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1.はじめに
伊藤守さんの本の紹介は、以下「3分間コーチ」に続いて2冊目です。
本書は、LISTENの監訳を務めた篠田真貴子さんが、「聴くことについてアンテナが立つきっかけになった本」として紹介しています。
2.内容
(1)PART1:あなたは聞いていない
- あなたは聞かれていないし、聞いていない。そして、そのことが、私たちの感情や行動に大きな影響を及ぼしている。最初はイライラや焦り。聞かれないでいると、「ここにいてもいいんだろうか」と不安になる。すると、いてもいいんだ、というのを確立しようと焦る。
- コミュニケーションできない目の前の人は敵対者。敵対心はやがて、悲しみ、無力感に取って代わられていく。無力感に陥っている人は、なんでもやり得る。よくないことを急に始めてしまったり、誰かを傷つけたりというところに、いつなってもおかしくない。
- コミュニケーションは、いうまでもなく、あなたひとりで成り立つものではない。自分だけを変えようとすることも、相手に変わることを強要することもできない。ただ、あなたは、あなたから聞いて、相手を理解してみようとすることによって、あなたのまわりのコミュニケーション環境を変えていくことができる。
- ことばというのは、単なる媒体。自分が言いたいことを表現する手段。その「言いたいこと」を受け取らない限り、たとえ言葉を理解したとしても、聞いたことにはならない。人は、同じことばを遣っていても、それぞれ違うことを思っている。
- 相手の話を聞くことを、最終的には、相手を受け入れることだとか、相手の希望をかなえることだと思っているから聞けない。相手が言いたいことについて、相手と同じビジョンを持っていくこと―それが「聞く」ということ。両者が互いに相手と同じビジョンを共有できたとき、二人ははじめて同じ地点に立てる。
- 人は、ことばそのものや、相手がどのような意味を込めてそのことばを遣っているかにはおかまいなしに、そのことばに自分が加えている解釈に反応する。だから、たとえば好意のつもりで口にした褒め言葉が、相手を怒らせてしまったりする。私たちは、無意識のうちに、自分が事物に加えている解釈に振り回されている。
- おおむね、相手の話していることは、自分の経験に照らし合わせて聞くもの。まったく聞いたこともなければ見たこともない、自分が経験したことにないことは、たとえ耳に入っていたとしても、何のひっかかりもないために、ほとんど聞き逃されてしまう。
- 周りに気を遣いすぎていても敬遠される。他人の迷惑にならない、社会のルールをきちんと守っているなど、当然に人に受け入れられてしかるべきあり方をしているにもかかわらず、それが過剰だとかえって人との間に距離ができてしまう。関わりにおけるルールに厳しくあることと、関わりが持てていることとはまた別のこと。
- 安心感こそが、私たち人間の活動のベース。安心感が人の心と体を癒し、安心感があってはじめて冒険も可能になる。安心感に支えられているがゆえに冒険を試み、失敗しても安心感がショックを和らげる。だからこそ再挑戦の意欲も湧く。
(2)PART2:コミュニケーションはキャッチボール
- コミュニケーションを始めるには、いくつかの約束事がある。まず、どちらかがキャッチボールを始めようという意図を持つ必要がある。最初に声をかけるのは、いつもどちらか一方。
- 次の条件は、他方もこのキャッチボールを始めることに同意すること。当たり前のことだが、相手がコミュニケーションを交わす準備ができていないのに、一方的にボールを投げつけて、相手が応じてくれないと非難している人が少なくない。
- 実際のコミュニケーションの場では、一つのコミュニケーションが完了しないうちに、別のコミュニケーションが始まってしまうことがよくある。未完了のコミュニケーションとは、ボールを投げたのに返ってこない、あるいは返さない、そしてその理由を自問自答している状態。未完了を作り出す代表が「聞かれない」こと。
- 未完了を引き起こすコミュニケーションは、ことばによるものだけではない。姿勢、視線、表情、口調・・すべてがコミュニケーションに関わっている。実際、私たちがコミュニケーションにおいて何らかの不全感、不快感を抱くのは、ことばの内容というより、そのときの相手の態度や視線、口調やしぐさであることの方が多い。
- コミュニケーションは、「向き合う」ことから始まる。何とも向き合うことができない状態が「無力感」につながる。自動的に、自分の未完了によって引き起こされる感じから逃げ出したり、変えようとするのではなく、それと「向き合い」最初から終わりまで味わってみるというあり方が、未完了に影響されないあり方というものをつくる。
- あなたからキャッチボールを作り出す。自分が感じていることを伝え、相手の感じていることに共感するコミュニケーションを始める。あなたから、安心感を生み出す。
(3)PART3:自分自身とのコミュニケーション
- あなたが目の前の人を〇〇な人と思い込んでしまえば、そういう先入観でしか見ることができなくなってしまう。レッテルを貼ることで、その人を理解したような気になってしまう。実際には、あなたの頭の中に作り上げた、その人のイメージを見ているだけ。
- 私たちは、自分の考え方を否定されたり、持ち物をけなされたりするだけで、感情的になってしまう。それらを否定されるということは、自分のセルフイメージを否定されること。最大の問題は、自分の「セルフイメージ」=「わたし」だと錯覚していることにある。「わたし」を犠牲にしてまで、セルフイメージを守ることが優先されることにある。
- 自分の正しさを主張する最も簡単な方法は、相手の間違いを指摘すること。それで、相手の話など受け入れられるはずがない。ところが、間違いを指摘されたり相手が自分の正しさを認めてくれないと、ますます正しさを主張しなければならなくなるから、ますますお互いに相手を聞くことなどできなくなってしまう。
- コミュニケーションのベースは「安心感」。そして、その安心感は、自分の中で起こってくる感情をリアルタイムで表現していくことによって、お互いの中に生まれる。お互いの感情を交換していくことが安心感のベースになる。
- 相手のコミュニケーションは、あなたのコミュニケーションの鏡。もし、相手がちっともあなたを聞こうとしなかったり、心を開こうとしないとしたら、それはあなたがそうであるということ。
- もし、あなたが本当に人に関心を持っていたり、この人と本当にコミュニケーションを交わしたいと思っていたとしたら、それはたとえことばにしなくても、かなりの部分は伝わる。あなたが相手から本当に打ち解けた感じを受けないとしたら、あなたが打ち解けていないから。相手を責めたところで何が変わるわけでもない。
- それでもなお、やっぱり自分だけではない、相手にだって原因はあるはずだと、いくら自分が努力しても応えてくれない相手のほうがいいはずだと言いたいのかもしれない。確かにそうかもしれない。でも、そういって相手のせいにすることによって、いったい何が生まれるのか。
- どんなに努力しても、いま現在受け入れがたい人や行為が存在することは現実。あなたにできることは、シンプルなことをシンプルのままにしておくこと。何とか好きになろうと努力したり、自分を受け入れさせようとしてあれこれ画策したり、自分を責めたり、相手をおとしめようとしたりしないこと。
- 要するに、相手の自分に対する評価が気に入らないとき、その人を嫌う。だから、あなたが自分の価値を他人の評価によって計っている限り、嫌いな人の数は減らない。あなたが、自分で自分の価値を実感する習慣を身につけていくとき、嫌いな人の数は減っていく。
(4)PART4:いまここでのコミュニケーション
- 安心感だけが人を動かす。人を責めたり、裁いたり、評価したり、批判するのは、あなたの仕事ではない。それらによって、相手を変えることはできない。誰もあなたの期待に添うために生まれてきているのではない。人に変化を強要しても、それがどんなに正しく、相手にとっていいと思われることだとしても、ただ反感を買うだけ。
- 人が生きている実感、誰かと一緒にいるという実感を持つことができるのは、常に、いまここでのこと。だから、いまここでのコミュニケーションが交わされていないと、たとえことばがたくさん飛び交っていたとしても、人は互いに疎外感に陥る。どんなにたくさんの人に囲まれていても、ひとりぼっちになる。
3.教訓
25のすべてのルールを紹介できませんでしたが、この本を読んで、「子どもが育つ魔法の言葉」にある「子は親の鏡」という詩を思い出しました。
以下のリンクを開いて、掲載された詩をぜひ読んでみていただきたいと思います。
親と子どもについて書かれている内容ですが、相手が子どもだけでなく、仕事場での部下・同僚、プライベートでの友人・パートナーにも通じるものがあると思いますし、逆にこの「こころの対話」も子育てに通じるものがあると思います。
まずは相手の存在を認め、相手には相手なりの考えがあることを理解し、自分以外の世界観があることを前提に相手とのキャッチボールを自分から始め、安心感を作り出していく。これが対話・コミュニケーションの基本だと考えています。
これについては文書によって差はありますが、似たような表現であふれています。
それでも繰り返されるのは、「自分は自分は」と主張する人が世の中には多くて(自省の意味も込めて)、「言うは易し行うは難し」の典型例なんだと思います。
今までの自分の考えをいきなり180度変えるのはできませんが、少しずつでも25のルールに従った行動ができるようになればと考えています。