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菊と刀 ルース・ベネディクト著

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菊と刀 (講談社学術文庫) [ ルース・ベネディクト ]
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1.はじめに

背表紙の言葉を紹介します。

第二次世界大戦中の米国戦時情報局による日本研究をもとに執筆され、後の日本人論の源流となった不朽の書。日本人の行動や文化の分析からその背後にある独特な思考や気質を解明、日本人特有の複雑な性格と特徴を鮮やかに浮き彫りにする。”菊の優美と刀の殺戮”に象徴される日本文化の型のを探り当て、その本質を批判的かつ深く洞察した、第一級の日本人論。

つまり、アメリカ向けの内容であり、日本人に向けた書かれた本ではありません。

だからこそ、忖度無しに、客観的な見地から、日本人論を学ぶことができます。

2.内容

  • 政治や宗教や軍隊や産業においては、それぞれの領域が周到に階層に分けられていて、上の者も下の者も、自分たちの特権の範囲を越えると必ず罰せられる。「ふさわしい位置」が保たれている限り、日本人は不服を言わずにやっていく。彼らは安全だと感じる。
  • 人は義務を支払うためにはどのようなことでもすべきであって、時の経過は負債を減じない。年とともに減るどころか、かえって増えていく。いわば、利子が積もっていくのである。ある人から恩を受けるということは、重大な事柄でる。日本人がよく用いる表現が言い表しているように、「人はとうてい恩の万分の一も返すことはできない」。それは非常な重荷である。
  • 愛や親切や気前の良さは、アメリカでは何も付属物がくっついていなければいないだけ、いっそう尊重されるのであるが、日本では必ず付属物がつきまとう。そしてそのような行為を受けた人は債務者となる。
  • 人は「義務」を返済せねばならないと同様に、「義理」を返済せねばならない。しかしながら、「義理」は「義務」とは類を異にする一連の義務である。これに相当する言葉は英語には全く見当たらない。また、人類学者が世界の文化のうちに見出す、あらゆる風変わりな道徳的義務の範疇の中でも、最も珍しいものの一つである。
  • 日本では自己防御ということが非常に深く根を下ろしている。そこで、ある人に面と向かって、彼が職業上の過失を犯したということをあまり言わないようにすることが、一般的に行われている礼儀でもあり、また賢明な人の取る態度とされている。敗者はそのような失敗のために「恥をかく」。そしてこの恥は、発奮の強い刺激になる場合もあるが、多くの場合は危険な意気消沈を引き起こす原因となる。
  • 日本人は問題を競争でやるようになると、負けるかもしれないという危険にすっかり心を奪われ、仕事の方が留守になってしまう。彼らはあまりにも鋭敏に、競争を外から自分に加えられる攻撃と感じる。そこで彼らは、彼らが従事している仕事に専念する代わりに、その注意を自分と攻撃者との関係に向ける。
  • 猛烈な努力と全くの足踏み状態である無気力との間を、大きく気分が揺れ動くのが日本人生来の性質である。多くの日本人は何事によらずあなたまかせの態度を取ることが目的達成の最も安全な道であると考えている。こういう考えから、何をしてみたところでどうせ駄目なんだからしばらく足踏みして形勢を観望する方がマシだ、という考えに移行するのはまことに容易なこと。無気力は広がっていく。
  • 「忠孝」や「義理」の義務を果たすに当たって人がしばしば甚だしい苦痛を経験するという事実は、彼らの初めから覚悟しているところである。それは人生を困難なものにするが、しかし彼らはその困難に堪える心構えができている。彼らは絶えず、彼らが少しも悪いとは考えていない快楽を思いきる。それには意思の強さが必要であるが、そのような強さこそ、日本人の最も称揚する美徳である。
  • 各人の魂は、本来は新しい刀と同じように徳で輝いている。ただ、それを磨かずにいると錆びてくる。この彼らのいわゆる「身から出た錆」は刀の錆と同じように良くないものである。人は自分の人格を、刀と同じように錆びつかせないように気をつけねばならない。しかしながら、たとえ錆が出てきても、その錆の下には依然として光り輝く魂があるのであてって、それをもう一度磨け上げさえすればよい
  • 西欧人は、まずたいていは因襲に反旗を翻し、幾多の障害を克服して幸福を獲得することを強さの証拠と考える。ところが日本人の見解に従えば、強者は個人的幸福を度外視して義務を全うする人間である。性格の強さは反抗することによってではなく、服従することによって示されると考える
  • 日本人は恥辱感を原動力にしている。明らかに定められた善行の道標に従いえないこと、色々の義務感の間の均衡を保ち、または起こりうべき偶然を予見することができないこと、それが恥である。恥は徳の根本である、と彼らは言う。恥を感じやすい人間こそ、善行のあらゆる掟を実行する人である。
  • 日本人特有の問題は、彼らは一定の掟を守って行動しさえすれば、必ず他人が自分の行動の微妙なニュアンスを認めてくれるに違いない、という安心感を頼りとして生活するように育てられてきた。外国人がこれらの礼節を一切無視しているのを見て、日本人は途方に暮れる。
  • 「無我」という練達の域に達しない人々の場合には、意思と行動との間にいわば一種の絶縁壁が立ちはだかる。日本人はこの障壁を「見る我」「妨げる我」と呼ぶ。そして特別な訓練によってこの障壁が取り除かれた時に、達人は「いま私がしている」という意識を全然持たないようになる。回路は開かれ電流は自由に流れる。行為は努力なしに行われるようになる。
  • 「無我」の根底にある同じ哲学が、この「死んだつもりになって生きる」態度の根底にも潜んでいる。この状態にある時、人は一切の恐怖心や警戒心を棄てる。彼は死せる物、すなわちもはや正しい行動方針ということについて思い煩う必要を超越した者となる。死者はもはや「恩」を返すのではない。死者は自由である。したがって、「私は死んだつもりになって生きる」という表現は、矛盾相克からの究極的解放を意味する。
  • 自らを尊重する人間は、「善」か「悪」かではなくて、「期待通りの人間」になるか「期待外れの人間」になるか、ということを目安としてその進路を定め、世人一般の「期待」に沿うために、自己の個人的要求を棄てる。こういう人たちこそ「恥を知り」、無限に慎重な立派な人間である。
  • 日本人は、ある一定の行動方針を取って、目標を達成することができなかった場合には、「誤り」を犯したという風に考える。彼はある行動が失敗に終われば、それを敗れた主張として棄て去る。彼はいつまでも執拗に敗れた主張を固守するような性質にはできていない。日本人は「ほぞを噛んでも無益である」という。

3.教訓

原書の発刊は太平洋戦争終了直後の1946年です。

本書を読むと、それから長い年月が経ち、日本社会も様々なことを世界の中で経験しても、日本人の根底は変わらないように感じます。

「恩」や「義理」を重んじ、体面を重視する「恥の文化」が根付いている日本人の特性について、自身の行動パターンを認識するうえでも、他者との関係性を構築するうえでも、非常に有益な内容だと思います。