1.はじめに
この本は、一般に「怠惰」として切り捨てられている行為を全面的に肯定し、社会から「怠け者」だと排斥されている人びとを全力で擁護する一冊だ。
身体の上げる非常ベルの音を無視してまで、自分を追い詰める必要はない。休むことを拒まなくていい。怠惰を恐れる必要はない。そもそも「怠惰」なんて存在しないのだから。
冒頭には、上のことばが記載されています。
実際、原題は"LAZINESS DOES NOT EXIST"、ズバリ「怠惰なんて存在しない」です。
新書の前は、以下のタイトルでソフトカバー本として売り出されていました。
という背景もあり376ページあるので、新書としてはボリューム感があります。
その分、いい言葉がたくさん詰まっています。
以下では、自身が印象的だったところをかなり絞って引用して紹介していきます。
2.内容
(1)怠惰のウソ
- 人生というのはそう単純ではない。世間から「本人の努力が足りないと蔑まれている人は、ほとんどの場合、他者からは見えない障壁や困難と懸命に闘っている。問題を抱えすぎている人が怠惰に見える理由の1つは、人の苦しみはたいてい外部から見えない、ということだ。
- 「怠惰のウソ」とは、「あくせく働くことは、のんびりするより道徳的に優れている」「生産性の高い人は生産性が低い人より価値がある」という考え方のこと。「怠惰のウソ」には、次の3原則がある。
- 人の価値は生産性で測られる
- 自分の限界を疑え
- もっとできることはあるはずだ
- 「頑張れば頑張るほど、より善い人間になれる」と「怠惰のウソ」は説くけれど、どこまで頑張ればいいのかの合格ラインは決して示されない。目標地点を永遠に動かし続けて、人の弱さや欲求を許容することはない。どこかの時点で必ず失敗するよう、あらかじめ設計されている。「怠惰のウソ」によって私たちは、あれもこれもやらねばならないと思わされ、ゆっくり穏やかに生きることができなくなってしまった。
- 奇妙なパラドックスだが、自分にとってちょうどいい以上のことをやろうとすると、かえって何もできない気になるものだ。私たちがだるく怠惰な気分になるのは、ダメ人間だからではない。私たちは疲れ果てているのだ。
(2)そんなに働かなくていい
- 自分の限界や欲求を素直に認められるのは、弱みではなく強さの証。頼まれごとを断ったからといって、必ずしも他者を傷つけ、失望させるわけではない。むしろ「いや、私はやりたくない」と自分がはっきり言っていれば、周囲の人も必要な場面で同様の態度を取りやすくなるはずだ。「怠惰」だとして疫病のように忌み嫌われてきた態度は、実際にはとても成熟した、責任ある選択なのだ。
- 人間はロボットではない。何時間も淡々と同じ作業を続けて同じ成果物を作り続けることはできない。よい仕事をするためには、休息し、人生を楽しむ時間が必要。労働時間を増やせばそれだけ生産量が増えるわけではない。なぜなら、人間の注意力や意志力には限界があり、質の高い仕事には休息時間が必要だからだ。
(3)人間の価値は業績では決まらない
- 喜びや言いを見出すことはすべて「味わう」ことに行きつく。「味わう」には3段階のプロセスがある。楽しくもない義務を次々とこなして生きていては、人生を味わえない。それどころか、何をしていたのか思い出すことさえできない。
- これからのイベントを楽観的にワクワクして待ち望む。
- ポジティブな瞬間の最中には存分に堪能する
- そお経験が終わってからも敬愛や感謝を持って思い出す
- 上手にできないことをやってみるのは、「怠惰のウソ」から抜け出すにはとても良い方法。失敗を受け入れられるようになれば、何ができるかできないかに関係なく、自分の人生に意味があると気づける。苦手なことを継続するには、最終的な成果物よりも、そこまでのプロセスを楽しむ方法を身につけるしかなくなる。
(4)疲れる人間関係はそのままにしない
- 安心できる本物のつながりを他者と築くには、相手の要求を怯えず断れるようになるしかない。ノーと言っても大丈夫な関係性を作るべき。精神的な負荷が高すぎると、過労と同様に人を壊しかねない。解決するには、自分の心からの欲求を大事にすること、そして「断ったら怠惰に見えるかも」と不安がるのをやめること。
- 「ほどよい」育児の真骨頂は、間違ったときに自分を責めないこと。むしろ、失敗を認めて対応し、そこから学ぶことが大事。人生には挫折や失望がつきもの。そんなときも自己否定せずに対処する術を、自分の不完全さを受容できている「ほどよい」親の姿から子どもは学べる。
- 「怠惰のウソ」のせいで、他者との境界の感覚がひどくゆがんでいる私たちは、他人の問題も自分が頑張って解決しなければ、と考えがち。相手を思うのなら、自分も相手の援助の奔走して苦しむべきだと「怠惰のウソ」は説く。けれど残念ながら、他人の問題は本人以外には解決できない。それで結局、相手はこちらに歩み寄れない(あるいは、歩み寄る気もない)のに、頑張って支援していた自分に気づき、怒りと虚しさに襲われる。
(5)社会の「べき」を払いのける
- 上方比較とは要するに、他者の業績を基に自分の目標を設定するやり方。これでは満足も自己受容もできなくなる。何かしら自分より優れている人はいるのだから、いつも自分を他人と比較して劣ったものと見ていたら、自分に満足できるわけがない。しかし、自分の上位互換として理想化された人物は、実際には存在しないもの。
- 不安や自責の感情が湧いたときには、しばらく感情に身を任せて、自分たちでは状況を完全にコントロールできないこと、そして自分にすべての責任があるわけではないこと、を受容するのが何より効果的だったりする。それはとても悲しい経験でもあるけれど、同時に解放感も得られるはずだ。
(6)結び:共感で「怠惰のウソ」を終わらせる
- 「怠惰のウソ」は、「生産性の高い人はより価値が高い」と言うけれど、このような価値判断を信奉していては、人生が不安と偏見だらけになってしまう。あなたは常に完璧でなくてもよいし、何もせずのんびり過ごす時間や休憩も許されている。ならば、ホームレスの人やうつ病の人にも同じ権利があるはずだ。生産性に関係なく自分の人生には価値があるのなら、どんな人の命にも同様の価値がある。
- 「誰もみんな、嘆き悲しむ時間が必要だ」という言葉を思い起こそう。自分の置かれた状況に反応して感情が動くのは、適応力を示しており、生きている証拠なのだ。こうした自然の反応を「弱さ」だと捉えるのは、「怠惰のウソ」が蔓延しているせいに他ならない。
3.教訓
少し、「弱さ考」を読んだときの感覚を思い出しました。
「時間を無駄にしちゃいけないと思ってしまう」「自分を責め過ぎてはいけない」というところに共通項があるように感じます。
職場でついYahoo!ニュースを眺めたり、家でソファに寝転んでスマホを延々と触ってしまったり──そんな経験は誰にでもあります。そして、まさに本書のタイトルの通り、そうした行為に罪悪感を覚えることもあります。ただし、それは「サイバーローフィング」と呼ばれ、脳を活性化したり、必要な「息継ぎ」だったりと、「時間の無駄」は人間にとって自然かつ健全で、重要なこと、と本書は指摘しています。
第6章の「疲れる人間関係はそのままにしない」は、仕事だけでなく家庭での向き合い方にも通じる内容でした。配偶者にも読んでもらい、「娘の部屋が散らかっていて、片づけなさいと怒ったところで、相手にその気がなければ思うようにはならないし、自分がしんどくなるだけだよね」と話したほどです。
世の中には、上を見ればキリがありません。誰もが“デキる人”ではないし、世間からエリートに見える人であっても、内面で幸せを感じているかどうかはわかりません。
完璧でなくていい。無駄な時間があっていい。ほどよく生きていけばいい──そんなふうに思わせてくれる良い一冊でした。
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