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1.はじめに
日本社会では、いかにその人が有能であっても、「人望がない」と思われると、その前途が絶たれることがあります。
階級でもなく、出身でも血縁でもなく、人を評価する場合に「人望」が絶対的基準となるという日本の伝統は、民主主義とは関係のない昔からの基準であり、法や制度の変革によってかわらない文化的価値観であるとしています。
その「人望の条件」とは何かを探求したのが本書です。
2.内容
(1)求められる九徳
中国古典の「書経(尚書)」に、以下の九点が記載されています。
- 寛大だが、しまりがある
- 柔和だが、事が処理できる
- まじめだが、丁寧で、つっけんどんでない
- 事を治める能力があるが、慎み深い
- おとなしいが、内が強い
- 正直・率直だが、温和
- 大まかだが、しっかりしている
- 剛健だが、内も充実
- 豪勇だが、義(ただ)しい
重要なことは言葉にすると平凡です。
それぞれの2つの言葉には相反する要素がありますが、その一方でも欠けると「不徳」ということになります。
また、これらのことは訓練すれば誰でも獲得できるとされています。
人間は誰でも、知らず知らずのうちに「自分は別だ」といった位置に置きがちです。こうなるともう自己制御はできないから、自分を棚上げして他者を批評します。
「中庸」に沿うように自己抑制できる能力を、他者にも及ぼしていく状態が「人望のある人」であろう、としています。
(2)徳だけでない必要な能力
いくら徳があると見られている人でも、能力がないと見られれば、やはり人望を失います。
- 人間が社会的動物で、分業が存在する限り、これを統御し調整する者が必要。簡単にいえば、いかなる平等社会でも、組織には必ず「上中下」がある。自らを教育することができる者によって、上中下が定められなければならない。
- 現代社会は「機能集団」によって支えられる社会。現代ではすべてのリーダーが何らかの形で社会に機能することを要請されるということであり、その要請に対応できない者に人望はありえない。
- 部下は上司の真偽、正不正まで、暗黙のうちに評価し合っている。そして、その評価に耐える「徳」と「能力」があってはじめて、「あの人の指示に従っていれば安心だ」と部下は思い、人望ある指揮官になれる。
3.教訓
組織運営をするにあたって上席者が求められることの基本は、「面従腹背」でなく「心腹」による部下の掌握であり、そのために不可欠な要素が「徳」です。
ただ、「徳」しかなく、機能集団を機能させる能力がなければ人望を完全に手に入れることはできません。
すなわち、いざとなれば口も手も出せる力がある、何かあったらあの人に聞けば大丈夫と思われ、実際に行動できる人であることを目指して、学びを継続したいと思います。