1.はじめに
久しぶりにこんなに秀逸なタイトルの本に出会ったと思います。
どんな人も、「それこの前に言ったばっかり!」「そんなこと聞いてない!」という経験のエピソードは事欠かないことでしょう。
そういったことが当たり前に起こることを「認知科学」をベースに説明し、どう対峙していくのかを解説してくれます。
以下では、いつもの通り要約ではなく、特に印象的だったところを引用していきます。
2.内容
(1)「話せばわかる」はもしかしたら「幻想」かもしれない
- 言語は意図のすべてをそのまま表現できるわけではない、常に受け取り手によって解釈され、解釈されて初めて意味あることとして伝わる。言葉を発した人が込めた思いと、相手の解釈が大きく異なってしまうこともある。しかも厄介なことに、思いと解釈が一致しているかどうかは、話し手にも聞き手にもわからない。
- 同じものを見たり聞いたりしても、誰もが同じような理解をするわけではない。「言われた」ということと「理解した・わかった」というのは根本的に別物で、「言われたけど理解できない」ことも往々にして起こりうる。
- 人の話はすべて、自分のスキーマ(自分なりの理屈)というフィルターを通して理解される。そういった意味で、スキーマは「思い込みの塊」でもある。相手に正しく理解していもらうことは、相手の思い込みの塊と対峙していくこと。そして相手を正しく理解することは、自分が持っている思い込みに気が付くことでもある。
- 人は「事実に基づいた話ができる」存在ではなく、自供や目撃証言が「常に正しい」とは限らない。嘘をつくつもりがなくても、記憶は容易につくり替えられてしまう。人はそれほど正しく、自分の目撃したことや体験を証言したり再現したりできない。故意に嘘をつく人がいないわけではないが、嘘をつくつもりがなくても、相手が、そして自分が事実として正しいことを言っているとは限らない。
- 世の中では「断言したもの勝ち」「自分の記憶が正しいと信じられた人の勝ち」ということが、日々起こっている。自分の記憶があやふやだと、自信満々に「こうだった!」と言う人に押し切られてしまうことは十分あり得る。
(2)「話してもわからない」「言っても伝わらない」とき、いったい何が起こっているのか?
- 書いてあった、その文章を見ていたからといって、それを本当に「読んで理解した」かどうかはわからない。誰が見ても明らかな注意書きがあったとしても、それを本当に「読んだ(つまり言語情報としてしっかり処理した)」かどうかは、わからない。私たちの視点は、常に偏っている。
- 「決めつけるのはよくない」「相手の気持ちを考えよう」と言ったところで、誰の心にも響くはずはない。私たちが知識や情報を受け取り、理解し、記憶する際、何かしらの偏りが必ず生じている。自分に合わない情報は、そもそも頭に入ってこない。また、スキーマによって、捉えているものは人によって変わる。だから、指摘されるまで気づかない。
- 視点が違う状態でただ同じ議論を繰り返していても、お互いまったく相容れないことになる。何かを信じれば信じるほど、自分が論理的であると思っていればいるほど、他の人の意見が「間違っている」と思えてしまう。「なぜそのように考えるのか、まったく理解できない!」ということになってしまう。
- 必要なのは、新しい施策を、手を変え品を変え魅力的に、あるいは丁寧に説明することではなく、それぞれがどんな視点からその意見を言っているのかを考え、聞き取り、それぞれの懸念を払拭していくこと。
- 人は忘れてしまうものである以上、せめて「人は忘れるものだ」ということだけでも記憶にとどめておかなければいけない。これは、仕事でも、それ以外の事柄でも同様。仕事のできる人というのは、「相手も自分も忘れる可能性がある」ということをわかっている。そしてそれを回避する方法を予め見つけている。
- 周囲の人が理解しているけれども自分は理解していないことでも、人は、「自分は理解している」と思い込むという。ちょっと聞きかじったことを、あたかも自分の知っていること、自分の意見として話してしまう。本当はよく知らないのに取ってしまった無意識の態度が、ときにコミュニケーションを失敗させてしまうこともある。
- ほとんどの人は、他人の話を聞くよりも、自分の話をしたがる。しかし大事なのは、相手の話を聞くこと。それはとても難しいことだから、それこそ「話を聞くぞ」と意識して、一生懸命聞かなければならない。コミュニケーションのスタートは、相手の話を聞くこと。そういっても過言ではない。
(3)「言えば→伝わる」「言われれば→理解できる」を実現するには?
- 上司という立場になると、周囲から「確認してください」と言われることが多くある。しかし、それは本当にその人が確認しなければならないものだろうか。もしかしたら確認を頼んだ当人が、自分ですべき判断を避けているのかもしれない。ときに厳しく「これは確認してくださいという内容のものではないよね」と伝えることも必要。
- ビジネスにおいて、メタ認知をうまく働かせることのできない人は、自身がつくった資料などを見直すことや、指示通りに自分が動けているかを見直すことが苦手。そのため「配慮が足りない」「雑だ」と評価されたり、非認知能力や性格の問題と片づけられたりしがち。やはりメタ認知もまた、重要な認知の問題。
- メールを書き終わったら読み直してみて、最初の数行で、何についてのメールなのか、大事なことは何かが伝わるように書けているかを確認すること。日常的にそういったことを心がけていれば、自然と「相手の立場で考える」ことにつながっていく。
- 禁止など強い要求にはどうしても感情が動きがち。そうした場合には、理由を添えるだけで、相手の納得を得られやすくなるというのは覚えておいて損はない。
- 本当にそのプロジェクトを成功させたいのなら、相手と深いコミュニケーションを取ることが必要。相手がなぜできないのか、何に困っているのか、相手の組織の中で何が起こっているのか。問題を聞き取り、それを助けるために、自分は何ができるかというスタンスで話をしないと本当の解決には近づかない。
- 「なんでできないんですか?」と言うことほど、ラクなことはない。相手の立場で現状を見て、相手と一緒に課題を解決しようとする。相手の立場に立つということは、ビジネスのあらゆる場面で必要とされている。
- 「時計=アナログ」と思い込んでいる子どもに、デジタル時計しかない部屋で、「時計を持ってきて」と言っても、話は絶対に通じない。こうした具体と抽象の紐づけの失敗は、大人にとっても実はそう珍しいことではない。なぜなら、具体と抽象の紐づけは、文化により、慣習により、変わることが多い。
- もし抽象化せず、一つひとつを個別の存在として捉えていたならば、新しい出会いのたびに、膨大なデータを思い出して、目の前のものと対照するといった作業をしなければ、正しく認識できないことになる。目的に合わせて、情報の具体化や抽象化の粒度をコントロールすることが、本当に必要な情報を記憶しておくためには不可欠。
- 「言葉」自体が抽象化の概念と切っても切れないもの。例えば目の前に咲いている花を「花」と呼ぶのは、抽象化の結果に他ならない。そのときに見ている花という具体物は、言葉にした瞬間に抽象的な概念となる。言い換えれば、言葉は、人間が簡単に処理できる容量に情報を圧縮する働きをする一方、言葉から、具体的なイメージを膨らませることができる。
- なぜ、日々のコミュニケーションが成り立つのか、ちょっと不思議。それは、私たちが、伝えきれない言葉のは背景にあるものー相手の思いをくみ取り、あるいは断片的な情報から事実関係を拾い上げ、相手の話を自分の頭の中に再構築しながら話を聞いているから。
- 忖度が問題になるのは、目的がすり替わっているから。「正確な決算報告を上げない」という態度は、仕事の成功ではなく、人の気持ちへの配慮のほうを優先してしまったということ。そこに問題がある。
(4)「伝わらない」「わかり合えない」を超える
- 大切なのは失敗のあと。失敗そのものではなく、大切なのは「失敗の分析」。そして分析をしたら、修正をしていく。「失敗・分析・修正」をセットでできる人だけが、「失敗は貴重な機会だ」と言うことができる。
- 人は誰もが異なるフィルター、つまりスキーマを(無自覚に)持っており、それをベースにしてしかコミュニケーションは取れない、という事実を理解することが重要。
- 「あなたと私のスキーマは違う」ということを前提にしないで物事がスムーズに進むほど、今の世の中は単純ではなくなってきている。スキーマの違いを認めないことが、「自分と大きくスキーマが異なる人」の排除にもつながってしまいかねない。
- どちらか一方でも、「相手を思い通りに動かそう」と考えている限りは、真のコミュニケーションは成り立たない。コミュニケーションの達人は、相手をコントロールしようとしていない、というのは大切な視点。
- 仕事の場を一歩離れれば、別の話題で盛り上がることができる。プライベートが大変な時期には、少し仕事の過重をコントロールできる。こんな関係性が心理的安全性につながり、自発的に貢献しあえる職場がつくられていくかもしれない。
- 多くの人が無意識に醸し出してしまうのは「話を聞きたくない雰囲気」。報告する側も、早く話を切り上げたくなって当然。双方の感情が態度に影響して、本来は共有しなければいけない大切な情報が十分伝えられなかったり、形だけの報告になってしまったりする。
- 無意識の表情の変化すら、相手に影響を与えてしまうのだから、上司としては、「イヤな報告を受けたときこそ、相手を褒める・感謝する」くらいの心づもりが必要。「ホウレンソウ(特にネガティブなもの)に対して褒める」というフィードバックを続けているうちに、「失敗をしたら褒めてくれた」という話が部下の間に広まるようになる。そうするとポジティブサイクルが回り始める。
(5)コミュニケーションを通してビジネスの熟達者になるために
- その道の一流とされる人、すなわち達人は、大変優れた直感を持っている。限られた時間の中で膨大な内容をすべて詳細に確認することは人間には不可能。そのようなとき、経験豊富ないわゆる「デキる人」が、「この内容はおかしいのではないか」ということが直感的にわかるのは、日頃の仕事の積み重ねによって直感を身につけているから。
- 「直感」は天から降ってくるものではんく、そこへ向かってたゆまず歩き続ける中でやっと手に入れられるもの。直感に至るまでは、ずっとモヤモヤしながら「ああでもない、こうでもない」と考え続ける日々が続いている。
- 直感を磨き上げた先に、ごく一部の方が、「大局観」ともいえる感覚を身につける。大局観は経験で練り上げた究極のスキーマ。それは専門の勉強だけをしていても、知識のつまみ食いをしていても、ただ俯瞰で眺めていても得ることはできない。広げながら収束させる、収束させながら広げていく。ある種の「具体」と「抽象」を行き来するような意識が大事。
3.教訓
キャリアコンサルタントの勉強をしている際、面談においては、
- 相手と同じ景色を見る、一緒に絵を描く
- 相手が発する独特な表現が、自分の理解と同じとは限らない
- まだ語られていない部分にも真実や無意識的な抵抗が隠れている
- 相手だけでなく自分もフィルターを通して物事を捉えている
- ノンバーバル(非言語)にも着目する
といったことを学んでいました。
相談相手が、過去に経験したこと、現に直面している問題について、リアルタイムで見ているわけではないので、どのように話をしようとも、どうしてもお互いに想像している世界が不一致になります。
ただ、本書では、まったく同じものを見聞きしていたとしても、知識の前提や着目点が違うことによって、理解度が異なることに言及しています。言われてみれば当然なのですが、どうしても自分が見ているように他人も見ている、自分の理解が他者と異なることについて指摘されるまで気づかない、ということは本当に起こりがちです。
今まで以上に「スキーマ」があるということを前提に、かつ、相手も自分も忘れることがある、ということを意識して、他者とのコミュニケーションを図っていきたいと思います。
