1.はじめに
本書は、キャリアコンサルタントの勉強会において、トークゲストの心理療法士の方が、その領域のバイブルということで紹介をされていました。そう言われたら買うしかないと思い、勉強会の最中にネット購入しました。
本書の冒頭の序は、「一人の人格をケアするとは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現をたすけることである。」の一文から始まります。
そして、序には以下のような記述もありました。
- 私が言おうとするケアの意味を、もう一人の人格について幸福を祈ったり、好意を持ったり、慰めたり、支持したり、単に興味を持ったりすることと混同してはならない。
- 彼は場所を得ないでいたり、自分の場所を絶え間なく求めてたださすらっているのではなく、世界の中にあって”自分の落ち着き場所にいる”のである。他の人々をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、その人は自分の生の真の意味を生きているのである。
想像していた以上に哲学的な内容でした。
以下、序に続く内容について、特に印象的だった部分を引用していきます。
2.内容
(1)他者の成長をたすけることとしてのケア
- ケアの相手が成長するのをたすけることとしてのケアの中で、私はケアする対象を私自身の延長のように身に感じ取る。また、それと同時に、その対象が本来持っている権利ゆえに私が尊重する確かな存在として、私とは別のものとしてそれを見に感じ取る。
- 他者が成長するのを援助するとき、私は自分の方針を他者に押し付けたりしない。私はむしろ、他者の成長の方向をみて、それが、私がケアの中で何をするかを導き、どのように私が応答すべきか、そしてそのような応答には何が適切であるかを決めるのに役立ってもらうようにする。
- 専心は私のケアの程度を単にはかるだけではなく、他の誰でもないこの他者へのケアが実質を持ち固有の性格を帯びるのは、この専心をとおしてなのである。ケアすることは、種々の障害や困難を乗り越える過程の中で発展していく。
(2)ケアの主な要素
- 誰かをケアするためには、私は多くのことを知る必要がある。たとえば、その人がどんな人なのか、その人の力や限界はどれくらいなのか、その人の求めていることは何か、その人の成長のたすけになることはいったい何かーなどを私は知らねばならない。そして、その人の要求にどのようにこたえるか、私自身の力と限界がどのくらいなのかを私は知らねばならない。
- 直接的に知ることと、間接的に知ることとは同一ではない。あることを直接的に知ることとは、単にそれを経験したということだけを意味するのではなく、それと直面し邂逅することであり、それ自身の権利において存在するものとして、それを理解することである。ケアにおいては、私は他人を直接知る。
- ”何もしない”ということも行動することのうち。私がこの”非行動性”の状態にあるときこそ、私は過程をよく見、それが動いていく結果を見、かつ考え、そこから適切に自分の行動を変える準備のとき。
- ケアする人は忍耐強い。なぜなら、相手の成長を信じているから。しかし相手に忍耐を示すと同時に、自分自身に対しても忍耐せねばならない。相手および自分を知り、理解し、発見する機会を、自らに対してつくっていかねばならない。つまり、私はケアする機会を自分自身に対してもつくってやらねばならない。
- ケアは相手について継続的に学ぶことを含んでいる。ケアする人は実に謙虚であり、相手や自分自身について、またケアというとどこまで含まれるかについて、すすんでより多くのことを学ぼうとする。このことはまた、ケアされている人から学ぶことも意味している。
- 希望は、ただ外界から何事かが起こるのを待ち、座視していることとは違う。単に他者に希望をかけることなのでもなく、私のケアを通じて相手が自己実現していくのを希望すること。それゆえ、希望の重要な様相はまさに勇気。
- 相手が成長していくこと、私のケアする能力-この2つを信頼することは、未知の世界に私が分け入って行くにあたって勇気を与えてくれる。一方、未知の世界に分け入って行くだけの勇気がなければ、この信頼をおくことが不可能であることも、また真実。
(3)ケアの主要な特質
- 私は、自分自身を実現するために相手の成長をたすけようと試みるのではなく、相手の成長をたすけること、そのことによってこそ私は自分自身を実現する。
- 相手をケアすることを望み、その相手の成長を望むだけでは十分ではない。私としては、その成長を手助けできるだけの力がなければならない。そして、私がその相手に対してケアできなければならないと同様に、相手もまた、このケアを受容できる状態でなければならない。
- ケアは相互関係にあり、お互いが相手に対しケアをする。ケアは伝染する。私が相手をケアすることは、その人が私をケアすることの活性化をたすける。同様に、自分に対する相手のケアが、その相手のために行うこちらのケアの活性化に役立っているし、相手のためにケアする自分を”強くする”。
- 自分の行動は相手の成長の動態によって変化すべきであり、実際に起こっていることに照らして修正されるべきである以上、もし相手が事実上成長していないのであれば、私は相手の要求に対応していないわけであり、したがってケアをしていることにはならない。
(4)人はケアすることの特殊な側面
- 自分以外の人格をケアするには、私はその人とその人の世界を、まるで自分がその人になったように理解できなければならない。私は、その人の世界がその人にとってどのようなものであるか、その人は自分自身に関してどのような見方をしているかを、いわばその人の目でもって見てとることができなければならない。
- 他者の中に私が理解できるものは、私が自分自身の中で理解できるものだけ。相手の気持ちになるといっても、私は自分自身を見失うわけではない。私は自分のアイデンティティを保っており、相手と相手の世界に対する自分自身の反応をよく意識している。相手の目に映るようにその人の世界を見るといっても、その人の世界に対するその人の反応と同じ反応を私も持つ、ということではない。
- ケアにおいては、相手とともにいるということは、とりもなおさず相手のためにいるということでもある。成長しようとし、自らを確立しようと努力している相手、その人のために私はいる。
- 私は、彼がありのままの私を見ようとしているのを知っている。それは、私に関する判断を下すためでなく、私をたすけるため。私は、ありのままの自分以上に見せるために自分自身をことさらかくす必要はない。
(5)ケアはいかに価値を決定し、人生に意味を与えるか
- ケアすることがこれまでできなかった人、あるいは何者をもケアすべき対象として持っていない人にとって、ひとたび他者をケアすることとなったとき、以前重要であると感じていた多くの事柄が、その重要性に変化を生じ、ケアに関係した事柄が新しい重要性を帯びてくる。
- 私たちは、全面的・包括的なケアによって、私たちの生を秩序だてることを通じて、この世界で”場の中にいる”。これは、”自分にあわない場”から逃れ、自らの”場”を求めて”場の外にいる”ことと対照をなるものであり、このとき、人は”場”に対して無関心、無感覚となっている。私たちは自分たちの場を発見し、つくり出していく。
- ケアが十分包括的なものであるためには、私たちは自分自身をケアしなければならない。なぜなら、自分自身の成長の欲求にこたえられないような人は、決して”場の中にいる”ことができないから。また、これまで考察してきたように、自分自身をケアすることは、少なくとも自分以外の他の人をケアするという、私の根本的な要求にこたえることを意味しているからでもある。
- 私と補充関係にある対象は、私の不足を補ってくれ、私が完全になることを可能にしてくれる。”満ち足りた気持ちになれた”と言うことは、まるで、もうそれで事は成れりというかのようであるが、この充足感というのは成長の停止を意味するものではない。それどころか、さらに成長していくための最善の位置に来たということ。
- 私は私の生の意味を生きるためにケアに携わっているのではなく、私と補充関係にある対象へのケアを中心にすえた人生を生きること、それ自体が、私が私の生の意味を生きることになる。
(6)ケアによって規定される生の重要な特徴
- 完璧ではないが、”これでよい”と認めたとき、これは改善の余地がないと言っているのではなくて、改善しても根本的に事態を変えることにはならないと考えている。人生というものは、生きていくこと自体ですでに十分なものと感じられる。
- 生きる中での単純化というものは、生を浅薄にするよりも、成長させ意味づける働きを持つ”場の中にいる”こととともに生じてくる。自分のケアと両立できないもの、無関係な多くのものを除外すると、私にとって重要なものがよりくっきりと浮彫りにされ、自分はいったい何者であり、何をしようとしているのかについて、私は一層気づくようになれる。
- 自律は自己理解を前提とする。その理解がないと、結局、自分が自分の障害となってしまい、堂々巡りするしかない。その理解は、私はいった誰であるのか、何のために努力をしているのか、私が必要としているものはそもそも何なのか、その必要を満足させるには何が要求されているのか、ということの理解。
- ケアするということは、ほかでもない私が恩恵を受けているものへの、私なりの感謝の仕方。私は感謝の念を、自分と補充関係にある対象や、それらが存在している諸状態のすべてをケアすることによって表明する。
- 人は自分の場を発見することによって自分自身を発見する。その人のケアを必要とし、また、その人がケアする必要があるような補充関係にある対象を発見することによって、その人は自分の場というものを発見する。ケアすること、ケアされることを通じて、人は自分が存在全体の一部であると感じる。
3.教訓
今まで何気なく「ケア」という言葉を使ってきたように思います。例えば、ちょっと気にかける、念のため注意する、みたいなときにも使っていました。一方、冒頭の勉強会では、サッカーのディフェンダーが相手のフォワードの動きを見逃さないことにも、特定の相手を注意深く見守るという趣旨で、「ケア」を使う例として挙げていました。
ちなみに、国立国語研究所によると、ケアの解説はリンクの通りとなっていて、”使用される範囲は広く,便利な言葉ではあるが,意味が広がりすぎることで,軽くあいまいな言葉に感じられることもある」、という注意書きもなされています。
一方、本書では、さすがに「ケアの本質」というだけだって、表面的なスキル・方法についての解説はありません。哲学的というか、人としてのありようのレベル感で語っており、ケアの意味を「幸福を祈ったり、好意を持ったり、慰めたり、支持したり、単に興味を持ったりすることと混同してはならない」と言い切っています。
キャリアコンサルタントの養成講座では、以下のようなことを言葉では学び、ロープレ時の目指す姿として教わってきました。
- 相手と同じ景色を見る
- 共感はするけど、同感・同調はしない
- 決めつけない、自分の価値観を押し付けない
- わかったふりをしない、自分をよく見せようとしない
- 自身の能力を超えていると感じたら、適切な他者にリファーする
本書を通じて、その時学んでいた内容、これまでの面談で意識してきたことよりも深い意味が知れたと感じます。「生きることの意味」という副題が付いているのにも納得感があります。
1on1やキャリア面談だけでなく、人とかかわる際のあらゆる場面においても「ケアの本質」を意識したいと思える良書でした。
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