1.はじめに
著者の桜井さんは、プロのマージャン士です。
どんな方か知らない人もいるかと思いますので、wikipediaのリンクを案内します。
ちなみに、私は麻雀が強くなりたくてこの本を手にしたわけではありません。その道のプロがどのような心持ちで世界と向き合っているかに興味があり、手に取りました。
学生と社会人になりたての頃はよく麻雀をしていましたので、時折記載のある道場でのルールを理解できました。しかし、麻雀をやったことがない方であれば、少しついていくのが難しい部分もあるのでは、と思いながら読みました。
以下では、麻雀とは関係ない内容で特に印象に残った部分について数を絞って引用して紹介します。
2.内容
- 人間的な成長というと、いかにも足し算のようなイメージがある。しかし、人は歳を重ねていけば、必ず人間的に成長するというわけではない。むしろ反対に、人間的に退化していく人のほうが多いかもしれない。大人の論理を身にまとうにつれ、どんどん心が汚れていく。その意味では、世間体やしがらみといった荷物を降ろしていく「引き算」のほうが、人間力を磨く上では大切な作業になる。
- 成長とは、暴走しがちな知性や理性にブレーキをかけつつ、人間の五感や身体のすべてを使って自然界から学んでいくこと。そのためには、本能の声に耳を傾けながら生きていかなくてはならない。知識を増やしたり、金儲けのためのテクニックを身に付けたりすることは、私からすると成長でもなんでもない。自然から離れていくという意味では、成長よりもむしろ退化しているようにさえ感じる。
- 木からはぐにゃぐにゃした細い枝がいくつも伸び、また葉っぱも無数に茂っている。材木にする際にはすべて切り捨てられるその部分は、果たして何なのか。自然の中であれば、幹も枝も葉も等しく木を形づくるものであるはずだ。「枝や葉を、いつの間にか見えないものにしてしまう」、それが専門家を生み出す社会制度なのだと思う。
- 自由がなければ創造性を発揮することなどできない。多くのものがいぎっしりと詰まった状態では、自由に動くことなど不可能。必要以上のもので周りを埋め尽くして自由を奪えば、状況に応じて変化する柔軟さもなくしてしまう。柔軟さが失われれば当然、成長の機会も途絶えるだろう。ただし、自由を得るためには、もちろん果たすべき義務や責任が伴ってくる。それを理解せずに自由に振る舞おうとすれば、それは単なる傍若無人な輩でしかない。
- 感情とは、言うなれば「川の流れ」のようなもの。無理に抑え込もうとすると、感情という名の川の流れは悪くなっていく。川の流れが淀んでくると、当然水は濁り、やがて腐り出す。そのような悪臭漂う感情を抱いている人には注意が必要。感情という名の川の流れをよくするためには、自分の気持ちを常に表へ出すこと。
- 自分の中の醜い面を他人にさらけ出すことを、必要以上に怖がることはない。誰しもそういう要素を持っているのだから、過剰に恐れず「自分にはこんなダメなところがある」と素直に他人に見せてしまう。そうすると、人生はだいぶ楽になってくる。世間からの評価や期待に対して神経質になりすぎ、そのせいで常に不安を抱えながら生きていくくらいなら、他人から嫌われるほうがよほどまし。
- 「気づき」というものは、頭だけでなく身体全体で理解しなくては動きにまでつながらない。だから、心身が硬直した者ほど、気づく能力を身に付けるのには時間がかかる。だが、いくら飲み込みが悪くても決して排除するようなことはしない。そういう者をうまく導く術を知ることもまた、大事な「気づき」。そうした意味では、気づきのない者もまた、何かを教えてくれる師と言える。
3.教訓
今回引用した「人生引き算」「材木は木から枝や葉を見えなくする」「気づきのない者もまた、何かを教えてくれる師」といった独特の表現は、一見すると奇抜でありながら、どれも核心を突いていて、読んでいて新たな視点を与えてくれるものでした。
著者の世界観は、私がこれまで生きてきた感覚とはまるで異なります。そのため、選ばれる言葉も物事の捉え方も大きく違い、新鮮な気持ちで読み進めることができました。
私はつい、自分の関心のある分野の本ばかり手に取ってしまいがちです。しかし、書籍やサイトでは「他の読み手のレビューや書店の棚を参考に、普段なら選ばない本を手に取ってみるのも良い」とよく案内されています。今回まさにその有用性を、実感を伴って理解することができました。
自分の感性や視野を固定させず、むしろ広げていくために、これからも意識的に読書を続けていきたいと、改めて思わせてくれる一冊でした。
