知見をまとめておく
- 文章や文において、その部分間に関連がつかないと、「わからない」という状態を生じる
- 部分間に関連がつくと、「わかった」という状態を生じる
- 部分間の関連が、以前より、緊密なものになると、「よりわかった」「よりよく読めた」という状態になる
- 部分間の関連をつけるために、必ずしも文中に記述の無い事柄に関する知識を、また読み手が作り上げた想定・仮定を、私たちは持ち出してきて使っている
- 浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、その状態が「わからない」からではなくて、「わかった」状態だから。「わかったつもり」が、そこから先の探索活動を妨害するから。
- わかった状態になったとき、各部分からは、「文脈と矛盾なく関連がつき、文脈を介して他の部分とも矛盾なく関連がつく意味」が引き出されている。そうなっていないときには、わかった状態にはならない。部分から「引き出されたこれらの意味」は、「部分の記述」と「文脈」とをつなぐ機能を果たしている。
(2)これが「わかったつもり」だ
- 「わかった」状態は、よく言えば1種の「安定状態」だが、逆の言い方をすれば「停滞」状態。「わかったつもり」から「よりわかった」へ至る作業の必要性を、本人が感じない状態でもある。「わかったつもり」は、このような意味で、かなりやっかいな存在。
- 大事なのは、正答するかどうかではなく、文章における「全体の雰囲気」というのが「魔力」を持っているという事実。「全体の雰囲気」が「部分の記述」から「全体の雰囲気」に都合のよい「意味を引き出し」てしまう。
- 最初の「わかったつもり」を、丹念に読むことによって壊したとたんに、さらなる矛盾が待ち構えていることが少なくない。「矛盾」や「疑問」は、次の「よりよくわかる」ための契機となるもの。「矛盾」や「疑問」はネガティブに捉えられることも少なくないが、むしろ次の解決すべき問題を発見できたという意味で、「認識の進展」という観点からはポジティブな存在。
(3)さまざまな「わかったつもり」
- 「間違ったわかったつもり」を作り上げるほどに、文脈の力は大きい。文脈は「諸刃の剣」。適切な文脈がなければ「わからない」状態を引き起こすが、存在する文脈が強力であればあるほど、それによる間違いを引き起こす可能性が高くなる。
- ものごとには、いろいろなものがある。そして、それは当たり前のこと。しかし、その多様性に圧倒された結果、「いろいろある」と思ったとすれば、人はそれ以上の追求を止めてしまう。うまく分類や整理ができそうにないとき、「いろいろある」という言い方が言い訳として使われるのではないか。
(4)「わかったつもり」の壊し方
- よほど難しいことが書かれていてわからなければ別だが、普通の文章なら、私たちは、読めばまず「わかった」状態になる。「わかっている」けれど「大雑把」-通常これが私たちの一読後の状態。すなわち、私たちは、一読後は「わかったつもり」の状態にある。「わかっている」と思っているけれど、「わかったつもり」の状態にあるのだ、と明確に認識しておくことが必要。「わかったつもり」は、ひとつの「わかった」安定状態なのでそこに安住してしまう。
- よりよく読むためには、自分で作り上げた現在の「わかった」状態を、自分で壊さなければならない。この時、自らの甘さを痛感させられることにもなるので、それはなかなか大変なこと。このような意味で、敵は自分であるとも言える。
- 文脈の交換によって、新しい意味が引き出せるということは、その文脈を使わなければ、私たちにはその意味が見えなかっただろうということ。すなわち、私たちには、私たちが気に留め、それを使って積極的に問うたことしか見えない。それ以外のことは「見えていない」とも思わない。
- われわれが文章を理解するうえで構築する想像・仮定を構築する際に、どれくらい合理的であり得るだろう。だから、自分の解釈の「正しさ」を信じたり、「正しさ」を強調することは、他の解釈を排除することにもつながりかねない。自らの解釈を押し付けることにもなりかねない。
3.教訓
実際に教科書で使われた例文と、それに基づく問題に取り組んでみると、一読しただけで「理解したつもり」になっていた自分に気づかされます。文脈や前提、全体の雰囲気から「だいたいわかった」と判断してしまうと、それ以上深く考えなくなる──その説明は非常に腑に落ちるもので、まさに自分に当てはまると感じました。整理しきれないときに「まぁ、いろいろあるよね」と曖昧に済ませてしまう自分もいます。
職場でも同じようなことが起きます。複数の意見を取りまとめる場面で、相手がそれなりの立場の方だと「この人ならしっかり書いているだろう」と思い込み、内容を十分に確認しないまま次の担当者へ回付してしまうことがあります。その結果、意味が通じない箇所について「ちゃんと読んで確認した?」と指摘されることもあります。
また、自分では筋道が通っているつもりで文章を書いても、同じ背景や前提を共有していない相手からは「なぜこのような論理展開になるのかわからない」と言われることがあります。自分の中では理解しているつもりでも、他者から見ると「わかったつもり」の状態に過ぎない──そのギャップを痛感する瞬間です。
だからこそ、”「わかっている」と思っているけれど、「わかったつもり」の状態にあるのだ、と明確に認識しておくことが必要”、という一文には、強い重みを感じました。
