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1.はじめに
まず、箴言は「しんげん」と読みます。
また、箴言とは「戒めの言葉。教訓の意味をもつ短い言葉、格言」のことです。
そして、この箴言集は、「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない」というエピグラフから始まります。
人間観察で得た考察を、1行・2行で終わるようにまとめれ、ごく短い文章の中に真実が抽出されています。
2.内容
多様なジャンルを含んでいますが、今回は仕事に関連する内容を中心に取り上げます。
- 情熱は必ず人を承服させる唯一の雄弁家である。情熱のある最も朴訥な人が、情熱のない最も雄弁な人よりもよく相手を承服させる。
- もし自分に傲慢さが少しも無ければ、我々は他人の傲慢を責めはしないだろう。
- 欲で目が見えなくなる人があり、欲で目を開かれる人がある。
- 自分の過ちを自分だけにしか知られていないときは、我々は容易にそれを忘れてしまう。
- 誰の助けも借りずに独りでやっていく力が自分にはある、と信じる人は、ひどい思い違いをしている。しかし、自分無しには世の中はやっていけない、と信じる人は、なおさらひどい思い違いをしている。
- 誰かから一旦良いことをしてもらうと、その人に悪いことをされても甘受しなければならなくなる。
- あらゆる立場でどの人も、みんなにこう思われたいと思うとおりに自分を見せようとして、顔や外見を装っている。だから社会は見かけだけでしか成り立っていないと言える。
- 精神の狭小は頑迷をもたらす。そして我々は自分の理解を超えることを容易に信じない。
- 自分がしている悪のすべてを知り尽くすだけの知恵を持った人間はめったにいない。
- 少しも尊敬していない人を愛すのは難しい。しかし自分よりはるかに偉いと思う人を愛することも、それに劣らず難しい。
- 自分について話すときに我々が味わう無上の楽しさは、聞かされる人がその楽しさを共にするはずはほとんだないという不安を、我々に抱かせるべきである。
- 我々は、自分と同じ意見の人以外は、ほとんど誰のことも良識のある人とは思わない。
- 我々は、自分の実力以下の職に就けば大物に見える可能性があるが、分に過ぎた職に就くと、しばしば小物に見える。
3.教訓
350年以上も前に記されたにもかかわらず、長い間読み継がれる価値を維持している理由は、人間の真実についての表現力が秀逸だからであると考えます。
何となく日々感じていて、なかなかそれを直接口にすることをためらってしまうような内容も、文章の形で見える化されていることで、気持ちを代弁してもらっているように感じる部分もあります。
そして、自分が思う以上に、人間は他の人を見ている、他人から見られている、ということを意識させられる本です。
今回は、仕事に関連するところを中心に取り上げましたが、色々な種別の箴言が散りばめられており、中には恋愛を題材にしたものが多いので、読み手によってそれぞれ新たな発見が得られるのではないかと思います。