1.はじめに
「プロカウンセラーの」シリーズは多くを読んでいます。
杉原さんの著書も以前に読んで投稿しました。
いろいろと話を聴く勉強をするなかで、読んで自分なりに咀嚼できる内容が増えてきました。
2.内容
- 共感は、個人の境界線を越えてあなたと私の間に響き合う心の現象、つまり、「人と人とが関わり合い、互いに影響し合うプロセス」のこと。だから共感は、ただ相手とぴったり同じ気持ちになることを指すわけではない。むしろ、互いの心の響き合いを感じながら関わっていくプロセスであり、それを促進していくための注意の向け方や表現のあり方などを指すもの。
- 相手の言っていることに同意できるかできないかは、差し当たり置いておく。もし今あなたが相手に共感することを目指しているのなら、相手の言っていることにあなたが同意できるかできないかは、どうでもいいこと。共感するという作業にとって、自分の意見は関係ない。それが「相手のための時間」ということであり、「相手中心」ということ。
- 共感は受動的で終わるものではない。感じられたものは、”表現される”必要がある。”伝えられる”必要がある。これは共感の能動的で積極的な面。これもまた受動的な面と同じくらい重要。
- 「共感」は、常に「受容」とセットで実践される。「受容」とは、どんなに不合理だと思えても、間違っていると思えても、相手の思いや気持ちを、そのままに、ありのままに、受け容れること。価値判断を留保し受け止める態度が受容であり、そこで感じられることに注意を向けて感じ取ることが共感。
- その人は現状において何か問題があると感じ、”変化”が必要だと感じているからこそ、あなたに相談している。だから、その人のありのままを受容すると同時に、変化をサポートする必要がある。その人に変化を促すような働きかけをすることが必要。何も特別に高度な援助の話をしているのではない。専門的な知識も技術もいらない。「一緒に考えよう」、ただそれだけのこと。
- 話し手がか細い声で「もう頑張れない」と言っている。「もう頑張れないんだね」という反射もありえる。例えば「限界まで頑張ってきたんだね」と反射することができる。もう頑張れないということは、そこまでものすごく頑張ってきたということを意味している。「もう頑張れないんだね」と「限界まで頑張ってきたんだね」とでは、伝えられるニュアンスにはかなりの違いがある。
- 共感とは”深めていくもの”。最初から相手の気持ちがピタリと分かる人などいない。分からなくてもいい。ギャップを感じていい。それを急いですぐに分かろう、ギャップをなくそうと焦らないこと。「分からない」と分かったこと、「ギャップがある」と分かったこと、それがすでに接近の動きを作り出している。だから、関心を持ってそこに注目するだけでいい。
- 「淋しいんですね」とコメントするのは、話し手が淋しいという感情に触れるのを促進したいと思うから。話し手が「淋しんですよ」とか「淋しいなぁ」と素直に言えるような地点までガイドしたいと願うから。残念ながら「淋しんですか?」というコメントは、たった1文字違うだけだが、この目的には全く適しない。このコメントは、話し手に「私は淋しいんだろうか?」と内省させるよう誘導する。
- 重要なことこそ、なかなか語ることができないもの。けれども、全く姿を現さないわけではない。語られることの中に微妙な形で現れる。特徴的な言葉の選び方や、不自然に力みのある考え方、また声、姿勢、視線、態度や振る舞いに現れる。それから得られる印象と話された内容が織りなす綾の中に、ぼんやりとした影としておぼろげに現れる。その影に声を与え、言葉を与えることが深い共感。
- 声に表された感情のニュアンスと、話される内容とが調和しているかどうかを感じ取るようにする。聴き手が話の内容ばかりに注意を向けていると、声の変化に気づかず、そこを素通りしてしまうことが多い。聴き手が話し手の声の変化に気づき、「あなたはその仕事がとても好きなんですね。今、生き生きとした感じで話していましたよ」と返すことはとても有用。
- 相づちを打つときには、音声のレベルで調子を合わせる。ダンスのステップを踏むように、デュエットで歌うように。相手の声を聴くようにしていけば、自然に調子が合ってくる。また、相づちはどこで打つかとともに、どこで打たないかが重要。さらに、どこで強く打つかとともに、どこで弱く打つかが重要。
- 悩んでいる人、苦悩している人、ストレスを抱えている人は、ほとんどの場合、何らかの葛藤を心に抱えている。共感的な対応をするためには、話を聴いてそうした葛藤に出会っても、性急に白黒つけようとしないことが大切。1つのコメントの中に葛藤の両面を穏やかに描き出すことができるとよい。その際、葛藤の両面をつなぐときに「そして」「それと同時に」「その一方で」といった接続詞を使う。そしてコメント全体を「穏やかな声」で言う。
- 共感を示すことは、しばしばチャレンジであり、賭けでもある。もしかすると「あんた何言ってんの?」「見当違いもいいとこです!」「あなたの目は節穴ですか?」などと一蹴されたり、怒られたりするかもしれない。関係が破綻するかもしれない。そんな危険を冒してでも言葉を発する。それでもいいから、相手のために伝えたいことを伝える。伝えないときっと後悔するから、怖くても、思い切って(ただし穏やかに)そういう思いを伝える。それが共感。
- たしかに、聴き手のほうが動揺した姿を見せてしまっては話し手に気の毒だという配慮は分かる。けれども、話し手がそのように専門家ぶった立場を守ろうとしていては、真あなたが驚いていないのなら、わざと驚くことはない。けれども、内心では驚いているのにそうした生き生きした反応を隠すことこそがより専門的な関わり方だと考えているとすれば、残念でならない。
- 「自分の気持ち」に注意を向けることをしない習慣を長年にわたって発展させてきた人の場合、単に「そのときあなたはどんなふうに感じましたか?」という質問をシンプルに尋ねるだけでは、いったい何を尋ねられているのか、質問の意図がピンときていないことが多いもの。そういう場合には、自分の気持ちに注意を向けるとはどういうことなのか、ありうる例を具体的に示しながら分かりやすく導いてあげることが必要。
- 「つらいんですね」と言葉をかけて、拒否されてしまったなら、そのことを受け容れること。そして「あなたのつらさは他の誰にも分からないね」と言ってみるとよいかもしれない。関わり手が「あなたは共感されたくないんですね」と話しかけたり、あるいは「あなたのつらさは他の誰にも共感なんてできないね」と話しかけたりするとき、そうした働きかけ自体が、共感的なものになりうると言える。
3.教訓
産業カウンセラーの体験学習では、
「クライエントが口にした言葉そのものよりも、実際に言いたかったことは何か」
「そのときクライエントはどのような気持ちでいるのか」
を常に考えるよう、繰り返し指導を受けました。
また、カウンセラーが感じ取ったことを伝えた際に、もしクライエントの気持ちと違っていたとしても、率直に「違います」と返してもらえること自体が、信頼関係が築かれている証拠――そんな言葉もいただきました。
本書を読み進めるうちに、当時の指導者の言葉が鮮やかに心に蘇ってきました。
さらに、次の内容が強く印象に残りました。
- 悩みや苦しみ、ストレスを抱えている人は、ほとんどの場合、心の中に何らかの葛藤を抱えている
- その葛藤の両面をつなぐときには、「そして」「それと同時に」「その一方で」といった接続詞を用いてコメントする
話し手は、理想と現実のギャップに悩み、葛藤や戸惑いを感じているからこそ、聴き手の前で語っています。聴き手が「両面を理解していますよ」と伝えることで、話し手は「あぁ、自分の思いを受け止めてもらえている、理解してもらえている」と感じられるのだと思います。
本書には、話を聴く際にぜひ実践したいと思える内容が数多く詰まっており、まさに良書でした。
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