1.はじめに
前回投稿に引き続き、感情や機嫌をテーマとした本を読んでいます。
プロローグの中に、以下の言及がありました。
答えを決めつけないで、とりあえず「曖昧」なままにしておくということです。
感情的になりやすい人は、この「曖昧さ」が苦手です。その場で白か黒か、敵か味方か、右か左かといった決着をつけないと気が済みません。
だから、自分の意見が少しでも批判されると、「じゃあ、わたしが間違っているのか?」と問い詰めます。
あぁ、言っていることがよくわかります。
「俺は議論がしたいんだ」と言う人の多くは、議論ではなくてただ自分の意見を通したいだけではないのか、と感じます。
他にも、”確かにそうだ”と思える部分が多くあり、それら印象に残った部分を引用して紹介していきます。
2.内容
(1)人には「感情的になるパターン」がある
- 相手が感情的に敵対していないとわかれば素直になる。自分の意見が受け入れてもらえるときには、気持ちも落ち着いてくる。つまらない意地を張ることもなくなる。押されれば、押し返そうとするのが「感情」。
- 自分の意見はあくまで1つの見方。他人の意見もまた1つの見方。その場で決着をつける必要はない。自分の優位性にこだわる人は、このウヤムヤというのが苦手。はっきり白黒の決着をつけたがる。もちろん勝ちにこだわる。ここで押し合いが始まる。ところが、「それもそうだね」といわれると押し合いも引き合いも始まらない。
- ①「話にならない人」は一部の人だということ、②怒っても状況は変わらないということ。だったら放っておくしかないし、腹を立てても意味がない。冷静に考えればそういう結論になる。
(2)「感情コンディション」を整える
- ふだんの感情を明るく保つためにも、動くことをためらわない人間でいてほしい。これは逆転の発想。行動を変えるというのは簡単にできることだから、試しに動いてみるだけでいい。
- 大事なのは、自分の感情を滞らせないこと。「どうして」とか「おもしろくない」、「せっかく考えてきたのに」といったイヤな感情につかまってしまうと、結局、そういう自分の気持ちと向き合うだけになる。内向きになってしまえば、いつまでも不機嫌が続く。「それもそうね」と切り替えることで、相手との話や街の様子に気持ちが向けられる。
(3)「曖昧さに耐える」思考法
- 認知的成熟度の低い人は、相手を敵か味方かのどちらかに分けてしまう傾向があって、いったん敵とみなしてしまうと、その人がなにをいっても反対するし無視する。たとえ自分と同じ意見だとしても、「こいつを支持するわけにはいかない」と考える。こういう受け止め方は、生き方をどんどん窮屈にする。
- 曖昧さをまるごと受け止めるのが「曖昧さ耐性」の高い人。「なんだかよくわからないけど、まあ、いいや」で終わらせることのできる人。
(4)「パニックに陥らない」技術
- 大げさに受け止めればそこにだけ目が行ってしまい、先のことを考えたり全体のダメージを見逃す余裕がなくなる。そういうときでも、「ではどうするか」とか「いまはともかく」という気持ちを取り戻すことができれば、むやみに感情的になることはない。諦めるのにはまだ早いこと、とりあえず何をすればいいかがわかってくるはず。
- 冷静に考えれば、どんなときでも一定の確率で失敗の可能性がある。それがたまたま巡り合っただけだから、「こういうこともある」と受け止めるしかない。そこでもし、失敗を恐れて何もしないような人は、可能性を自分から捨てていることになる。こちらのほうがはるかにもったいない。
(5)「いつでも気軽に動く」技術
- 感情コントロールの大切な技術に、「考えても始まらないことは考えない」というのがある。悪い想像は「考えても始まらないこと」。落ち込んでいたり悲観的になっているときは、悪い展開や悲惨な結末しか想像できずに、「やっぱりやめよう」となってしまう。そんなことを繰り返している限り、いつまで経っても悪感情から抜け出せない。
- 根本的解決なんか目指さなくていい。やらないよりやったほうが「まし」なことはいくらでもある。その場しのぎでもなんでも、やらないよりましなことがあったらどんどん動いて実行すれば、少しずつ解決に近づいていく。
(6)「小さなことでクヨクヨしない」技術
- 出された結果はどうせ受け止めるしかない。異動でも降格でも配置転換でも、勤めている限り拒めないのだから、それがどんなに気の重いことだとしても自分を納得させるしかない。軽く受け止める人は、同じ災難でも感情だけ明るく保ち続けることができる。ショックは受けても、そのことでいつまでもくよくよしない。
- 何かをすることには、常にメリットとデメリットがあると気づけば、「それなら動いてみよう」という答えをスパッと出すことができる。ためらうのはデメリットだけに目が行くからで、つねに「セット」としてメリットも用意されていることを忘れてはいけない。つまり、動く前にメリットとデメリットを比べてもあんまり意味がない。
- わたしたちには自然な回復力がある。感情は生き物だから、自分でもどうしようもないときは落ち込むまま、イライラするままに任せても、どうせいつのまにか元に戻っている。だから「そのうち気分が晴れるだろう」と思うだけでも、クヨクヨしているときには少し楽になる。
3.教訓
まず印象に残ったのは「曖昧さをまるごと受け止める」という指摘でした。この姿勢は、まさにネガティブ・ケイパビリティの概念を思い起こさせます。
宙ぶらりんの状態に耐えられないと、心は落ち着きを失い、安定した気持ちを保てなくなり、不機嫌さへとつながってしまう。だからこそ、拙速に“自分が望む結論”を出そうとせず、「そういうこともある」「まぁいいか」と曖昧さを許容できることが、感情を整えるうえで重要な鍵になるのだと感じました。
また、「根本的解決なんて目指さなくていい」と言い切る姿勢には、強い興味を覚えました。私自身は、変えるなら徹底的に変えないと、かえって周知や調整に余計な労力がかかるという考え方に近いからです。しかし、著者の言うように「やらないよりはまし」という発想に立てば、完璧ではなくても前進できる余地が生まれ、結果として解決に近づく道筋が確かに見えてくるのだと気づかされました。
そして、「異動でも降格でも配置転換でも、勤めている限り拒めない」という部分には、なんとも言えない感情が湧きました。書かれていることは事実であり、組織に属する以上避けられない現実です。ただ、頭では理解しつつも、そう簡単に割り切れない自分がいることも否めません。
読み終えて感じたのは、弱さや揺らぎを抱えている自分を、もう少し優しく扱ってもいいのだということでした。曖昧さに耐えられない日も、割り切れない気持ちが残る瞬間も、すべて「自分が生きている証」なのだと思うと、少しだけ肩の力が抜けます。強くあろうとするより、弱さを抱えたまま進んでいく自分を認めていくことが、感情に振り回されないための第一歩なのかもしれないと感じました。
