管理職おすすめの仕事に役立つ本100冊×2

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「頭がいい」とは何か 勅使川原真衣 著

1.はじめに

勅使川原さんの本は以前から好きで、これまでも何冊か読んできました。

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というのも、「悔しい」といった感情がまっすぐに表現されていたり、「おっと」「あれ」「とはいえ」といった、普段自分でも思わず口にするような言葉が随所に出てきたりして、読んでいると自然と腑に落ちる感覚になるからです。

今回、その魅力が最もよく表れているのは、6つあるコラムの部分だと感じました。

コラムの内容については、ぜひ皆さん自身に読んでいただきたいと思います。ここでは、その中でも私の心に特に強く残った箇所に絞って引用し、紹介していきます。

2.内容

(1)曖昧過ぎる「頭がいい」の定義

  • 学校のテストで高得点を取れていた人が、仕事でも活躍できるとは限らない。「勉強だけできてもしょうがない!」と言いたいのではなく、仕事とは協働・分業なので、「誰と何をどのようにやるか?」次第で、いかようにも自分自身の役割は変わり得る。つまり、いまの時代に限定したとしても、年齢やポジションなどのステージが変化すれば、「頭のよさ」の定義も変化するということ。
  • 何をどうすると「気が利く」と称されるのか、いまいちわからない。場の雰囲気や、時の運も大きそう。でもそんな曖昧な基準であっても、気の利かない人が何を言っても、負け犬の遠吠え扱いされて終わり。悔しい。「頭がいい人」であることを遮二無二追及すると、必ず曖昧な「能力主義」の強化へと行き着く
  • ADHDやASDの特性とされる過集中や多動性、衝動性、こだわりの強さなどは、クリエイティブな分野と非常に相性がいい。しかし、現実はというと同じ特性を持ちながら、それを「解決すべき困りごと」として四苦八苦している人のほうが圧倒的に多い。才能と環境の組み合わせは、時代や社会構造、支えてくれる同僚や職場とのめぐり合わせ、周囲の理解などの幸運があってこそだから。

(2)「頭がいい」論の罠

  • 「頭がいい」という評価は案外、未来に活きない。過去の延長線上にしかならない。これが「頭のいい人論」の最大の落とし穴。知力・学力・人間性・論理性・協調性・柔軟性・社交性に至るまで、あらゆる要素を総合的に備えた全人的な頭のよさこそが「頭がいい人」と想定される社会になっているのが「頭がいい」論の現在地。職務要件などとは似ても似つかない、曖昧模糊とした全人的な能力。そんな神様みたいな人はいないので、いわば能力の壮大な「幻想」。その人の内側に固定的なものとして「能力」が存在しているという前提に基づく、壮大な間違い…。これが「頭がいい人」を取り巻く脆弱な世界観。
  • 能力主義と真逆で、ケアという概念には、承認の矛先を絞る必要がない。多くの人を承認し、自分も相手のことを大切にすることで際限なく拡大できるのがケアであり、そこには「あいつよりも俺のほうが頑張っているはずだ」「自分の取り分が減ってしまう」などという論理は無意味。このケアの概念がすっと自然に伝わる人には、ある共通項がある。それは、人生のどこかで、ままならさを経験していること

(3)「頭がいい」の呪縛をほどく

  • なんのためにラベリングするのか? 手間をかけずに切り捨てるため。「理解する必要がない人間」と決めつけてしまえばラクだから。他者を、しかも自分とは立場や属性の違う人のことを理解しようと歩み寄ることは、精神的にも物理的にも手間暇がかかる。能力主義的、かつ生産性至上主義的な思考に染まった人であれば、その労力は徹底的に省くべきだと考えるようになるのが自然。なぜなら、社会的にはそれが「頭がいい」振る舞いだから。
  • 手順や手続きを事前に伝えておけばできたかもしれないことを、できなかったときに限って個人のせいにする。「わからなかったら聞いて」と言われたので質問したら、「そんなこともわからないのか」と呆れられる。すぐに質問をすれば、「まずは自分の頭で考えてから聞いて」と言われる。機転を利かせて自発的に行動すれば、「なんで勝手なことをするんだ」と怒られる。職場、家庭、学校、いたるところで同じようなことが起きている。退職サービスが流行るのも必然。
  • 「たまたまタイミングが良かった」「支えてくれた人がいた」「あのときの環境が合っていた」。そうした偶然と他者の存在に思いを馳せれば、自分の”勝ち”がどれほど恵まれた組み合わせの上に成り立っているかに気づけるはず。いまの自分には見えていない範囲を想像する、という手間がかかることを意識的に行わなければ、私たちはいつまで経っても見下し、見下され合う苦しい構図から抜け出せない
  • 新しい試みに飛びつく前に、まずはいまの体制で形骸化している目標管理制度がないかを探し出し、それを終わらせるところから手を着けることをおすすめする。新しいことのための時間と手間を確保するために、まずはやめるべきことを見つけて終わらせるべき
  • 長所は違う場面で短所になることもあるし、逆もまた然り。どんな人にだってアピールできる「強さ」だけではなく、「弱さ」があり、凸凹がある。みんなが弱さを持っているし、それを言葉にしていい。本来であれば教育や労働の環境でそういう空気を作っていくべきではないか。そのためにも、長短・優劣・強弱-そうした二項対立的な構造がはらむ暴力性に、私たちはもう少し敏感になるべき。
  • 「いまの自分がこうしていられるのはものすごくラッキーだったんだな」と気づくことができたら、おそらく次に湧いてくるのは感謝のはず。頭ごなしに否定されなかったこと、誰かにケアしてもらえたこと、過去もいまも含めて感謝を実感できたときには、次はきっと誰かに対してあなたも同じようなことができるようになるはず。競い合う「競争」から、共に創る「共創」への転換点が生まれる瞬間。

3.教訓

産業カウンセラーやキャリアコンサルタントの養成講座に通う人の中で、いわゆる“出世街道”を突き進んでいる人はほとんどいません。周囲の受講生に話を聞いてみても、自分自身のトラウマ、同じ部署でメンタル不調になった人の存在、自身を含めた家族の病気など、何かしらの経験や思いを抱えて「人の話を聴きたい」「対人支援を学びたい」と考えて学びに来ている人が多いと感じています。

そうした背景を踏まえると、「ケアの概念がすっと自然に伝わる人には、ある共通項がある。それは、人生のどこかで、ままならさを経験していること」という一文には、強い納得感がありました。

どんな仕事でも、すべてを一人で完璧にこなし、しかも嫌味なく応対できる“神”や“仏”のような人は存在しません。誰しも何かしら「ここはちょっと…」という部分を抱えているものだと思います。

私自身、不得意なことは多くありますが、それでも少しだけ自信を持てる部分もあります。そして職場というのは、そうした個々の力を持ち寄って成り立っている場所だと考えています。ただ、その「少し自慢できる部分」も、配属された部署で任された仕事を、周囲のサポートを受けながら身につけてきたものが多く、決して自分一人の力で切り拓いてきたわけではありません。めぐり合わせは確かに存在します。

実際、部署や役割が変われば、これまで発揮できていた力が活かせなくなることもあります。「頭がいい」「仕事ができる」といった評価は、時代や環境によっていくらでも変わっていくものだと、つくづく感じます。

これまでの出会いに感謝し、その思いを次につなげていく──そんな姿勢でありたいと思わせてくれる一冊でした。